スクウェア・エニックスを代表するRPGシリーズを数々手がけ、CGディレクターとして活躍する生守一行さんが、子供時代の思い出を訊ねられて真っ先に話し出したのは、やはり絵にまつわるエピソード。彼が生まれたのは、東京都羽村市。美しい緑をまだ残す多摩地区の西部に位置するこじんまりとした町だ。
「小学校時代は、いたって普通の子供でした。動物が好きで、絵を描くのが好きだったので、新聞のチラシの裏に、よく動物の模写をしていましたね。動物が好きだから、動物の絵を描きたくなる。そうすると、頭の中で想像していた動物の造形と、実際に見た造形は違うことに気づくんですよ。だから、動物をじっくり観察するじゃないですか。そして“あぁ、カエルの足の関節って、こうなってるんだ”と気づく。その気づいたことを、正確に絵に描いてみないと気が済まなかったんですね(笑)。“うちの犬の足は、こんなところが逆関節になってるんだ”とか。虫の絵を描き出しても、途中で“何か違うなぁ”と思ってカブトムシを裏返して見ると、やっぱり足の生え方が想像してたのと違ってたりするんですよね。それを観察しながら、絵を仕上げてました」
生守さんの絵のモチーフになったのは、自宅で飼っていた犬やオウム、熱帯魚に、庭に棲むカエルや虫たち。想像上の動物や、トラやライオンなど身近で観察できない動物は描かなかったというから面白い。小学校時代の生守さんにとっては、色鉛筆と紙が、いちばん楽しいオモチャだった。
「家のすぐ横にあった羽村動物公園にもよく通いました。当時は、小学生は無料だったんじゃないかな。お金を払った記憶がないから(笑)。この動物園がまた小さなところで、派手な動物が全くいないんですよ。当時、飼育されていた、いちばん大きな動物がシベリアオオヤマネコ。ヒマさえあれば、そこに行ってました。もともと、親が動物好きでしたから、家にもいろんな動物を飼っていたんですよ。僕の動物好きは、その影響もあるんじゃないですかね。絵については、子供ですから、車を描いてみたりもするんですけど、動物のモチーフだけは飽きずにずっと描き続けていました。残念ながら、チラシに描いてた絵ですから、今では1枚も残ってないですけどね。きっと当時から、僕はエコロジストだったんですよ……ウソですけど(笑)」
絵以外の趣味は、近くを流れる多摩川での魚釣りやザリガニ釣り。生守さんの小学生時代は、外で遊んでいなければ、ひたすら熱心に絵を描いていたという。だから、テレビの子供向け番組もほとんど観ていなかったと当時を振り返る。
「もしかしたら、その当時、家にはテレビがなかったんじゃないかと思うくらい、テレビの記憶がないんですよね(苦笑)。同年代の男の子が必ず観ているはずの『仮面ライダー』も『ウルトラマン』シリーズも、観た覚えがない。唯一、ちゃんと覚えているのがアニメの『機動戦士ガンダム』と『聖戦士ダンバイン』。それ以前のアニメや特撮の記憶はあんまりないんですよね、不思議なことに。きっと、アニメをやってる時間は、外で遊びすぎてたんでしょうね」
アニメにも特撮にもさほど興味はなかった生守さん。ただし、小学校4年生頃にブームを呼んだ『ガンダム』だけは別だった。
「『ガンダム』にはさすがに衝撃を受けましたね(笑)。アニメなのに、普通に戦争を描いていたというのが凄かった。もちろんロボットの格好良さもありましたけど、ほかのロボットアニメが、何でも合体して勧善懲悪を描いていた中で、『ガンダム』の世界観はちょっとリアルだった。ロボットを兵器として表現していたのも新鮮でしたね」
そこから派生して、当時大ブームを巻き起こしていた「ガンプラ」にも興味を持った。
「まわりが全部ガンダムとガンプラに染まってましたからね。最初に買ったガンプラはギャン。ガンダム、ゲルググ、ジム、ボール……数はそれほど揃えてはいませんでしたが、ガンプラにハマって。友達の家に集まって、黙々と己のガンプラを組み立てるという。あんまり生産性のある遊びじゃなかったなぁ(笑)。そして、そこからプラモデル自体を作ることが面白くなっていきました。よく作っていたのは戦艦やゼロ戦ですね。宇宙戦艦にはいかずに(笑)、大和とか長門とか、リアルなほうで。お小遣いの半分くらいは、プラモデルにつぎ込んでました。まぁ、その間も、奥多摩湖までひとりで行ってブラックバスを釣ったりもしてましたけどね(笑)」
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