中学を卒業し、生守さんは「家が近かったから」という単純な理由で、そのまま地元の公立高校へと進学した。ところが?
「せっかく入学したのに、1年の時、親の仕事の都合で、千葉に引っ越すことになったんです。僕は、それまで暮らした羽村がとても好きだったので、親についていかずに一人暮らしを始めると言い出したんですが、親はさすがに反対しましてね。“一緒に千葉に来てくれれば、バイクを買ってあげる”と交換条件を出されて、OKしたんです。父がバイクを持っていて、僕も乗りたいと憧れていたんですよね。で、引っ越すまでの間にバイクの免許を取って、羽村で父親のバイクを乗り回していたまではよかったんですが、当時は暴走族が流行ったおかげで、世の中にバイクの“三ない運動”というのが広がっていました。高校生はバイクを“乗らない”“買わない”“(免許を)取らない”を校則にしてる学校が多かったんです。引っ越した先の千葉の高校がまさにそうで、転校したとたんバイクの免許証が見つかって、1週間の停学処分(笑)。結局、それを理由に、バイクも買ってもらえず終いでした」
羽村では、釣りなどの遊びに出掛ける時には、必ずバイクを足にしていた生守さんは、千葉に移り住んでから、アウトドアな足を断たれてしまう。そこで、彼の興味はグッとインドア志向に。新しい学校の友人達の影響もあり、中学時代からハマっていたゲームへの熱が、さらに加速することとなった。
「ゲーム文化そのものも、羽村と千葉の学校では全然違ってました。いちばん驚いたのが、セガのハードが人気だったこと。僕自身、アーケードゲームを遊んだりはしなかったので、セガというメーカーを知らなかったんです。それで、友達の家で『ファンタジーゾーン』などを遊んでみたら、マニアックで面白かった。それに、千葉のゲーム好きは、みんなやたらと真面目なんですよね(笑)。僕みたいにバイクで遊んでるヤツもいないし、おとなしくてインドアで。そこで僕もおとなしく、ゲームの話題でみんなの仲間になっていったんです」
彼らのゲーム知識の深さも、生守さんには新鮮だった。そして生守さんは、それまで全く存在を知らなかったテーブルトークRPG(TRPG)の世界にハマり込む。
「ちょうど、ゲームマニアの間でTRPGがブームになり出した時期で、まだ日本語版が発売されていないゲームを、みんなは英語版を翻訳してプレイしていたんです。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』『クトゥルフの呼び声』『ルーンクエスト』『指輪物語』……そこから、原作となったファンタジー小説なども読み出して、すっかりファンタジーRPGの世界が好きになって」
週末ともなれば、5〜6人がゲームマスターの家に集まってTRPGを遊び尽くす日々。そんな折、高校2年生になった生守さんは、TRPG仲間から薦められたファミコンのとあるオリジナル・ファンタジーRPGに出会う。
「海外産ファンタジーRPGのすべての要素を、上手に引っ張ってきているゲームがあったんですよね。『ファイナルファンタジー』っていうんですけど(笑)。魔法の名前も、システムも、そのまんま。これは、ファンタジーRPGをよく知ってる人がつくったんだなぁというのが、ひと目でわかりました。ゲームバランスは悪かったですけど、内容も面白かった。それに、橋を渡った瞬間にタイトルを出したりして、映画風の演出も格好良かったんですよ。そこからです。『FF』を発売したスクウェア(現スクウェア・エニックス)という会社に注目し出したのは」
それ以外に、この当時、生守さんの印象に残ったコンピュータゲームは?
「そうですね……いちばんは、パソコン版の『ウィザードリィ』。あとは王道で、『FF』『ドラゴンクエスト』シリーズ。『信長の野望』や『蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン』などのコーエーの武将物。日本ファルコムの『イース』『ザナドゥ』。相変わらず『マリオ』も面白かったです。『FF』と『ドラクエ』に限っていえば、『FF』は1作目、『ドラクエ』は『3』が好きですね」
そして、TRPGをキッカケにゲーム熱が復活した生守さんは、絵のほうも再び描き出すようになる。
「それもTRPGに関係があるんですが、ダンジョンの構造とか設定画とか、各プレイヤーが作ったキャラクターだとかを、絵に描いてくれとメンバーに頼まれるんですよ。まぁ、便利に使われてた感じですかね(笑)。でも、ゲームの仕事を始めてからは、その時に描いていた絵がけっこう参考になりましたから、やらされてよかったですね。そして、やはり絵を描くのは面白いということを再確認して、再び、絵のほうに興味がシフトしていったわけです」 |