「ソフトのことを話すなら、いくらでも大丈夫なんですけど、自分のことを喋るとなると、ものすごく緊張しますね。就職の面接を受けに来たみたいで(笑)」と語るのは、『喧嘩番長』シリーズのプロデューサーを務める平塚浩志さん。平塚さんは埼玉県・川口市生まれ。サラリーマン家庭に生まれた普通の少年時代を過ごした。だが、今でこそ明るく、人なつっこい笑顔と柔らかな語り口が印象的な彼だが、子供時代はかなりの堅物だったという。
「子供の頃の僕は、今とはずいぶん違ってましたね。小学校、中学校時代は勉強もよくやっていて、いわゆる優等生タイプ。冗談が通じないくらい真面目で、ものすごくおとなしい子でした。だから、友達もそれほど多くなくて……悪い言い方をすれば、まわりの大人や先生の顔色をうかがってるような。なんたって、自分で立候補して学級委員をやっちゃうんですから(笑)。人に褒められたい人間だったんでしょうね。今の僕なら、あんまり友達になりたいタイプではなかったとは思いますね(苦笑)」
人と冗談を交えて話すのは苦手。友達がからかってきても、本気で怒ってしまうから、相手にしてみれば、けっして付き合い易い子供ではなかった。家に帰ってからの趣味もずいぶん内向的だった。
「スポーツが好きで、ふつうにサッカーをやったり、野球やソフトボールをやったりはしてましたけど、とりたてて趣味というものはなかったですね。ゲームも……流行ってはいたんですが、本体と『ファミスタ』をセットで友達に貸しっぱなしにしてたくらいで(苦笑)、僕自身はそんなにゲーム好きでもなかった。ゲームクリエイターとして取材を受けるのが申し訳ないくらい、子供時代のゲーム体験も少ないんですよ。あえて大好きなものを言うなら、マンガかな。特に『週刊少年ジャンプ』は毎号読んでて、大好きなマンガのページを切り取ってファイリングしておいて、オリジナルの単行本をつくってました(笑)」
好きなマンガはどちらかといえば、ややマイナーな作品。その嗜好は、大人になった今でも続いているという。
「僕が生まれたのは1972年なんですが、どうやらこの年代は、俗に“スラムダンク世代”と呼ばれているらしいんですよ。テレビでそう言ってました(笑)。確かに、『スラムダンク』も『北斗の拳』も『聖闘士星矢』も大好きですけど、いちばん記憶に残ってるのは、小学校低学年のときに読んでた『ブンの青シュン!』(みやたけし作)ですね。野球マンガなんですけど、そのなかに“初速より終速のほうが速い球”っていうのが出てくるんです。今思えば、物理的にあり得ない話なんですけど、マンガの中ではものすごく理論的に解説されてるんですよね。魔球に科学的な説明が入る野球マンガをそれまで読んだことがなかったものですから、すっかりシビれちゃいました(笑)。あとは、『ゴッドサイダー』(巻来功士作)も心に残るマンガでしたね。言いまわしが独特なんですよね。どっちかというと、みんなが好きなメジャーな作品より、マニアックな香りのするマンガのほうが気になる。基本、B級ファンなんですよ、僕って(笑)。今、『喧嘩番長』の絵柄が独特な雰囲気なのも、そういう気質が反映されてるからかも知れませんね。あ、もちろん“いい意味で”ですけど(笑)」
小学校時代の思い出といえば、平塚さんの心に強烈に印象に残っている体験がある。それが、交通安全子供自転車大会への参加。平塚さんの通う小学校は、学科試験と併せて自転車のジグザグ走行や板乗り、片手走行や旋回走行など自転車走行技術を競う全国規模の大会に、全校を挙げて積極的に取り組んでいた。
「大会の正式名称はよく知らなくて、当時、僕らは“安全な自転車乗り大会”と呼んでましたね(一同爆笑)。僕が通ってた小学校は特にそれに力を入れていて、県大会出場を目指すために、小学校4年生から6年生まで各クラスから代表選手がふたり選ばれて、1年間みっちり訓練させられるんですよ。ただし、選手に選ばれたといっても、特別な選考基準があったわけでもなく。HRみたいな時間に“習い事をしてない人、手を挙げて”と担任に言われて、挙手したのが僕ともうひとり。じゃあ、そのふたりに決定、みたいな(笑)」
始めは嫌々ながら練習に挑んだ平塚さん。だが、そこで生まれて初めて挫折を味わい、元来の真面目で負けず嫌いな性格に火がついた。
「最初にクラスの代表が全員集まったときに、交通規則が出題される学科試験の模擬テストをやったんですが、僕、その問題が全然できなくて、歴代最低点を取ってしまったんですよ。そうしたら、まわりのみんなにずいぶんバカにされて。僕は、勉強ではそれまで優等生だったので、最低点を取ったことがものすごく悔しくてね。僕の人生にとって、それが初めての挫折だったんですよ。だから、これ以上はほかの子に負けたくないと思って、そこからは一生懸命でした」
それからの平塚さんは、夏休みも冬休みもなく、毎日、自転車と格闘した。練習を重ねるうちに、腕もめきめき上達。チームはもちろん、個人でも優秀な成績を治めるまでになった。
「練習はものすごく厳しかったですよ。ウチの小学校は、その筋では名門だったみたいで(笑)。朝8時から朝練があって、放課後、遅いときは夜の10時まで、毎日。もちろん、顧問がついてですけど、誰よりも多く練習しましたね。おかげで、5年生のときには川口市の大会でチームはもちろん1位。僕個人も2位〜3位くらいの成績で。県大会でもチームは2位で、僕も4位くらいに入ってました。4年生から5年生までの2年間は、まさしくスポ根マンガの世界で暮らしてました。僕は中学・高校でも運動部をずっとやってましたが、小学校時代のこの練習が、生涯でいちばん苦しかったですね(笑)。ところが、これにはオチがあって、次に、本当なら全国大会に行けるはずだったんですが、春先に顧問の先生が転勤になってしまい、そのあと、誰も顧問を引き受けてくれなかった。結局、全国大会には行けずじまいだし、その後、チームも解散しちゃって。あれにはガッカリしましたね」
『喧嘩番長2』にはバイクだけではなく自転車も登場するが、そこには、小学生時代の自転車大会の思い出も詰まっているのかも知れない。もちろん、その真相は、平塚さんしか知らぬことではあるが。 |