現在、カプコンのプランナーとして、格闘アクションゲームを出発点に、数多くの作品を世に送り出してきた伊津野英昭さん。伊津野さんが生まれたのは大阪府。だが、すぐに銀行員である父親の転勤があり、奈良県奈良市で幼少期を過ごすことに。さらに、その後も実家は引っ越しを繰り返す。大阪から奈良県奈良市、兵庫県西宮市、そして再び奈良県へ。
「記憶に残っている最初の町は、幼稚園時代を過ごした奈良ですね。住んでたのは、西大寺という駅のあるところですが、そこも小学校1年くらいまでしかいなかったですね。そこから、西宮市に移って、西宮でも新設の小学校ができることになったので、すぐに新しい小学校に転校して。そして5年生になって、親が奈良に家を建てたのをキッカケに、また奈良に転校して……。小学校だけでも4回転校したんですよ。まぁ、ずっと関西をグルグルまわってただけなんですけどね(笑)。大人になっても、大阪のカプコンに入ってしまいましたから、未だに、こうして仕事で訪れる東京は怖い街ですねぇ(笑)」
その彼が、子供時代を思い出すときに、欠かせないアイテムがひとつある。「子供の頃の思い出といえば……」と、最初に口をついて出たのは“合体ロボ”という単語だった。
「学校を転々としてたせいか、その土地で何か、という思い出もそんなにないんですよ(苦笑)。なので、子供時代の思い出と聞かれると、とにかく思い出すのは合体ロボですよね。キッカケは……やっぱり物心つくかつかんかというときに観た『マジンガーZ』になるんですかね? それに始まり、『ゲッターロボ』『コンバトラーV』と、一連の流れで……。もう土日の放映日が楽しみで仕方なかったですよ(笑)」
伊津野さんが幼少期を過ごした‘70年代は、今でいうスーパーロボットが活躍するアニメが隆盛を極めた。その先駆けとなった『マジンガーZ』の放映がスタートしたのが’72年。ロボットアニメブームは、オモチャ業界にも大いに影響を与え、巨大ロボットをモチーフにした“超合金”シリーズもまた、一大ブームを巻き起こした。伊津野さんもまた、そんな超合金に魅せられた子供のひとりだ。
「ロボットのオモチャは、親にさんざん買わせてたみたいですよ。僕は全く自覚がないんですが、親に言わせると、“あんたには人よりも余計買うてやってる。オマエの欲が桁外れなんや”と、よく怒られましたね(笑)。さすがに、小学校低学年に買ってもらったのはなくしちゃいましたけど、実家に行けば、まだガラクタは残ってますね」
では、合体ロボ以外の遊びは?
「そうですねぇ……家の周りでは年上の人とばっかり遊んでたみたいですね。団地に住んでたんですけど、ませてたらしくて、同年代の子とよりは、2〜3歳上の人たちと、外で遊んでることのほうが多かった記憶がありますね。どんな遊びをしてたのかは、あんまり覚えてないんですが(笑)」
本人も言うように、少年時代の伊津野さんは、他よりもちょっとませた子供だったようだ。学校では、どんな子供だったかと聞くと?
「めちゃくちゃいいわけではないですが、勉強しなくても、そこそこ成績はよかったみたいですよ。そこもあんまりよくは覚えてないんですけど(苦笑)……1学年上の『科学』と『学習』を読んでました、ずっと。だからといって、勉強が好きだったわけでもないですけどね」
そんな伊津野さんいわく、自分の人格は、小学1年〜4年まで暮らした兵庫県・西宮市時代に形成されたとか。
「西宮には、小学校1年生の夏から4年生の終わりまでいましたね。そこは社宅だったんですが、男女問わず、友達も多かったですしね。思い出に残ってるのが、学校の帰り道。公園があって、そこに土管が並んでたんですよ。4年生くらいの時ですかね、そこに仲間と集まって、“おまえ、どの子が好きやねん!”なんて話ばっかりしてました(笑)。土管の中に入り込んで、男3人で寝そべって、毎日1時間くらいそんな話をしてるんですよ。もちろん、僕にもいてましたね、好きな女の子。まぁ、あれが初恋になるんですかね、目の大きいかわいらしい子でした(笑)。いい思い出です」
放課後は、友達と恋バナに花を咲かせ、その後は……?
「DX超合金を持ってる友達の家に遊びに行く、と(笑)。’70年代後半から’80年年代前半に小学生・中学生だった子は、みんな超合金大好きやったと思いますよ。友達とふたりで、ガーッとか、ギーンとか叫びながら戦わせてるだけなんですけど。まぁ、当時の男の子は、みんなそんな感じでしたよ」
さらに伊津野さんは、自宅に帰ってからも合体ロボの世界に浸り込んでいた。工作好きだった彼は……。
「超合金の遊びよりも、自分で考えた合体ロボや変形ロボのほうが、思い出深いですね。工作用紙ってあるじゃないですか。厚手の紙で、方眼が印刷されてるヤツ。あれとカッターとセロハンテープと糊と……割りピンを用意して、自分で作るんです。飛行機に変形するロボットとか、合体するロボットを設計して、自作のペーパークラフト遊びをしてました。すぐ壊れちゃうんですけどね。そういえば、ロボットのアイデアを書きためたノートもありましたね。気に入ったロボットは、漫画にもしましたよ。ストーリーは、当時流行ってた『コンバトラーV』っぽかったかな。とにかく、合体しないロボには興味なかったですね(笑)。鉄腕アトムも鉄人28号も“ふーん”って感じで、僕にとってのロボットは、合体・変形してナンボでした」
伊津野さんが、自作ロボットにハマったのにも理由がある。本当は、超合金がたくさん欲しかったのだが、合体ロボットのオモチャを何でも欲しがる彼に、両親も高価な超合金をそうそう与えるわけにはいかなかった。
「特に合体するオモチャは高いんですよね。合体なしのスタンダードな超合金は、たまに買ってもらえるんですが、合体とか変形とかのギミックがついたDX超合金はさすがに……。その気持ちを紛らわすために、自分で作る道を選んだというわけです。もともと、工作は大好きでしたからね。工作といえば、小学校の凧揚げ大会も思い出しますね。自分で作った凧を武庫川の河川敷で飛ばして、いちばん高く飛ばせた人が勝ちなんですけど、僕ね、3年生と4年生のとき、2年連続でそれに優勝してるんです(笑)。子供の頃から、なんやかんやと物を作ることに興味はあったんでしょうね」 |