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ねらわず、媚びず、シンプルに!目指しているのは世界に通用するキャラクターデザイン
 横尾有希子

個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。今月のゲストは『太鼓の達人』シリーズでキュートなキャラクターをデザインし、ゲームソフト以外でも幅広いジャンルでビジュアルディレクターとして活躍する、バンダイナムコゲームスのデザイナー・横尾有希子さんだ。子供時代から絵に親しみ、憧れのナムコ(現バンダイナムコゲームス)に入社してビジュアルデザイナーとなった横尾さん。オリジナリティあるビジュアルセンスが高い評価を受ける彼女のポリシーは、絵を描き続けた力と、夢を叶える努力が紡いだ。

取材・文/阿部美香(ライター)

絵を描く仕事に就いたのは必然?〜幼少時の思い出

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 『太鼓の達人』シリーズで、ポップ&キャッチーなキャラクターデザインを手がけた横尾有希子さんは、小さな頃から絵を描くことが大好きな子供だった。横尾さんが育った家庭も、当たり前のように絵に囲まれていた。ご両親も美術大学を卒業後に美術・デザイン関係の仕事に就いていたからだ。

「保育園時代から、ずっとひとりで絵を描くのが好きな子供でしたね。もともと、両親がふたりとも美大出身なんですよ。だから、身の回りに絵がある環境に育ってきたので、すごく絵は身近な存在でした。特別な教育を受けたわけではないんですが、父親が趣味で描いてた油絵を見てたり、母親が弟の出産を機にそれまで勤めていた地元の広告代理店を辞めて、しばらく自宅でお絵描き教室を開いていたので、そこで母に絵を習ったりはしてました。だから友達から、ウチは“絵の家”と呼ばれていましたね」

 そんな横尾さんの話を聞くと、風景画や静物画など、さぞかし真面目で女の子らしい絵でも描いていたのだろうかと思うが?

「いえ、全然女の子っぽくなかったですよ。保育園の頃からヒーロー物のテレビを観るのが好きだったので、『秘密戦隊ゴレンジャー』の真似をして、自分で勝手に“ロクレンジャー”から“ジュウレンジャー”を考えていたり。『UFOロボ グレンダイザー』の絵をお菓子の箱のフタに描いて、その上に乗っかってグレンダイザーごっこをしていたり(笑)。当時のロボットアニメは大好きでした。『ゲッターロボ』や『マジンガーZ』って、シルバー、紺、赤っていう色の組み合わせでしたよね。それを真似して、オリジナルのロボットを描いて喜んでましたね。頭に角がついてて三角形になってるヤツがいたなぁ、くらいの記憶しかないんですけど(笑)」

 横尾さんはかなりのテレビっ子だったようだ。だが、テレビに関しては、悲しい思い出もあるのだという。

「それが……当時の富山県はテレビのチャンネルが少なくて、民放は日本テレビ系とフジテレビ系の2局しか映らなかったんですよ。地方なので、他局の番組もときどき交じって流れるんですけど、あんまり数がなくて。チャンネル数が増えたのは、私が大学に入ってから。だから、ヒーローアニメが好きなのに、テレビ朝日系でやってた『デビルマン』のことは知らなかったりするんですよね。大人になってカラオケに行くと、みんながデビルマンの歌で盛り上がったりするんですけど……私はそれに参加できない(笑)。デビルマンはカラオケの画面で知ったんですよね。ドリフターズの『8時だョ!全員集合』も。フジテレビでやってるほうのドリフは知ってますけど……そういう悲しい出来事は、よくありますね(笑)」

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女の子らしさとは無縁の遊びに夢中だった小学生時代

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 ロボットアニメや戦隊物に限らず、ヒーローに憧れる気持ちが強かった横尾さんは、ただ絵の好きなおとなしい女の子ではなかったらしい。もっとも、描いていた絵もヒーロー物だったのだから、そこは推して知るべしか?

「家のまわりがかなり田舎で、自然がいっぱいあったものですから、友達との遊びも野山を駆け回ってばかりでしたね。遊びも全く女の子らしさがなかったです(笑)。絵を描いているとき以外は、ずっと外にいました。だから、小学校に入ると、近所の男の子と一緒に6歳下の弟を子分に従えて(笑)、秘密基地遊びを。アニメの『トム・ソーヤの冒険』に出てくるハックの家とか、『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』の無人島に出てくる木の上にある家にすごく憧れていたんです」

 もうひとつ、横尾さんの思い出に残る遊びが忍者ごっこ。想像力豊かな遊びに夢中になった。

「忍者にも憧れましたよね(笑)。学研の「ひみつシリーズ」の本が大好きで、その中に『忍術・手品のひみつ』というのがあったんですよ。そこに載ってた訓練法を実際にやってました。背中に長い布をつけて、それが地面に着かないように走ったり、家の裏にあるヤブに松の小さな木が生えていたので、それを毎日飛び越える練習をしてみたり。おばあちゃんが持っていた園芸用の竹の枝を武器に見立てて、投げる訓練もしましたね。敵が来たときのために。野良犬を手下にしようと手なずけることもしてましたね。もちろん敵は襲ってきませんでしたけど(笑)。ほかに覚えているのは、鳥ですね。通学路に1本だけ高い木があって、いつもてっぺんに、鷹みたいな大きな鳥が止まってるんですよ。それがすごくカッコよくて、ひそかに“ジョー”って名前をつけて、ジョーを肩に乗せて歩く妄想をしたり……(笑)。忍者が鷹を飼ってるなんて、カッコいいじゃないですか!」

 ところで、その忍者ごっこ。ロボットも絵に描いていたくらいですから、当然?

「もちろん、描く絵にもそれが影響してきますね。赤塚不二夫さんが表紙を描いていた『まんが入門』という本に、白土三平さんの忍者マンガが載っていたので、それを真似して、サスケを大量生産してました(笑)。家の中にも謎の仕掛けをつくりましたね。壁から壁にロープを渡して、何か物をぶらさげて運んで遊んだり。忍者風のカラクリをつくりたかったんですよ。その都度、影響を受けたものをすぐ絵にしたり、物をつくったりという性格は、ずっと変わらないですね」

 では、例えばほかに影響を受けたものというと?

ガビョウマン「ガンプラもそうですね。弟が『コミックボンボン』を買っていたので、『プラモ狂四郎』の影響ですかね。特に好きだったのは、ガンプラの中でも主流じゃないMSVシリーズ。ちゃんと塗装して、ヨゴシをかけたりして、けっこう本格的につくりました。さすがにジオラマまではつくれなかったので、できたガンプラは外に持っていって、それっぽい場所に置いて写真を撮ってました。プラモ屋のおばちゃんには、“女の子なのにガンプラ好きなんて珍しいね”って言われてましたよ。今でも、シブいMSVシリーズを買ってきて、自宅に飾ってあります。シン・マツナガ大尉機のザクIIとか、好きですね。あとは……鳥山明さんかな。小学校4年生くらいで『Dr.スランプ』がブームになっていて、当時はやっぱりそういう絵を描きました。鳥山明さん風のオリジナルキャラを。気に入ってたのは、アブラムシのキャラですね。オリジナルキャラはほかにも描いてて、4年生でクラスの掲示板委員になったときには、壁新聞で“ガビョウマン”というキャラを展開しました。謎のキャラクターづくりには燃えてましたね。新聞みたいなものを描くのも好きだったんでしょうね。家の近所の沼を探索してて猫の骨を見つけたときは、 “大ニュース! 猫の骨を発見!”みたいな記事を書いて、回覧板にして町内会にまわしてましたから(笑)」

 そして横尾さんは、キャラクター単体だけでなく、ストーリーマンガ制作にも挑戦するようになる。

「いちおう(笑)。でも、飽きっぽいので、いつもノートにマンガの表紙と1ページ目だけを描いて、そこから先に進まない。内容はほとんど学園物で、最初のシーンだけはちゃんと描くんです。先生が“今日は転校生が来ている”って言って、教室のドアをガラッと開けて主人公が入ってきて……。そこで、いつも飽きちゃうんですよね(笑)。そんな同じ出だしのノートが、いっぱいたまっちゃいました。主人公が転校してきてばっかり(笑)。壁新聞の“ガビョウマン”も、決めポーズばかりはいっぱい考えたんですけど、結局、ストーリー的な展開はいっさいしないキャラで終わってしまいました」

 といいつつも、クラスではその画力がかなり頼りにされていたそうで。

「学校の成績のほうは……主要教科はいたって普通で、運動神経の問題で体育は2(笑)。図画工作だけは5をもらってました。学校の旅行のしおりや、美術関係のイベントがあると、私のところに仕事がまわってきてました」

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マンガとアニメとゲームで過ごした中学時代

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 中学に入ると、授業中、ノートの1ページを器用に折りたたみ、そこに連載マンガを描いた豆本をつくって友達に読ませたりと、横尾さんの絵への情熱はますます高まった。マンガ雑誌の模写も得意分野だ。

「『キャプテン翼』と『北斗の拳』は、かなり模写できてましたね。学校のイラスト大会では『北斗の拳』にそっくりな絵を水彩で描いて、1等賞をもらいました。そして『キャプテン翼』からは、サッカーマンガの影響を受けまして……ほんとに簡単な絵ではあるんですけど、インカ帝国を舞台にしたサッカーマンガをオリジナルで描くようになりました。なぜインカ帝国だったのかは、今となっては全く謎ですね(笑)。いちおうストーリーマンガのつもりではあったんですけど、やっぱり決めのシーンしか描かなくて。主人公は、片肌をはだけた古代風の服を着た翼くんくらいの年齢の少年で、ドリブルしてたりシュートしてたり……派手なシーンしかない(笑)。このマンガは、恥ずかしいので友達にも見せられなくて、家でこっそり描いてました」

 小学時代から好きだったロボットアニメも外せないアイテムだ。

「アニメでは『銀河漂流バイファム』にハマりました。アニメ雑誌に載ってるイラストがすごくカッコよくて、憧れの作品だったんです。でも、富山県では放映されてなかったんですよね。隣の石川県では放映されてて、家によっては、そのチャンネルの電波が少しだけ届いたりする。私のウチでは、画は映らなかったんですけど、砂嵐の画面の奥で、ほんの少しだけ音が聞こえるんですよ。いつも放映時間になったら、弟とふたりでかすかに流れるセリフだけを聞いて、画を想像して喜んでました(笑)。実際に動く『バイファム』が観られたのは、高校に入ってから。レンタルビデオ屋でベータ版のビデオをやっと見つけて、“これが憧れの『バイファム』かー”と、感動して観てました」

 絵への興味はここからも長く続くが、もうひとつ。横尾さんは、人生に大きな役割を果たす趣味にも、小〜中学校時代に出会っている。

「ゲームに最初に出会ったのは、小学校5年生の頃。家族で長野のペンションに旅行に行ったとき、ゲームコーナーに『ディグダグ』があって、画面のデザインと音楽に衝撃を受けました。あれが最初のナムコショック(笑)。家に帰っても、その音楽をピアノで弾いて遊んだりしてましたから。ゲームを日常的に遊ぶようになったのは、中学代に父親がファミコンを買ってくれてからです。ウチの父は新しい機械が大好きな人なので、私や弟が頼みもしないのに(笑)、新製品だからと自分で店に並んでファミコンを買ってきたんです。そこから、すっかりゲームに目覚めました。『ナッツ&ミルク』とか『スペランカー』とか……『バンゲリングベイ』とか(苦笑)。今、『バンゲリングベイ』をプレイするのは、かなりキツいですけど(笑)、当時は面白くて止められませんでしたね。高岡市の繁華街に遊びに行ったときには、デパートのゲームコーナーで『スターフォース』やメダルゲームを遊んでましたし。高校受験の前も、勉強もせずにずっと『ボンバーマン』ばかりやってました」

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