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今は実現不可能なジャストアイデアもいつかはゲームという形にできる。その日のために大きな“引き出し”を。
 渡辺 祐介

美術の授業をキッカケに将来の夢を決めた高校時代

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 ガンプラしかり、漫画しかり。もちろん、ふつうに勉学にも励んでいた渡辺さんではあったが、高校に入っても、深い興味はやはり創作活動に向いていった。キッカケは美術の授業だ。

「現在でも交流があるんですが、そのときの美術の先生がとても面白い方だったんです。今もその先生は、年に一度、銀座の画廊で個展をやられるような方なんですが、当時からクリエイター気質で、授業のやり方も独特でしたね。ただ教科書を進めていくのではなく、紙粘土で立体物をつくったり、絵本をつくったり。絵本づくりは、今でも自分の作品をとってあるくらい、印象的だったし、面白かったです。ある博士が研究所でロボットをつくってて、出来たはいいけど中身を入れ忘れて動かない。そうしたら、研究所に雷が落ちてロボットが動き出し、そこらへんの物を壊しながらいなくなって、数年後、山の中で錆びたロボットが発見される、みたいなお話を書きました。話はたいしたことないんですが(笑)、それに合わせて、絵を描いていくのが面白かったんです」

 そんな美術体験をキッカケに、渡辺さんは漫画以外の絵を描くことにも興味を持っていった。さらにもうひとつ、彼を絵の道に引き込んだキッカケがある。

「そちらのキッカケは、やはりガンプラでした。小学校のときから、僕のガンプラブームは未だにずっと続いてるんですが、最初から、ただキットをそのまま組み立てるのは嫌いだったんですよね。どこかに自分で手を加えないと気が済まない。もちろん、歳を重ねるごとにいろいろとテクニックも覚えてきますから、色を塗るにしても、高校時代になるとコンプレッサーを買ってきてブラシでカラーを吹き付けたりと、かなり本格的になっていきました。そのあたりからですね、エアブラシを使って絵を描くことも面白くなっちゃって。それまでは、漫画のトレースをするのが楽しかったんですけど、エアブラシに興味を持ってからは、ヒロヤマガタを模写してました(笑)」

 創作意欲が沸くと、本気で取り組むのが渡辺さん流。ヒロヤマガタの模写をする少年というのも珍しいが、その姿勢もかなり本格的だった。

「小さな絵ではつまらないので、本物とほぼ同じ、B全くらいのサイズで再現してました。それが高じて、高校の体育祭でグループごとに畳20畳くらいのパネルをつくることになったとき、巨大なエアブラシに挑戦したんです。普通のコンプレッサーでは間に合わないので、車の塗装用のコンプレッサーを業者から借りてきて、ディズニー映画の『アラジン』に出てくるような夕焼けの絵を描きました。たまたま、通学の途中に塗装業者があって、あれは楽しそうだなと、前から目をつけてたんですよ(笑)」

 中学時代までの将来の夢は、モデラーか漫画家。だが、渡辺さんも高校生になってからは、さすがに子供らしいその夢を実現するのは難しいと悟っていた。そこで生まれたのが第3の選択肢。絵を描きながら生活ができる、もっと現実的な仕事を見つければいい。

「そこで、デザイナーという職業があることに気づいたんです。姉がその手の学校に進んだこともあって、僕も絵の勉強ができる美大に進みたいと。そこで急に思い立って高校3年から美術部に入り、毎日美術室に通ってデッサンの勉強を始めました。先ほどのヒロヤマガタの模写も、3年生の頃の話です。ただ、うちの親はガチガチのサラリーマンでしたから、なかなか理解を得られず。親父にも“そんなんで食っていけるわけないだろ、コノヤロウ!”と罵倒されました。それまでは理系のクラスだったので、当然親は普通の大学に進学するだろうと思っていたんですね。姉もずいぶん反対はされていましたけど……姉も僕も頑固でしたから、ふたりとも、結局は親をなんとか押し切ってしまいました」

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初体験のCGに驚愕しスキルを高めた短大時代

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 こうして、美術系の学校に進学を決意したものの、残念ながら故郷の愛媛県には美術大学が存在しなかった。渡辺さんは必然的に、他県で進学先を探すことになった。

「近隣で美大といえば、有名どころでは大阪芸術大学あたりになるんでしょうが、そういうところは入るのも大変そうだし。ほかを探してみた結果、近隣には美大がなかったため、福岡の九州造形短期大学を受験することにしました。特に九州に憧れていたとか、そういう素敵な理由があったわけでもなかったんですけどね。」

 堅実な学校選びも功を奏し、渡辺さんは無事に九州造形短期大学に合格。デザイナーという夢に向かって一歩踏み出した。

「最初に思ったのは“僕には時間がない”ということでした。短大は2年制ですから、デザイナーになる夢を本当に実現させるつもりなら、とにかく時間は無駄にできない。とにかく、ひたすら勉強しましたね。通常の講義が終わった後も毎日、学校のCGルームにひとり居残って作業をしてました。そこで、初めてMacとCGに触れたんです」

 そこで、それまでコンピュータに慣れ親しんでいなかった渡辺さんは、初めて体験したCGの世界に驚愕した。

「だって、今まで手を汚しまくって、マスキングをしながらプシューっとエアブラシで描いていた面倒なグラデーションが、マウスをピッと動かすだけでできちゃんですよ! “なんだこりゃー、ありえねぇ!”って思いますよね(笑)。あの衝撃はすごかった。そこから取り憑かれたように、CGツールを使いまくりました。今でこそ簡単に日本語版が手に入りますが、当時はフォトショップも英語版しかなかったので、辞書を片手にマニュアルを解読し、イラストレーターと一緒に必死で使い方を覚えました。その後に触ったのが、ディメンションやストラタなどの3Dツール。それも感動的で。それを使って僕は……やっぱりガンダムをつくりましたね(笑)」

 ひび割れた大地が降る雨を吸収するように、渡辺さんは「レンダリングに何日もかかるようなショボいMacを相手に(笑)」、学校に用意されていたCGツールを次々にマスター。いつしか同級生たちも、CGでわからないことがあれば、渡辺さんのところに聞きにくるほど、高いスキルを身につけていた。

「ただ、2年間の短い短大生活は、課題づくりに追われていて、なかなか自分の好きな題材を自由につくれる機会がなかったんです。やっとそのチャンスが巡ってきたのが、卒業制作でした。僕の卒業制作のモチーフは、バレンタインデー。まずは、CGでバレンタインデーのキャンペーン用ポスターを2種類つくろうと思ったんです。ただ、絵のサイズをB全に想定していたので、学校にはそんな大きな作品をスムーズに制作できる環境がないんですよ。そこで、以前から自分の作品をプリントしてもらっていた街の出力センターに、“卒業制作にこういう作品を考えてるんだけど……”と話をしたら、嬉しいことに“それなら、ここにあるMacを使っていいよ”と言ってくれたんです。もちろん、商売で使っているマシンなので、学校のものとは比較にならないくらいのハイスペック。さっそく授業が終わってから、毎日そこに通い詰めて作業をさせてもらって。そのうち、そのお店の人から“ちょっとこの仕事もやってみない?”と言われ、出力センターに依頼されたCG制作のアルバイトをするようにもなりました」

 余談ではあるが、短大での2年間。渡辺さんは、学業に直接結びついた出力センターでのアルバイトのほかにも、様々なアルバイトを経験した。その中から、彼の心に残った印象的なものといえば……?

「山崎のパン工場では無の境地に至る経験をし、質屋では日々繰り広げられる人間ドラマを目の当たりにし、引越し屋さんでは様々な家庭環境を垣間見ることができました。どれもデザインには直接関係ないものですが……、非常によい経験を重ねることができたと思います。」

 閑話休題。そんなアルバイトにいそしみながら、渡辺さんは順調に課題をこなし、就職の時期を迎える。

「学校は九州でしたが、九州で就職する気も、思い切って上京する気もなかったですね。学校の教授からもいくつか九州の企業を紹介していただいたり、アルバイトをしていた出力センターからも“うちにこないか?”と言われたりはしていたんですが、仕事をするなら愛媛に帰ろうとずっと考えていました。なんとなく、地元でデザイナーができればいいなと。なので、知り合いに愛媛のデザイン事務所を紹介され、特に就職活動をすることもなく田舎に戻って就職しました。でも、この当時の僕は、漠然とデザイナーという職業を志望してはいましたけど、実際に、デザイナーがどんなことをする人なのかはよくわかっていなかった。具体的な仕事を理解したのは、デザイン会社に入ってからの話なんです。自分の思う理想のデザイナー像と現実とのギャップに不安もありましたが、なにしろ全てが新鮮だったので“不安”が好奇心に変わるのにそれほど時間は必要ありませんでしたね。」

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