信念を持って、自分の決めたことをやり遂げること 上田文人 クリエイターインタビュー 〜THE EARLY DAYS〜

絵を褒められた経験が原点となった幼稚園〜小学校時代

photo 上田さんがアートに目覚めたのは、幼稚園時代。描くのが大好きだった絵がコンクールに入賞し、両親や先生に褒められたのがうれしくて、絵を描くのがさらに好きになったという。

「コンクールに出した絵は、カメを描いたものでした。画用紙いっぱいに甲羅を描いて、申し訳程度に頭と足がついている絵。その大胆さがよかったみたいで、賞をもらって親に褒められたのが、とても嬉しかった。そこから、僕は絵が上手いんだ、と調子にのってしまったんですね(笑)。とにかく絵は好きで、よくノートにマジンガーZを描いたりもしてました。今思い出してもけっこう凝ってて、色使いも子供にしては精密だったし、パーツの色分けもしっかり描き込んでありました」

 自分の絵を褒められた経験は、上田さんに強烈な印象を残した。しかしその後、小学校に上がった上田さんは、大好きな絵で初めて、挫折を味わう。

「それが、小学5年生で一度スランプになりまして……(苦笑)。それまでの僕は、絵はがきのようなキレイな絵。でも小学校も高学年になると、ただ美しく神社仏閣を描くだけではもう褒めてもらえないわけですよ。そこに描かれるモチーフやテーマが重要になってくる。コンクールの評価軸も変わっていくんですね。結局、そのスランプは、自分の考え方をそっちに合わせてコントロールするようにして、克服しましたが、けっこう悩んだ記憶があります」

 そんな絵の好きな少年というと、物静かでおとなしいイメージを想像する。だが、彼はけっしておとなしいだけの男の子ではなかったという。

「僕、出身が兵庫県のたつの市というところなんですが、自然に恵まれた土地でした。絵を描いていないときは、友達同士で近所の川に行って魚を捕まえてる子でしたね。小学生から中学生までは、絵を描いているか魚を捕ってるか(笑)。あと、物をつくるのも好きでした。魚捕りの道具を自作したりね。小さい頃は竹とんぼとか独楽、吹き矢などの遊び道具を父親が作ってくれていたので、それに憧れて自分で弓矢をつくったりして。そういう経験は、今の仕事にもずいぶんいかされている気がしますね。動物や人間の動きが理屈ではなく映像として思い出されます。『ワンダと巨像』にも弓矢が出てきますが、僕は弓矢がどんな動きをするのかよく知ってますから、あの時代に体を使った遊びをしていたのがよかったと思うんです」

絵を褒められた経験が原点となった幼稚園〜小学校時代

photo 繊細なアーティスト肌の雰囲気を持つ現在の上田さんが、魚捕りに興じていたと聞くと意外だが、実は彼には、格闘技経験もある。

「格闘技というほど大層なものではないですが、小4〜中2まで空手を習っていました。ちょうどその頃、ジャッキー・チェンがブームだったもので(苦笑)。今から思えば、そこでも人間の体の構造とか、ポージングのセンスが養われたかも知れませんね。CGキャラクターにアニメーションをつけるにも、経験があるかないかがけっこう重要なんです」

 習い事としては空手を。そして中学校では?

「たしか……美術系のイラスト部とかそういう名前の部活を。いやぁ、ホントによく覚えてないんですよね。実は僕、子供の頃から思春期にかけての思い出の品というのが、全く残ってないんです。実家を改築したことがあって、改築前に、さんざん親から自分の部屋を片づけて引っ越しの準備をしろと言われていたんですが、僕は根っからの面倒くさがりなので、全く片づけをしてなかった。そしたら、ある日、学校から戻ってみると、僕の部屋がキレイになくなってて(笑)。それまでのアルバムも、絵も、つくっていた作品も、僕の部屋にあったモノは全部なくなってしまいました。いい加減な一家ですよね(笑)」

 中学で美術系の部活を選んだのは、やはり絵への思いが強かったからなのだろう。高校進学も、美術系の科がある学校を選んでいた。

「中学卒業のギリギリになって、美術に関する高校に行けたらいいなとは思いました。そこからですね、受験の役に立つかと基礎になるデッサンを集中的に始めたのは。でも、高校で美術の専門の勉強ができるところは、兵庫でもひとつくらいしかなくて、結局、近所の工業高校にデザイン科があったので、そこに進学しました。その後の人生も、けっこう、ちゃらんぽらんなんですよ(笑)。だいたいは、“このままじゃいかん!”と思いたってから、進路を決めてるんです」

 その行動は、高校卒業のときにも繰り返された。やはり美術系の大学への進学を決めたのは、高校3年生になるとき。しかし……?

「基本的に、工業高校はほとんどの生徒が卒業するとそのまま就職するんですよね。だから、美術系の大学に進学したいと思ってても、どこにどんな学校があるのかもわからなかった。ふつうは、美大に行きたい人は専門の予備校に通ったりするんですが、僕はその情報すら知らなかった。だから受験勉強もまったく独学でした」

 そんな上田さんが、進学先に選んだのは大阪芸術大学。卒業生である高校の恩師の薦めで、受験を決意した。ふつうはそこで上京を考えそうなものだが、上田さんはそうしなかった。その理由は?

「うーん。 単純に“東京は遠い”というイメージがあったからですね。上京するという選択肢はまったく考えもしませんでした」

絵を褒められた経験が原点となった幼稚園〜小学校時代

photo 持ち前の集中力と器用さで、独学で受験勉強をこなした上田さんは、無事に大阪芸大に入学。入学後半年間は、兵庫県の西の端にある実家から、大阪府と奈良県の県境にある大学まで、なんと片道約3時間をかけて通学していた。だが、さすがにそれが辛くなり、大阪でのひとり暮らしを始める。さらに……?

「すぐに一軒家を借りまして、友達ふたりと3人で共同生活を始めました。そこはホントに大学からすぐのところにあったので、すっかりみんなのたまり場になって。毎日がとても面白かったですね。学生にありがちな、みんな集まってお酒を飲んだりするわけじゃなくて……ミニ四駆を走らせたり、バイクの改造をしたり。映像学科の友達と映画を撮って『ぴあ』のショートフィルムフェスティバルに応募したりして遊んでました」

 ところで学業のほうは、というと? 大阪芸大は、大学3年になると専攻過程を選ぶシステム。そこで上田さんが選んだのは、それまで得意だった具象絵画ではなく、畑違いの抽象絵画だった。

「そっちを選んだ理由は……ラクそうだったから(笑)。あまり真面目に考えてはいませんでした。特に、僕が専攻してた抽象絵画は、アクションペインティングなんかだと、ただ描くだけなら1時間くらいでできちゃうんですよ。時間をかけてコツコツ描くのではなく、アイデア勝負なところもあるので、ラクに見えたんですね(苦笑)」

 そうして遊びを満喫しながらも、上田さんは順調な学生時代を過ごした。しかし、ここでひとつの転機が訪れる。

「卒業間際になって、ふと気づいたんですよね。自分は美術を専攻して、いろいろな勉強をしてきたんですが、“鑑賞者として美術を楽しんでるのか?”というと、そうじゃなかった。ふだんから美術館に行くわけでもないし、美術愛好家でもない。やってることといえば、たまり場で映画を観たりゲームをやったり。だったら、そっちの世界に行ったほうがいいんじゃないかと思ったんです。そこで、何ができるだろうといろいろ悩んだ結果、なんの根拠もないんですけど、コンピュータを買おう、と。具体的に何がしたいというよりも、そこに大きな可能性を感じたんです」

 決意の末に買ったマシンは、当時、CGならコレと言われていたコモドール社のアミーガ。マッキントッシュよりは多少安価で、動画をグリグリ動かせるのが魅力だった。ちなみに、上田さんがコンピュータの知識を最初に得たのはゲーム雑誌の記事だったとか。

「高校を卒業する頃ですかね。ゲーム雑誌を読み出して、セガのマークIIIというゲーム機を買って、『スペースハリアー』や『北斗の拳』に夢中になって(笑)。アミーガのことを知ったのもその頃。海外にすごいコンピュータがあるという記事を読んで、いろいろ調べました。当時はまだ“おたく”という呼び名はなかったですが、マニア的な視点は持ってましたね」

CGを独学しオーディションへの参加で訪れた人生の分岐点

photo エンタテインメントの世界に進もうとした上田さんではあったが、「どこかに就職する気はなく、とにかく“作家”になりたかった」という。そして大学を卒業し、アミーガを手に入れ……大阪でアルバイトをしながらコンピュータの勉強を、またも“独学”で始めた。

「僕はCGどころかコンピュータの知識もなかったものですから、大学を卒業して1年間くらい、昼間はバイト、夜はコンピュータを覚えるという毎日。周囲にCGをやっていた人もいなかったので、ニフティのアミーガフォーラムに参加したりして、知識を得ていました。で、少し経ったとき、また“このままじゃいかん!”と(笑)。このままでは“作家”どころじゃないとあせって、明和電機を輩出した『ソニーミュージックエンタテインメント アートアーティストオーディション ‘94』というのに応募したんです」

 オーディションへは、同じ大阪芸大の友人とのタッグで参加した。ユニークなコンセプトで定評のあったアートアーティストオーディションに用意した作品は、遊びと器用な物づくりを得意とする上田さんらしい“アート”だ。

「作品は、汚い網に囲まれた中に土を入れた小屋。土の下が機械仕掛けになってて、ラジコンで機械を操作できるんです。リモコンを操作すると、まるで何かが土の下にいるかのように、土をモコモコ動かしたり、何か動物が引っかいてるようなカリカリという音を出すことができる。土の中にそういう習性の猫がいるという設定です。そして、いちばんの売りの機能は、小屋から外に向かって土を飛ばすこと。“これは何だろう?”と誰かがそこを覗いて眺めているタイミングで、観客に土をかけるという(笑)。僕らは、少なくとも人の記憶に残ることがしたかった。土をかけられた人が家に帰りますよね。そして上着を脱いでお風呂に入ろうとしたときに、なぜかポケットから土がパラパラ落ちてきたら、僕らの作品を思い出すだろうと。手段を問わず、“鑑賞者の記憶に残りたい”と思ったのが、それをつくったキッカケです。今までつくったゲームと比べても、これが僕の中では満点に近い作品といえますね」

 作品を提出する2次審査も通過し、3次審査ではパフォーマンスが課題となった。そこで上田さんと友人が考え出したのが?

「セガの“バーチャルロックオン”という光線銃のセンサー部分を取り付けた目隠しヘルメットを被って、ふたりで戦うというパフォーマンスをしました。周囲が見えない状況でキョロキョロすると、相手がいる方向を向いたときに音がする。それを頼りに、相手を探して殴りあうという(笑)。体中にドラムマシーンのスイッチをつけてあって、相手と接触するとすごい音がして、手には火打石を付けているので、殴ったときに火花が出る。とにかくエンタテインメント性が欲しかったので、エンタテインメントなら格闘技だろうと発案しました。なかなか派手なパフォーマンスだったんですが……僕の中での評価は低いです(笑)」

 パフォーマンス審査では、ムチウチになるというアクシデントもあったが、その頑張りの甲斐あってか、彼らはあの佐藤雅彦氏らが名を連ねていた審査員賞を受賞する。

「賞をもらえたことで、作家としてのセンスや考え方が間違っていなかったんだとわかって、とても励みになりました。でも、受賞後に大阪に戻っても、僕の環境は何も変わらなかった。相変わらず、大阪・日本橋の電気店でアミーガを使ったアルバイトをしながら、こっそり自分の作品をコツコツつくる日々が続きました。でも、それがかえってよかったのかも知れない。CGのスキルはどんどん上がっていきましたから(笑)」

ワープに就職〜いよいよゲームクリエイターに

photo そんな生活の中で「CGができるなら、ゲームづくりが面白いんじゃないか」と思った上田さんは、スキルの格段のアップも手伝って、いよいよゲーム会社へのアプローチをスタートする。

「バイトの片手間につくったCG作品をビデオに撮って、ゲーム雑誌に求人広告を出していたワープに応募したんです。もとは美術寄りの人間ですから、いきなりゲームらしいグラフィックも描けないし、それだけじゃ僕自身も面白くないと思ったんですね。ワープは作風も自由そうだし、新しいことにチャレンジしているところがよかった。実は以前にほかのゲーム会社もいくつか受けたんですけど、ダメでした。その理由も今ならわかるんですよ。当時の僕の作品はアート寄りの頭でっかちなものだったので、ゲーム会社だったら使いようがないんですよね。ワープに応募する頃にはそういうこともなんとなくわかってきてましたし、肝心のCGのスキルも予想以上に上がってCG作品も溜まってたので、無事入社できました。当時はまだ、CGツールが使えて絵心がある人間は貴重な人材だったんですね」

 ワープに入社した上田さんは、すぐに大作『エネミーゼロ』のプロジェクトに配属された。だが……。

「会社の中の1スタッフとして作業をしていると、作品の中で“自分ならここをこうする、こうしたい”というのがどうしても出てくる。もっとCG映像に適した設定や脚本がつくれるんじゃないか?僕はそういう作品を個人レベルでつくりたいと思って、『エネミーゼロ』が完成してすぐ、1年半ほどでワープを退社しました」

 やはり、そこは“作家”を目指した人。上田さんは、自分の信念、こだわりを実現できるよりよい環境を求めて、新たな活動を開始した。

「ワープを辞めた時は、すでに自宅で短編のCG映像をつくり始めてました。それを持ってどこかにプレゼンができればいいと。そうこうするうちに、ネットでCG関係の人と知り合いになりまして、その中にSCEの人がいたんですね。ちょうどSCEで“パワーアニメーター”というツールを使える人を探してると聞いたので、とりあえず、それを仕事にして、自分の作品は自宅でつくればいいや、と軽い気持ちで面接に行きました。27歳の時です」

 オーディションに合格してからの上田さんの人生は、意外なほどに順調に進んでいく。SCEの面接でも?

「“自分の作品づくりもあるので、今すぐには働くことができないんですが……”と正直に伝えました。そうしたら、“SCEで場所を貸すから、そこでつくれば?”と言ってくれて……会社に自宅よりいいマシンを揃えてもらって、作品づくりに没頭できました。そうして生まれたのが『ICO』だったんです」

絵を褒められた経験が原点となった幼稚園〜小学校時代

photo 上田さんは自身を「ちゃらんぽらんで面倒くさがり」と評するが、それは同時に「一度決めたらとことん努力し、信念を持って行動する」ことへとダイレクトに繋がっている。上田さんがゲームデザイナーとして突出した個性を発揮できたのも、彼の生き方あってのことではないだろうか?

「ここまでを振り返ってみると、無駄なことはしていないんですよね。何かをしたいから努力を始めるというのもそうなんですが、自分が何に秀でているかをいつも客観的に見ていたので、それに合わせて何をやるかを決めているんです。オーディションの時の作品もアイデア勝負でしたし、もとは具象絵画が得意だったので、手先が器用。それらとCGの技能が合致したのが、ビデオゲームの世界だったんです。それほどたくさんのことをやってきたわけではないですが、自分のそれまでの経験を有効活用できてるとは思います」

 さらに上田さんは、ゲームクリエイター志望者には次のアドバイスを伝えてくれる。

「大切なのは、『信念を持って、自分の決めたことをやり遂げること』ですね。それは、人の目には時にわがままに映るかもしれないし、僕自身もわがままな人間だとは思うんですが(苦笑)、そういう意味では、僕にとってゲームの仕事は天職だと思いますね。ただ、誤解して欲しくないのは、エンタテインメント性に欠けたものをつくるつもりはない。大学時代の映画づくりで僕が失敗したように、ひとりよがりの作品は、観ても面白くない。ゲームはよりたくさんの人に、より深く楽しんでもらうことが大事ですから、“大衆性があること”と同時に、そこに“作家の個性があること”がいちばん重要なことだと思います」

 そして、ゲームファンがいちばん気になる質問を最後に。上田さんのゲームづくりは、今どうなっているのだろう?

「次世代機に関しては、今、何がどこまでできるかを検証しているところでもあるので、そこはじっくり取り組みたいですね。ほかには、形のあるものをつくるのも好きなので、オモチャの開発なんかにも興味があります。テレビゲームはモニターの中で完結しますが、オモチャは出力にも自由度があるので、さらに驚きのあるものをつくることが可能なんじゃないかと。機会があれば、いつかやってみたいですね」

Profile
上田文人(うえだ ふみと)
1970年4月19日生まれ。兵庫県出身。大阪芸術大学美術学科卒業。大学卒業後、コンピュータグラフィックのスキルを独学で身につけ、’95年にワープ入社。その後、’97年にSCEに入社し、『ICO』『ワンダと巨像』ディレクター/ゲームデザイナー/アートディレクターとして活躍。センシティブな感性で、絵画的な表現とエンタテインメント性を両立させた独特の世界観、斬新なゲーム性は、日本はもとより世界でも高い評価を受ける。
Q&A
Q 音楽でも映画でも食べ物でも、好きなものを教えてください。
A タイムスリップ系の話
サバイバル系な事
東急ハンズ
自作、カスタム、リメイク(趣味?)
ダウンタウン(タレント)
アニメーション動画
大きな書店
探偵ナイトスクープ(テレビ番組)
Q 尊敬する人は誰ですか?また、その理由も教えてください。
A たくさんいて絞れません
Q 今、一番楽しみにしていることは何ですか?
A 新作映画を観ること
Q 今、一番欲しいものは何ですか?
A 駐車場
Q 最近感動したことは何ですか?
A ドドンパ(富士急ハイランドのアトラクション)
Q 時間が出来たらやりたいことは何ですか?
A 引越し
Q 座右の銘はありますか?
A 特にありません
Q もしゲームクリエイターになっていなかったら、どんな職業に就いていたと思いますか?
A 映像制作系でしょうか
Q 生まれ変わってもゲームクリエイターになりたいですか?
A はい
Q 今まで手がけたゲームの中でいちばん印象に残ったタイトルは何ですか? また、その理由も教えてください。
A 「ICO」:何もかもが初めてだったので
上田文人氏の軌跡
幼稚園時代
はじめての絵画コンクールでの入賞。
小学校4年生
空手を始める。
小学校5年生
はじめてのスランプ。
高校3年生
子供部屋消失。
大学1年生
友人たちと一軒家を借りる。
大学卒業時
アミーガを購入する。
1994年
『ソニーミュージックエンタテインメント アートアーティストオーディション ‘94』で審査員賞受賞。
1995年
株式会社ワープ入社。
1997年
株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント入社。
2001年
『ICO』発売。
2005年
『ワンダと巨像』発売。
関連資料
イメージ図
オーディション応募作品のイメージ図。
関連作品
ジャケット
ICO PlayStation®2 the Best
ジャケット
ワンダと巨像 PlayStation®2 the Best
公式サイト
『ワンダと巨像』公式サイト
『ICO』公式サイト
◇よろしければ 今回のインタビューのご感想をお聞かせください。
Back Numberはこちら
ページの先頭へ