柔らかな口調で、時折、冗談を混じえながら、にこやかに自身を語るイシイジロウさんの故郷は、兵庫県・西宮市。こちらのどんな質問にも、間髪入れずに答えてくれる軽快な兵庫弁のトークは、関西人独特のサービス精神にあふれている。今回の取材、「さて、どの時代のお話から聞かせていただけますか?」と問いかけると、イシイさんはすかさず、あまりにも早熟な小学校時代の趣味との出会いを語り始めた。
「僕は、関西圏……神戸で、いちばんオタクな小学生グループを作ってました。当時はもちろん、まだオタクという言葉はなかったんですけど、小学校4年生くらいから、大人に交じって同人誌を作ってたんですよ。当時はまだ、漫画とかアニメを題材にして、サークル活動すること自体が特殊。僕が入ったサークルも、通称“MAC”。“マンガ・アニメ・クラブ”という、わかりやすい名前でしたね(笑)。」
今でこそ、学生が同人活動をするのは珍しくもないことだが、イシイさんが小学生時代だった70年代末期は、『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』のヒットによってSFアニメがブームとなり、いわゆる“コミケ”に代表される同人誌即売会が、やっと日の目を見るようになってきた時代だ。そのムーブメントの中心にいたのは、大学生をメインとする若者世代。小学生がそこに入り込むとは、なんとも早熟な……。
「そうなんですよね。それには、周囲の環境も影響してて。当時、僕の家は自営業をやっていて、そこそこお金に余裕があったもんですから、仁川学院小学校という……私立のボンボン校に通っていたんですよ。同級生もお金持ちの子が多くて。でも、そういう子供達って、どっか趣味も変わってて、興味を持つアニメもマニアックなんですよね。もちろん、当時の『宇宙戦艦ヤマト』ブームにもちゃんとのっかっていて、一般的に人気のあるアニメも観てはいるんですが、それよりも、60年代に放映されたモノクロの『サイボーグ009』のテレビシリーズを観たいとか、『佐武と市捕物控』のオープニング映像は観られないものだろうかとか、そういうものばかりを追い求めていた小学生でした。なぜ、そんなことになってしまったかというと……金持ちの友達が、普通の小学生では手に入れられないような、三万円の宇宙戦艦ヤマト全記録集(全3巻)みたいな資料本とか、「テレビまんが主題歌のあゆみ」4枚組5600円みたいなレコードをいっぱい買っちゃうんですよ(笑)。そうすると、自分達が観たことのないものを観たくなるし、議論が始まる。そこで出る結論が、“『ヤマト』はよかったけど、最近のアニメはロボット物ばっかりでダメだ。まぁ、(勇者)『ライディーン』は許せるけどね”なんて話だったりするんですよ(笑)」
そんなイシイさんを打ちのめし、エンタテインメント原体験となった作品は、劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト』。
「あれは小学校5年生の時でした。何にショックを受けたって、最後はハッピーエンドだと思って観ていたのに、アンハッピーエンドで終わってしまったことが、いちばんのショックだったんです。途中で、脇役が死んでいくのはしょうがない。でも、主人公は生き延びるだろうと小学生ながらの予想をしながら観ていたのに、脇役を逃がして主人公とヒロインが敵に特攻していくアニメなんて、子供にとってはあり得ないじゃないですか(笑)。しかも、上映時間が2時間以上ある。ひとつのエピソードが出てくるたびに、もう終わるだろうと観ているうちに、どんどん人が死んでいって、最後がソレですよ。エンディングを迎えた頃には、感動するとかしないとかじゃなく、何が起こったのかわからなくて呆然としてました(笑)」
その劇的な体験が、ひとりの漫画アニメマニアに「僕も作品を作る人間になりたい!」というクリエイティビティを植え付けた。そこからイシイ少年は、自分でSF映画のパロディ漫画を描き、同人サークルに参加するまでになっていった。
「最初にお話した、同人誌サークルに参加するキッカケも『さらば宇宙戦艦ヤマト』に関係あるんですよ。当時、神戸にマニアックな本屋さんがあって、そこで『さらば』の公開の時に、数種類あるポスター付の劇場前売り券を扱っていたんですね。で、僕はそのポスターが全種類欲しかったんですけど、そんなにたくさんチケットを買えるわけでもないので、ポスターをくれないかと頼んでみたんですよ。その時、店員さんが“キミ、ほんとにこういうの好きだね。この店の上で、アニメが好きな大学生のお兄ちゃん達の集まりがあるから行ってごらん”って教えてくれて、友達と一緒にその集まりに行ったのが最初でした」
イシイさんとしては、本当にやりたかったのは、自分が好きだったアニメのような映像作品を作ること。しかし、小学生の身で映像に手を出すのは、さすがに無理だった。それでも、描きたいストーリーは頭の中にいくらでも沸いてくる。そしてイシイ少年は、毎日、友達と一緒に“物語を語る”子供になっていた。
「毎日、学校からの帰り道は、友達にお話を語る時間でした。何々星雲から何とか星人が攻めてきて、すごいライバルが出てきて、美少女を助けて、誰かが死んでいく、みたいな。……まぁ、だいたいは『ヤマト』のパクリなんですけどね(笑)。1日ずつ、友達と交代で、電車の駅までSFストーリーを語りながら帰るわけです。でも、駅までの道のりでは、お話が終わらないんですよね。だから、友達の家の駅でいったん降りて、話が終わるまでホームのベンチでも語る(笑)。だいたい、映画1本分の長さはありますよ。放課後から夜まで、それで丸つぶれでしたね。そして、自宅に帰ってからは、そのお話のキャラデザインをして漫画を描くわけです(笑)。時代柄、そのキャラデザインは、かなり江口寿史さんの影響を受けてましたね。『すすめパイレーツ』の絵柄で、『宇宙戦艦ヤマト』が描かれてましたね(笑)。ちなみに友達の話は、コンタロウさんの『1・2のアッホ!!』のキャラクターが出てくる『幻魔大戦』でした(爆笑)」
将来の夢は、漫画家かアニメ監督。もちろん、憧れのクリエイターは『宇宙戦艦ヤマト』の松本零士であり、西崎義展だ。アニメ雑誌を読み、掲載されていたアニメの絵コンテを真似る。MACが製作した同人誌にも、大学生に交じってパロディ漫画を発表するなど、彼の創作意欲はどこまでもふくらんでいった。 |