渡辺祐介さんが生まれたのは、愛媛県の北東部に位置する城下町、今治市。瀬戸内海の温暖な気候が育んだその街には豊かな自然が残り、渡辺さんが子供時代、彼の家のまわりにも、まだまだのどかな風景が広がっていた。
「小学生時代を過ごした僕の家の周りは、ひたすら田んぼ。夜になるとカエルの大合唱がうるさくて眠れない。昼は昼で、農薬散布のおかげで周りが臭くて、臭くて(笑)。だから、自分で何かを発見して遊ばなきゃならない環境でした。例えば、ゴルフとか。僕の家は農家ではなかったんですが、秋になって稲刈りが終わったあと、近所の田んぼには切った後の稲が5cmくらい残るんですよね。そこにゴルフボールをのっけて、棒を持ってきて、私設ゴルフ場をつくって遊んでました。どこまでボールを飛ばしても、何に当たるわけでもなく、近所の人に怒られることもなかったですからね(笑)。小さい頃からスポーツ全般が大好きだったので、アウトドアな感じの子供時代を過ごしました。ゴルフの真似っこに始まって、学校に通うようになってからは本格的なスポーツを。小学校時代は野球、中学校時代はテニス。小3くらいからは、ジャッキー・チェンに憧れて空手を習い始めてて、高校では自分で空手の同好会をつくるほどでした」
遊びには、創意工夫を凝らすのが当たり前だったという渡辺さんの資質は、どうやら父親から受け継いだものだったらしい。幼少期は野外での遊びにその才能を発揮。小学校に上がってからは、あるアイテムが渡辺さんの物づくりにかける意欲を大いに刺激した。それがガンプラだ。
「小学生時代、物づくりといって思い出すのは、やはりガンプラですね。小学校低学年くらいのときにブームがやってきて、父親が最初にザクをつくってくれたのを今でも鮮明に覚えています。なぜ鮮明に覚えているかというと、丁寧に色まで塗って、父が“おお、出来たぞ!”と見せてくれたザクが、胴体の部分が前後反対にくっついていた失敗作だったから(笑)。父はアニメを観ていなかったので、ザクがどんなデザインなのかをよく知らずにつくっていたんですよね。僕は、特別にザクが好きだというわけではなく、たまたま父がザクとガンキャノンを買ってきてくれただけで、さほど愛着ある機体ではなかったですが……ものすごくショックでした。今考えると、なぜ父はガンダムを買ってきてくれなかったんだろう?(笑) でも、もしかしたら、そのときのザクの失敗が、その後の僕のものづくり魂に火をつけたのかもしれないんですよ。“ザクってのは、そーゆーもんじゃねー! だったらオレがつくる!”って(笑)」
父親はもちろん、母親も、彼より3つ年上の姉も手先が器用で、一家そろって物づくりが大好きだったという渡辺家。その血を見事に引いた渡辺さんは、ザク事件の後、ガンプラ製作にのめり込んでいった。
「そこからは、ひたすらガンプラでしたね。ちょうど、漫画で『プラモ狂四郎』が流行っていたこともあり、取り憑かれるようにハマっていって……漫画に出てくるプラモデルを真似て、主人公と一緒になってガンプラ改造をしてました。体の中にモーターを入れて、腕をグルグル回させたり(笑)。当時はガンプラコンテストがたくさんあったのでよく応募してました。 “レッドウォーリア”をつくって入賞し、トロフィーをもらったこともあります。小学校5年生くらいのときには、行きつけのプラモデル屋さんが、ショーウィンドウに僕のガンプラを何個か飾ってくれていました」
そんな渡辺少年の将来の夢は?
「当然、『ホビージャパン』(プラモデルホビー専門誌。ホビージャパン社刊)に入ること(笑)。どうやったら、あの雑誌に就職できるんだろうと、かなり真剣に考えてました。ガンプラは、自分好みのプロポーションに近づけるためにいろいろ工夫するのが楽しいんですよ。プラ板を使って、キットにはない盾をつくって持たせたり。だから、ガンダムとガンプラは今でも大好きです。未だにガンプラは買い続けてますからね。MS(モビルスーツ)の中では……悩むところですけど、やっぱりガンダムがいちばん好きかなぁ。ガンダムがあまりに好きすぎて、当時は夢にもよく出てきましたよ。夢の中で僕は、ガンダムに乗って小学校に通ってましたからね(笑)。家から操縦して、空を飛んで学校まで行くんですけど、“あれ? 止めとくとこがないぞ?”と困って、“とりあえず、運動場に泊めとくか!”というところで目が覚める(笑)。別に誰かと戦うわけでもなく、なんとなくリアルな設定なのがおかしいですよね」
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