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ねらわず、媚びず、シンプルに!目指しているのは世界に通用するキャラクターデザイン
 横尾有希子

“人生に迷いが生じた”高校時代

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 そして迎えた高校受験。横尾さんは、中学3年生の1年間で、なぜか飛躍的に成績がアップ。学年で12番目のランクに名を連ねるようになっていた。しかし、そのまま進学校を受験するのも不安、そのすぐ下のレベルの学校は制服がダサかったので断念。いろいろ思案しながら、最終的に受験を決めたのは、自宅からはかなり遠いがいちばん制服がオシャレだった、新設校の県立福岡高校だった。

「福岡高校は、英系があったり留学生交換が盛んだったりと、すごく雰囲気がオシャレだったんですよね。別に、英語を専攻しようと思ったわけじゃないんですが、そこに惹かれて選びました」

 子供時代からマンガが好きで、中学でゲームに目覚めた横尾さんが、当時目指していたのは「マンガ家かゲームの絵を描く人」。画家ではないにしろ、絵に関わる職業に就きたいとずっと思っていたという。しかし横尾さんは“高校に入って、人生に迷いが生じた”と語る。

「子供の頃から高校に入るまでは、何かをつくることが大好きで、生産性のある日常を送っていたんですが、高校時代は創造よりも消費に走ってしまったんですよ。原因は……やっぱり男の子ですかね(笑)。彼氏ができちゃうと、そっちに時間が取られてしまうので、アニメやゲームもそれほど。マンガを描かなくなってしまいました。唯一描いていたのは、『TO-Y』を読んで影響を受けた上條淳士さんタッチの学園物。そんなに本格的にやっていたわけではないんですが、これは、高校時代2年くらいかけてノート1冊分の話をコツコツ仕上げました」

 それはどんな内容でした?

「これもまた謎の多い内容なんですが……男子校なんですけど、制服がなぜかセーラー服。とりたててドラマチックな事件やストーリーはなくて、オシャレでパンキッシュなセーラー服のカッコいい男の子たちが、ただひたすら会話をしているという(笑)。上條さんの影響と、当時はバンドブームで、私がBOOWYやバービーボーイズが好きだった影響がモロに出てますよね。彼氏もちょっとヤンキーっぽかったですし(笑)」

 そんな高校時代を経て、横尾さんは美術大学に進む。それは、やはり子供時代からの夢を叶えるため?

「でも、最初は美大に行こうとは思ってなかったんですよ。親がふたりとも金沢美術工芸大学だったので、両親は当然、私もそこに進ませるつもりだったんですが、それも嫌だったんですね。例えそこに入っても、先生も親の知り合いだし、まわりがみんな親の関係者って、気持ち悪いじゃないですか。だから、両親の思いどおりにはなりたくない、絶対にそこには行かない! としばらく反抗してました。ただ、将来はデザイン関係の仕事をするといいのかな、とは思っていたので、結局は親の予定どおり金沢美術工芸大学を受けて……1浪しました(苦笑)。高校でも真面目に勉強しなかったし、進路も迷っていたからデッサンの勉強なども真面目にやっていませんでしたから、完全に実力不足。ほかの美大も考えたんですけど、親は国公立しか行かせてくれないと言うし……そこから1年間、改めて絵の勉強をし直しました」

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ゲーム業界へ一直線! 将来を決めた大学時代

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 マンガ家とゲームクリエイターになるという具体的な夢は、高校時代に一時リセット。漠然とではあるが、絵に関わる仕事を目指して横尾さんは金沢美術工芸大学に進学した。大学はどんな雰囲気でした?

「いちばんよかったのは、1年遅く金沢美術工芸大学に入れたことですね(笑)。ほかの学年に比べて、私の同級生はすごくハチャメチャな人が多かったんですよ。大学を一度卒業して、海外青年協力隊に行ってからウチの大学に入りなおした人とか、関西からやってきた1浪、2浪した人がいたりして、雰囲気がすごくよかったんです。デザイン科だけに、ちょっと汚い人なんかもいたし(笑)。学校全体も人数が600人くらいしかいないアットホームな感じだし、友達とダムや能登半島にドライブに行ったり、お酒を飲んだり……伸び伸びできましたね」

 横尾さんがそこで専攻したのは商業デザイン。同じ科の先輩、同級生が目指すのは、まず広告業界だ。電通、博報堂、資生堂……。だが横尾さんは、大学に通ううちに、広告業界ではなくゲーム会社を就職先の第1志望に決めた。中学時代の夢が再燃したのだ。その動機は?

「キッカケは、軟式テニス部の飲み会でした。当時4年の先輩たちの追い出しコンパで、ひとりの女性の先輩から、ナムコに就職が決まったって聞かされたんです。そのとき、“え? この学校からゲーム会社にも行けるんだ”って気づいて、私も以前から好きなゲームメーカーだったナムコに入ろうと決めました。その先輩は、今もバンダイナムコゲームスで働いていますよ」

 その転機が訪れたのが、横尾さんが1年の終わりの頃。そこから横尾さんは、ナムコ入社を目指して、学業の傍ら、積極的な準備を始める。

「まずは、ナムコのことをもっと知ろうと思って、家の近所のショッピングセンターに入っていた子供向けのゲームセンター〈ナムコランド〉でバイトを始めました。高校時代、あまりゲームをしていなかったので、今、どんなゲームがつくられているのかも知らなかったんですよね。まぁ、いちおうナムコ志望でしたけど、そこにはいろんなメーカーのゲームも置かれていたので、就職するならどのメーカーがいいかなぁ、なんて思うところもあって(笑)。でも、やっぱり自分が心を惹かれたのは、ナムコのエレメカでした。いちばん好きだったのは『コズモギャングス』。その頃から、ナムコに入ったらキャラクター物を手がけてみたいと思ってました」

 バイト先では、ナムコ社員もゲームの情報を親切にいろいろ教えてくれたという。横尾さんの意志はさらに固まり、大学の授業でも、将来ナムコに入社するための糧になるような作品をつくり続けた。

「学校の課題も、みんなはオシャレでキレイな、いかにも広告っぽい作品を提出してましたけど、自分はちょっとおかしな作品を。課題のテーマを無理矢理ひねって、人を驚かせる仕掛けのついたビックリ箱みたいな物をつくってみたり。どこかオモチャっぽかったり、ゲームっぽかったり、キャラクターっぽい作品ばかり提出してました。ポスターをつくるような課題でも、『コズモギャング・ザ・ビデオ』の広告にしちゃったり(笑)。お金がなかったので、友達にゲームをプレイさせて、私は横でコズモギャングのキャラクターを一生懸命デッサンしてつくったんですよ」

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