勉強しなければならないことはやらないでいい。クリエイターに必要なのは自然に湧き出る好奇心なんです。
 後藤能孝
個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに、“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。第9弾のゲストは、PLAYSTATION®3の超話題作『ガンダム無双』プロデューサーのバンダイナムコゲームス・後藤能孝さんだ。紆余曲折を経てゲームプロデューサーになった後藤さんは、偶然をキッカケに“好きをカタチに”した幸運の人でもある。無類のテレビっ子だった後藤さんが、“無類のキャラ好きプロデューサー”になるまでの半生には、どんなエピソードがあったのだろう?
取材・文/阿部美香(ライター)
Profile
後藤能孝(ごとう よしたか)
1975年7月8日生まれ。愛知県豊橋市出身。愛知県立時習館高等学校、早稲田大学商学部を卒業後、1999年にバンダイ入社。コンシューマ事業部市場開発担当を経験し、ビデオゲーム事業部制作宣伝チームに異動。ソフト広報・宣伝活動を経て、現在、ゲームスコンテンツ制作本部Bプロダクション第1チーム プロデューサー。代表作は『ガンダム戦記』『機動戦士ガンダムSEED DESTINY 連合 VS. Z.A.F.T.II PLUS』『ガンダム無双』ほか多数。ガンダムゲーム以外にも、さまざまなキャラクターゲームのプロデュースを手がけている。
Q&A
Q 音楽でも映画でも食べ物でも、好きなものを教えてください。
A 【映画】
『就職戦線異状なし』
『いま、会いにゆきます』
『伝説巨神イデオン 発動篇』
『銀河鉄道999』

【ドラマ】
『振り返れば奴がいる』
『ロングバケーション』
『白線流し』

【小説】
『銀河英雄伝説』
『白い巨塔』
『白夜行』
Q 尊敬する人は誰ですか?また、その理由も教えてください。
A 森田 一義(タモリ)さん
特定の師匠につかないで、独自の芸により現在の地位を確立しているところや、司会者の仕事などもしっかりこなすなど多才なところが、素晴らしい方だと思います。
Q 今、一番楽しみにしていることは何ですか?
A 寝ること。
Q 今、一番欲しいものは何ですか?
A 彼女
Q 最近感動したことは何ですか?
A 『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』を観て、出来の素晴らしさに感動しました、最近じゃないですけど。
Q 時間が出来たらやりたいことは何ですか?
A 映画やドラマやアニメをありったけ観たいです。
Q 座右の銘または好きな言葉はありますか?
A 「不向きなことを克服するのに時間と労力をついやすほど、人生は長くない。」(『銀河英雄伝説』より)
Q もしゲームクリエイターになっていなかったら、どんな職業に就いていたと思いますか?
A 日本に一番多いタイプのサラリーマン。
Q 生まれ変わってもゲームクリエイターになりたいですか?
A なりたいけどなれないでしょうね
Q 今まで手がけたゲームの中でいちばん印象に残ったタイトルは何ですか? また、その理由も教えてください。
A 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY 連合 VS. Z.A.F.T.II PLUS』
理由:実は初めてのハーフミリオンタイトルなんです。
後藤能孝氏の軌跡
幼稚園〜小学校時代
特撮・ロボットアニメから時代劇までテレビを見る毎日
中学校時代
外見だけヤンキーっぽくても必死に裏で勉強
高校時代
“再放送タイム”重視の日々
大学時代
テニスサークルを楽しむ学生生活
「エヴァンゲリオン」にはまる
1999年
バンダイ入社
2002年
『機動戦士ガンダム戦記』発売
2006年
『機動戦士ガンダムSEED DESTINY 連合vs.Z.A.F.T.II PLUS』発売
2007年
『ガンダム無双』発売
関連作品
ジャケット
ガンダム無双
ジャケット
機動戦士ガンダムSEED DESTINY
連合vs.Z.A.F.T.II PLUS
【ゲーム特集】
ガンダム無双

“アニメ天国”の恩恵に与った幼稚園〜小学校時代

photo PLAYSTATION®3で発売中の『ガンダム無双』は、『無双』シリーズで知られるコーエーとバンダイナムコゲームスが、初めてタッグを組んで制作にあたった新機軸のガンダムゲームだ。そのバンダイナムコゲームス側のプロデューサーとして活躍しているのが、今回のゲスト、後藤能孝さん。「今でこそ、まわりの人には“ガンダムゲームのプロデューサー”というように思われてるんですけど、子供時代はガンダムよりもウルトラマンのほうが好きだったんですよ」と後藤さんは言う。

「僕の生まれた愛知県はサンライズ作品で名を上げた名古屋テレビがありますから、昔から“アニメ天国”なんですよね。名古屋テレビに限らず、ありとあらゆるアニメ、特撮の番組が繰り返し放送されてるんですよ。昔は特撮番組もゴールデンタイムに放映されてましたしね。特に、ウチは母親がテレビが大好きだったので、アニメや特撮を見ていても全く怒られない。幼稚園から小学校にかけては、必然的に熱狂的なテレビっ子でしたね」

 そんな後藤さんの口からは、当時観ていたテレビ番組のタイトルが立て板に水、という風情でたくさんこぼれてくる。「もちろん、子供ですから外で遊ぶことも多かったですけど……」といいつつも、『ウルトラマン』シリーズなどの特撮番組、ロボットアニメから、母親と一緒に観ていたという時代劇ドラマ『必殺』シリーズまで、ありとあらゆるテレビ番組が、後藤さんを育んでいった。ところで、肝心の『ガンダム』は?

「ファーストガンダムは、再放送をものすごくたくさんやっていましたね。ファーストを初めて観たのは、おそらく小学校に上がる前。ただ、観るたびに、話がよくわかんないなぁと思ってて、それほど好きではなかったんです(笑)。絵柄も地味でしたからね。子供としては、『宇宙大帝ゴッドシグマ』のほうが刺激的で面白かった。ファーストをちゃんと認識したのは劇場版の『機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙』あたりから。そのあと、映画館で『逆襲のシャア』のロードショーを観たら、ものすごく面白かったんです。当時の映画館は入れ替え制ではなかったので、立て続けに2回観ました。テレビでファーストを観ていたときにはよくわからなかったアムロとシャアの関係が、そこでようやく理解できたんですね。でも、テレビ版のファーストを観直したのは、それからずいぶん経ってから。高校生ぐらいだったと思います」

 では、後藤さんがガンダムにハマったきっかけは、どの作品なのだろう?

「ガンダムをちゃんと観るようになったのは小学校5年のときの『Z』(機動戦士Zガンダム)から。でも、主人公(カミーユ・ビダン)が根暗だったので(笑)、それほど好きでもなかったんですよ…今では大好きですけど。Zガンダム自体が、ガンダムらしい顔をしてなかったし、内心“ダセエなぁ”と思ってました(苦笑)。本格的にガンダムにハマったのは、次の『ZZ』(機動戦士ガンダムZZ)がキッカケですね。今でも、シリーズの中でいちばん好きな作品です。『ZZ』が好きな理由は……主人公ですね。ジュドー(アーシタ)の前向きなところに惹かれます。ハマーン(カーン)が劇中で、カミーユに対しては辛らつなのに、ジュドーに対してはそんなことはなく、ことあるごとにジュドーはすごいと言ってますよね? あの“ハマーン様”に見初められるんだから、彼は相当たいしたヤツなんじゃないかと……」

“三つ子の魂百まで”とよく言うが、後藤さんの半生は、まさにそれを地でいっている。無類のテレビ好きとして育った幼少時に触れた作品。それらは、その後の後藤さんの生活に大きな影響を与えることとなる……。

環境が人をつくる? 強面で過ごした中学時代

photo  テレビ大好き、アニメ大好きで育った後藤さんは中学に入学する。だがそこは、当時の社会を反映した、校内暴力真っ盛りの荒れた学校だったという。想像をたくましくすれば、そこで後藤さんは、そんな学校から距離を置いた生活をするのでは? と思ってしまうが……?

「いや、それが……(苦笑)。僕の通った中学は、いかにもなヤンキー学校。毎月のように、ガラスがバリバリ割れているようなところでした。週刊の少年マンガ誌でも『カメレオン』や『今日から俺は!!』がちょうど始まったときで、僕も愛読しましたしね。それでわかったのが、僕がヤンキーの被害を受けないためには、仲良くなるしかないということだったんですよ(笑)。そこで、まずは格好から彼らに染まって。といっても、別に嫌々やってたわけじゃない。今でこそ、学ランのヤンキーはほぼ絶滅の危機に瀕していますが、やっぱり、当時はそれがファッションとしてカッコよかったんですよね。なので、真っ先に学ランを売ってる店で、『今日から俺は!!』の三橋と同じ制服にしてくれと注文しました。愛知では短ランが流行っていたので、“短ラン・ボンタン・赤いTシャツ”でベルトはエナメル、みたいな。当然、髪型もおっ立てて(笑)。月にスプレーを1缶使い切ってました。今でも、当時のヤンキースタイルはカッコいいと思いますからね(笑)」

 とはいっても、ヤンキーに染まっていたのは外見だけ、というから後藤さんも意志が強い(笑)。当然、少しは悪ぶった素振りもあったのだろうが、それは学校の友達と一緒のときだけだったとか。

「そもそも喧嘩は弱いし、どちらかというと悪知恵が働くタイプ。喧嘩なんかしなくて逃げ回っていました。ただ、いつまでもヤンチャをしていても将来いいことはないだろうと、じつはちゃんと勉強していました(笑)。それも、ちゃんと勉強しようと思ったのは……実は織田裕二の影響なんですよね。織田裕二がドラマの『予備校ブギ』とか映画の『就職戦線異常なし』に出てて、早稲田大学に入るとかテレビ局に入社するとか、そういうカッコいい姿をしていた。なんせ、テレビっ子でミーハーなものですから、当然、自分もそうなりたいと思っちゃって(笑)。そのためには、とりあえず高校は進学校に進まなきゃダメ。勉強せざるを得ませんよね」

 世を忍ぶ仮の姿とはよくいったもの。後藤さんは、友達には自分の“アノ”趣味すら隠していたらしい。

「中学時代の友達には、自分がガンダム好きだということは隠していました。未だに、当時の友達には“後藤がガンダム好きだったなんて、知らなかった”って言われますよ(笑)。なぜ隠していたかというと……もしそれがバレたら“じゃあオマエ、あのガンプラ買ってこいよ!”なんて命令されそうだったから(笑)。友達もみんなガンダムは好きでしたから、わりと話題にもなっていたんですけど、僕は適当に話を合わせる程度にしてました。だから最近、ゲーム雑誌のインタビュー記事などに僕の名前や顔写真が載るようになって、逆に昔の友達がそれを見て、“後藤、ガンダムのゲームをつくるってことは、本当に大変なことなんだぞ!”と心配してくれるんですよ(笑)。ごく一部の人間にだけですね、ガンダム好きをカミングアウトしていたのは」

 ところで、今では仕事になってしまった“ゲーム”のほうは?

「それももちろん、テレビやガンダムと同じくらい好きでしたよ。『ストII』(ストリートファイターII)ブームが勃発していたせいもあって、ゲームは頻繁に遊んでいましたね。特にガンダムゲームは。『SDガンダム ガシャポン戦記』とか。とはいえ、当時はそれほど数多くのソフトが発売されていたわけでもないですから、もし、僕が今、小中学生だったとしたら『スパロボ』(スーパーロボット大戦)やガンダムゲームばかりやって、まったく勉強しない子になってたでしょうね(笑)」

ますます趣味に耽溺した高校時代

photo  ここで思い出すのは、織田裕二に憧れて勉学に励んでいたという話。進学校を目指すという決意は、実を結んだのだろうか?

「中学では生活態度が良くなかったので内申書は悪かったんですが、試験の成績がそこそこだったのと、受験当日、張っていたヤマがずばり当たりまして、無事に目標を達成することができました。進んだ高校は県立の時習館高校というところ。ほかにも家から通える進学校はいくつかあったんですが……ここ、県立のくせに名前がやけにカッコよかったんですよ」

 県下でも指折りの進学校だった時習館高校は、それまで後藤さんが通っていた中学とはまるで雰囲気が違っていたらしい。だが、わが道を貫いていた後藤さんは、入学早々に学校の歴史に残る(?)エピソードを残すことになる。

「それまでの中学生活からは考えられないほどに、真面目な生徒ばかりで驚きました。さすが進学校は世界は違うな、と。でも入学式から僕は、中学時代と同じ短ラン、ボンタンで通っていたので、入学して2日目には、職員室に呼び出されましたね。しょうがないんですよ、そういう制服しか持ってないんですから(笑)。先生には“初日からこんな格好のヤツ見たことない”と言われましたが、僕は“それはしょうがないですよね、入学しちゃいましたから”と先生をたしなめて(笑)。そのあとも、短ランで3年間ずっと通い続けましたね。まぁ、それはあくまで格好だけ。見た目はともかく、高校生活は真面目にやってましたよ」

 わが道を貫いていたといえば、趣味もしかり。趣味といえば、もちろんテレビだ。

「高校時代の目標は、夕方4時には家に帰り着くことでした。その時間から、テレビが“再放送タイム”に入るんですよね。4時からがドラマで、5時からがアニメかな。ドラマでは大映ドラマとか、トレンディドラマとかがちょうど始まってて、アニメのほうはいろいろでしたが……例えば『北斗の拳』。『2』が終わると、また『1』が始まるので油断できないんです(笑)。ガンダムシリーズも同じですね。ファーストが終わったら『Z』『ZZ』とやって、またファーストに戻る。さすがは愛知県(笑)。……という具合で、家に帰ってからは、ずーっとテレビを観て過ごす日が、3年間。遊び盛りの高校生の息子が、毎日毎日、外にも遊びに行かず家にいるもんですから、さすがに親も心配しましたね、この子はどういう生活を送っているんだって」

「本当に、今思い返しても、テレビの話題以外は華々しいエピソードなどひとつもない高校時代」と後藤さんは笑いながら振り返る。しかし、そのテレビっ子、アニメっ子生活がのちの仕事に実を結ぶことになる。“好き”を貫くことは大切なことだ。

「そうこうするうちに、大学進学の時期にくるわけですけど……まわりの友達は、医者になる、弁護士になる、こんな仕事に就きたいから○○大学の××学部を選ぶんだと、将来の目標がちゃんとしていたんですが、僕はホントに何にも考えてなくて。思っていたことといえば、大学に入ったらドラマで見た織田裕二みたいな生活をしたいということくらい(笑)。だから、行きたい大学も、名前が通ってて女の子にモテそうなところなら学部は全くこだわりナシでした。第1目標は映画で織田裕二が通っていた早稲田大学でした。ほかにも、立教とか上智とか青山学院とか……関西なら同志社とか関西学院とか……いやぁ、いいかげんな選び方。高校の先生には、“いったいオマエは何をしたいんだ?”って言われたもんですよ(笑)。結局、1浪して早稲田の商学部に引っかかり、ほかにもいくつかの大学に受かったんですが、なんせ目標が目標ですから、迷うことなく映画の中で織田裕二が通っていた早稲田に進学を決めました(笑)」

あの作品と運命の出会いを果たした大学時代

photo  さて、ついに中学時代からの憧れだった、東京の有名大学での学生生活がスタートした後藤さん。彼はまずテニスサークルに入り、キャンパスライフを満喫する。

「やっぱり、大学といえばサークル、サークルといえばテニスしかないですよね(笑)。まわりの女子大からも女の子がたくさん入ってくるから、飲み会も楽しいし、女の子の友達は激増しましたね。要するに、まさにドラマに出てくるような、念願の遊び放題の学生生活を送っていたわけです(笑)。大学時代は、僕にとっていちばんヒマな時期でした。でもそこで、運命の出会いをしてしまうんですよね、『エヴァンゲリオン』(アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』)と」

 運命の出会いなどと言葉にすると大げさに聞こえるのだが、なるほど、話を聞いてみると、後藤さんがそう呼ぶ理由もよくわかる。

「たまたま、授業にも行かずに1日中寝てた日があったんです。“やばい、夕方まで寝ちゃったよ”と思いながら、何気なくテレビをつけたら、主題歌の〈残酷な天使のテーゼ〉が流れてきたんです。しかも、タイミングがいいことに、たまたま観たその日が、初回放映の第1話。もともとがアニメ好きですから、しっかり最後まで観てしまい、“スゴいアニメが始まったな、これは!”とハマってしまった。それからは毎週欠かさず観るようになり、しかも最終回があんな終わり方で“いったいどうなってるんだ!”と(笑)。当時も、ネットを中心にファンが騒いでいましたが、僕もそのひとりでした。大学のサークル仲間や当時の彼女にも、僕はガンダムはおろか、アニメが好きだなんてことは、もちろんひと言も言ってませんでしたけどね(笑)。唯一ひとりだけ、カミングアウト済みの男友達がいまして、僕がそのとき『エヴァンゲリオン』に夢中になっていることを知っていたのは彼だけ。『エヴァンゲリオン』熱は、就職活動をするころまでずっと続きました」

 ハマっていたのは『エヴァンゲリオン』だけではない。

「ゲームの趣味も、ずっと続けていましたね。高校時代に『スパロボEX』に出会い、第3次、第4次……と、続いていきました。当時いちばん好きな作品は、イデオンとエヴァンゲリオンが出てくる『スーパーロボット大戦F』と『〜F 完結編』でした。ガンダムゲームに関しても、大学時代にPSやセガサターンの時代がやって来てから、それまで以上に続々と発売されるようになり、またゲームへの熱が高まっていました。当然、『FF』(ファイナルファンタジー)も『ドラクエ』(ドラゴンクエスト)も『バイオ』(バイオハザード)も遊んではいたんですが、好き嫌いで言ったら、断然、キャラクター物が好きでした」

 そんな学生生活を送りながら、後藤さんは就職活動の時期を迎える。アニメ、ゲームが根強い趣味として後藤さんの中にはずっとあったが、彼が思い描いていたのは「ちゃんとスーツを着て、夕方にはかわいい子供と奥さんの待つ家に帰るような、いたってふつうの営業マン」という人生設計だったという。ねらっていたのは、当然、お堅い企業。時代が新卒者にとって就職の“超氷河期”を迎えていたこともあり、戦略志向の強い彼は、会社四季報とにらめっこをしながら、車メーカーや重工系の企業などを目標に、リクルート活動にいそしんだ。

「ところが、就職活動をしているうちに、たまたまバンダイの会社説明会があることを知り、息抜き気分で行ってみたんです。自分としては、玩具メーカーに就職する気はまったくなかったんですが、軽い気持ちでエントリーシートを出したら、面接に来いという連絡が来ちゃったんですよね(笑)。面接では、ガンダムにまつわる話や商売にまつわる提案を思うがままにしゃべったり書いたりしてましたよ。関連会社を再編成したほうがいいとか……。ダテに商学部を出たわけじゃないですよ(笑)」

 バンダイへのアプローチは、後藤さんにとっては“本気”ではなかったぶん、思うがままの自由な発言ができた。それがかえって功を奏したのか……。

「なぜかバンダイから内定が出てしまいましてね。そして、僕は同時に某大手自動車会社からも内定をもらったんですよ。当然、僕の会社選びの条件からいえば、そっちの方が最高の就職先でした。でも……待てよ、と。考えてみたら、僕は車のことがさっぱりわからないということに気づいてしまったんです(笑)。もし、車に全く興味のない自分が営業まわりをしても、上手くいくわけがない。だったら、クルマの何百倍も知識のあるウルトラマンやガンダムのオモチャを売ってまわったほうが、絶対マシだと思いました。思えば、子供時代にウルトラマンやガンダム、大学時代に『エヴァンゲリオン』にハマっていなかったら、バンダイという会社に興味を持つこともなかったでしょう。だから、この道を仕事にしてしまったのは、キャラクターのせいといってもいいですよね(笑)」

 子供時代からの“三つ子の魂百まで”は、ここに結びつく。それまで理詰めで就職活動をしてきた後藤さんではあったのだが、最後の最後は、やはり自分の心の奥の声に従ったのだろう。

「中学でのヤンキースタイルも、進学校に進んだのも、大学選びも、出だしはすべてミーハー心で、その後理詰めで考えた行動をしているつもりですが……最後はツメが甘いというか、いつもいいかげんで(笑)。人間、形を整えても、やっぱり流れ着くところは自分の根っこの部分なんだなぁと思いますね」

バンダイ入社〜波乱の人生が始まった!?

photo  さて、当初の人生設計とは異なる一歩を踏み出した後藤さんだが、バンダイに入社以降はどんな道のりを歩んでいたのだろう?

「4月に入社して、僕は売場をまわることになり、希望する部署を聞かれました。トイかゲームか、そのほかのホビーなどの部署にいくか。で、僕はゲームを希望しました。その理由は、ゲームの部署がいちばん自分の知識があったから。そうしたら、半年後の10月には大阪に異動になってしまったんです。しかも、東京から行った同期の4人で、西日本全域のゲーム販売店に営業活動をしろという指令が下りまして。各人が担当する地域を決めて、1週間、大阪に帰らず担当地区の売り場をまわりっぱなしという日々を、約半年間続けました。あれは、かなり辛い仕事でしたね。おかげで、プライベートもろくになく、仕事ばかりしていた気もします」

 入社早々、過酷な仕事にまわされた後藤さんは「辛かった。かなり辛かったですけど、ここで会社を辞めたら負け。なんせ、時代はまだ就職の超氷河期でしたから、バンダイを辞めても、ほかに行く会社がないんですからね」と、当時を振り返る。そして半年後。

「東京に戻れることが決まったんです。そして、大阪に人事部の人が来て“これから後藤君は、どんな仕事がしたいんだ?”と聞くわけですね。そこで僕は、“開発と宣伝だけはイヤだ”と答えたんですよ。だって、それは見るからに面倒な仕事だし、開発職なんていうのは、才能のある人がやるべきじゃないですか。そうしたら、人事には“何をいうんだ、開発と宣伝こそウチの会社の花形だぞ”と言われました。でも本当に、僕にはそんな花形の仕事をする才能なんかカケラもない。もっと“縁の下の力持ち”のような経理だとか仕入れ担当だとかのほうが自分にはお似合いだと思っていたんです」

 ところが、いざ後藤さんが東京に戻ってみると……当時80人ほどいた同期のなかで、彼ひとりだけがゲーム事業部の開発・宣伝に配属される。

「驚いたのは僕のほうですよ。きっと、学生時代の蓄積もあって、僕がアニメキャラクター物に相当詳しいということが上司にも知れ渡っていたんでしょうね。当時は全く本意ではなかったんですが、あそこで開発・宣伝の部署に配属されなければ、今、僕がこうしてインタビューを受けることもあり得なかったでしょうね。人生は、思うようにいかないものですね(笑)」

ゲームプロデューサーに至る道

photo  開発・宣伝職に就いてからの後藤さんの生活も過酷だった。ビデオゲーム事業部はもともと、内部でのゲーム開発を行なうことが少なかったため、後藤さんの担当した仕事は、メディア対応から開発チームの手伝いなど守備範囲が広いにも関わらず、かなりの少人数できりもりされていたという。

「だから、とにかく雑用は何でもやりました。ゲーム雑誌向けの資料をつくるのも、イベントの会場づくりをするのも、開発のデバッグの手伝いをするのも、会社の大掃除の仕切りをするのも、営業の手伝いをするのも全部僕の仕事。ビデオゲーム事業部自体、人員が少なかったですから、ゲームをつくるところから売るところまで、ありとあらゆることに詳しくなりました」

 そうするうちに、後藤さんはプロデューサー職も手がけるようになり、現在に至る。ゲーム会社のプロデューサーというと、開発畑からそのまま上に上がるというイメージが強いが、そうではない経歴を持つ後藤さんは、だからこそ見えてくる何かを大切にしながら、作品づくりに経験をいかしているともいう。

「雑用が辛いのは確かですが、それまでの経験が今の仕事にとっては、とてもいいことでしたね。特に、ゲームショップの売り場まわりをしていたときの経験は大きい。プロデューサーになった今でも、プレゼン会で売り場の方に会うことも多いですし、その売り場によって効果的な宣伝方法も違う。いろいろな雑用をしていたからこそ、いろいろな立場の人とのつながりができ、実際に僕らがつくったソフトを扱ってくれる相手の顔が見えるからこそ、作品づくりにそれをいかすことができるんです」

 ではここで、あえてゲームプロデューサーという職業に大切なものを後藤さんに聞いてみると?

「物をつくる、なかでもゲームソフトという商品をつくる上で、僕個人が考えられるアイデアなんて、たかが知れてますよ。今でこそ、プロデューサーという肩書きがついていますが、大切なのは、僕の個人の力なんかではなく、いかに優秀なブレーンを多く集められるかですよね。僕が考えるプロデューサーという仕事は、“大いなる雑用屋”。もし、これを読んでいるなかに、ゲームプロデューサーを目指す方がいるなら、なんでも雑用を苦と思わないことですね。そして、悪い意味ではなく、ちゃんと損得勘定ができるようになってほしい。いくらいいゲームをつくっても、それで赤字を出してしまったら、次がつくれない。ゲームを“作品”としてだけじゃなく、“商品”として見ることができる。その逆も。それがゲームプロデューサーに求められる損得勘定なんですよね」

 もうひとつ質問。よく、プロデューサーという作品の責任者には、世間の動向を知るための勉強が必要と聞くが、後藤さんはどう考えているのだろう?

「それはよく聞く話ですよね。今世間で流行っていることは勉強のために覚えなければならないと。でも、僕からすると、無理して勉強しなければ身につかないようなことは、やるべきじゃないんです。人間、本当に興味のないことは、絶対に忘れてしまうものですからね。特に、僕が手がけているのはキャラクター物ですから、根っから題材が好きじゃないとできない仕事。もし、そういう作品のプロデュースをしたいということなら、それよりも、そのジャンルでの想像力を磨くことのほうが大事かも知れませんね。例えば、ドラマを観たらその原作を読む。そして、またドラマに戻って、制作者が何を伝えたいか、原作者が何を伝えたかったのかの意図を読み解いてみるとかね。そういう好奇心から、想像力が生まれてくると思うんですよ。でも、それを無理してやろうと思っちゃダメでしょうね。心が折れるだけですから(笑)。好奇心を自然に育てることのできる人が、ゲームクリエイターに向いているんじゃないですかね。あくまで、僕の考えですけど」

『ガンダム無双』とこれからの後藤流ゲームづくり

photo  そんな後藤さんの最新作は、みなさんご存知の超話題作『ガンダム無双』。発売後、高評価を得ている最新作についても話をしてもらった。

「よく、“『ガンダム無双』は斬新だ”と言われるんですが、僕にとっては斬新なことはひとつもないんですよ。考え方は非常に単純で、名前のとおり『無双』の世界にガンダムを持っていっただけのこと。だから、チョイスしたモビルスーツも『無双』らしいアクションのできる機体を選んだに過ぎないし、あとは『無双』らしく、いかにたくさんの敵を出せるかのせめぎあいをしていった。自分としては、いちばんオーソドックスなゲームのつくり方で、いちばんオーソドックスなゲームをつくっただけのことなんです。何ひとつ変わったことはしていない。むしろ、コーエーさんのスタッフのほうが、ガンダムらしさを出すために気を使い、『無双』らしさを出すことを躊躇することが多くて、逆に恐縮してしまいました」

 後藤さんにとっては、『ガンダム無双』は初のPLAYSTATION®3でもあるが、次世代機でのゲーム開発には、どういう感想を持っただろうか。

「『ガンダム無双』というタイトルは、“PLAYSTATION®3だから何かを実現しなければならない”という思想でつくられたゲームではないんです。これは開発当初、コーエーさんとも意見が合ったところなんですが、僕らがやりたいのはガンダムによる『無双』であって、もしかしたらそのコンセプトはPS2®でも可能なのかもしれない。でも、でき上がったときに、“やっぱりPLAYSTATION®3だからこそ、僕らが望むゲームになった”と言えればいいんじゃないかと。具体的には、開発当初からの目標だった“ザクをどれだけ出せるか”“処理落ちのなさ”“スピード感”。それらが僕らの望んだかたちで実現できたのは、やはりPLAYSTATION®3だったからこそですね。そこに、PLAYSTATION®3だから可能なことを積み重ねていった結果、PLAYSTATION®3でなければ不可能だった『ガンダム無双』ができ上がったんですよ。確かに、もっと時間があれば、現在ファンの方が多少不満に感じている細かい部分も解消できたかもしれない。でも、現状では最高の『ガンダム無双』がつくれたと思いますし、僕がレビューをするなら……10点中10点とは言わないまでも、8点はあげていいタイトルになったと思います」

 では、これからの後藤さんは、どんなゲームづくりを?

「ここ2〜3年はガンダムタイトルをメインでやらせていただいて、それは個人的に非常にうれしいですし、かえって恐縮してしまうことなんですが……ガンダム以外のタイトルでも注目していただけるようになりたいなぁと。実は、ガンダム以外にもいろいろプロデュースしているんです…あまりご存知ないかもしれませんけど(苦笑)。本当なら、ガンダムをやりながら、オリジナルのロボット物ができるといいんですが……オリジナル物はセールスに結びつきにくいのが悩ましいところですね。やはり、子供のころから好きだったロボット物には思い入れがありますし、キャラクター作品が大好きですから、これからもキャラクターゲームづくりから離れることはないでしょう。あと、これは本当に“野望”なんですが……いつかは憧れの『スパロボ』の開発に参加してみたい(笑)。『スパロボ』のバンプレストさんとバンダイナムコゲームスは、グループ会社ではあるので、いつかそういうコラボレーションができると、うれしいんですけどね」

 子供のころからの熱い趣味を、偶然の重なりから最もいかせる形で仕事に結びつけた後藤さん。ファンとしては『ガンダム無双』の続編なども気になるところだが、そんな発言を聞いてしまうとますます、彼のプロデューサー活動から目が離せなくなりそうだ。

◇よろしければ今回のインタビューのご感想をお聞かせください。
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2007年3月 辻本良三氏
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