こうして、'95年、昔ながらのソフトハウスの趣を残した日本一ソフトウェアでの新川さんの生活がスタート。慣れない営業・広報活動を始めた新川さんだったが、嬉しいことに、入社してすぐにゲーム開発に関わる仕事が舞い込んできた。
「会社に入って1ヵ月くらいした時でした。社長に大阪出張に行くからついて来いと言われたんです。“なんやろなぁ?”と思って行ってみたら、社長が“今、大阪で『ロジック麻雀 創龍』というゲームを作り始めている。これ、オマエがやれ”と言うんですよ。駅でふたり並んで電車を待ってたら、いきなりですよ(笑)。“あ、そんなんで開発者決めてええの?”と驚きましたが、昔からやりたかったことですし、ダメもとでやってみようと思って、すぐに引き受けました」
いきなりタイトルを1本任された新川さんは、営業・広報の仕事を続けながら、張り切ってPS®『ロジック麻雀 創龍』の開発に注力した。ゲーム制作のやり方に関して、新川さんには先輩からの指導も特になかったが、長年ゲームを遊ぶなかで培った想像力をフルに発揮。「ここをこうしたい、ああしたい」というアイデアをぶつけながら、ソフトを無事完成させた。その後も新川さんは、パズルゲームや他メーカーの下請けとして開発を行なっていたタイトルに関わり、ゲームクリエイターとしてのキャリアを積んでいった。
「だからといって、営業の仕事がラクになったわけでもないんですけどね(笑)。でも、ゲーム制作はいちばんやりたかったことでもあるので、忙しくても苦ではなかったです」
そして、入社後2度目の転機が訪れる。それが、個性派RPGメーカーとして、日本一ソフトウェアの名を一躍ファンに知らしめた、PS®『マール王国の人形姫』の開発だった。
『マール王国の人形姫』
「ストーリーモードのシナリオを、私が書くことになったんですよね。それまで、自分がシナリオを書くなんて考えたこともなかったんですが、他に誰もやる人がいなかった(笑)。『ロジック麻雀 創龍』の時からそうなんですけど、ウチの社内にはシナリオライターがいないんですよ。小さい会社ですから、専門職がいなければ、今いる誰かがやらなければならない。これもいい経験だと思い、“じゃあ、やってみます”と手を挙げました。始めてみたら性に合っていたのか、その後もシナリオをずっと書くことになりました」
いきなりのシナリオライターへの抜擢だったが、新川さんは慌てなかった。
「特に、シナリオを書くための勉強もしなかったです(笑)。ストーリーは最初からメルヘンにしようと思っていたので、すんなりと世界に同化できたんでしょうね。本を読むのは好きでしたから、言葉やアイデアは自然に出てきました。基本的に“やればできる。何とかなる”と思ってる人なので(笑)、広く浅くいろんな物を見てきた経験が、いかせたんじゃないですかね。シナリオを書く時に必要なのは、引き出しの多さ。映画を観たり、本を読んだり、旅行に行ったりと、いろいろな経験をしたほうがいい。移動中とかお風呂に入っている時とか、何かの拍子にお話が浮かんでくることもありますよ」
そもそも、パズルと麻雀ゲームのメーカーとして名を馳せていた日本一ソフトウェアが、それまで門外漢だったRPG制作に乗り出したのには大きな理由があった。ちなみに、『マール王国の人形姫』の発売は'98年12月。
「業界全体が、ゲームがなかなか売れない時期に差し掛かっていました。頑張って作っても、1万本売れるか売れないか。ウチは特に、地味なタイトルが多かったので、私はこのままでは会社が潰れてしまうかも知れないと思ったんですよね。このままパズルと麻雀をやり続けても、2〜3年は保つかも知れないが、ジワジワ死にますと。ならば、どうせ死ぬんだったら新しいチャレンジをして、ドカンと一発、派手に花火を上げてから死にましょうと、社長に提案したんです(笑)。 社長も会社がキツいのはわかっていたので、それまでも、ちょっとでも目立つために、変わり種のタイトルはちょこちょこ出していたんですよね。美少女が出てくる対戦型ジグソーゲームのPS®『どきどきシャッターチャンス 恋のパズルを組み立てて』とか、PS®『炎の料理人クッキングファイター好』とか(笑)。でも結局、中身がしっかりしていなかったので、目立つだけで先に繋がらない。じゃあ、RPGでしっかりしたものを作ろうじゃないかと、『マール王国の人形姫』を企画したんです」
新川さんにとっても思い出深い『マール王国の人形姫』には、それまで以上に全社が総力を挙げて取り組んだ。
「キャラクターデザイナーには、発売の2年くらい前から先に仕込みをお願いして、実際の開発期間も1年間ほどかけて、じっくり作っていきました。ああいう可愛らしいゲームにしたのは、殺伐とした事件が続く時代だったからですね。普通に生活してても暗い話ばかりなのに、ゲームの中でまで殺伐とした思いをするのは嫌じゃないですか。だったら、ゲームの中くらい、ユーザーの心にちゃんと残る、夢のあるいいお話を伝えたいと。そこから、ウチのRPGは、戦いがあっても優しい気持ちになれるお話を心がけて作ってきています」
新川さんと日本一ソフトウェアが上げた大きな花火、『マール王国の人形姫』は、個性的なミュージカル風のイベントシーンを特徴にした夢のあふれるキュートな雰囲気が話題を呼び、スマッシュヒットを飛ばした。そこから『マール王国の人形姫』シリーズを続け、RPG制作のベースを安定させた日本一ソフトウェアは、さらなるステップを踏み出した。
「『マール王国の人形姫』シリーズを3作作った後で、そろそろ違うジャンルにもチャレンジしようということになりました。『マール王国』は、純粋なRPGだったので、かなりストーリー寄りの作品でした。でも、ゲームの面白さはストーリーだけじゃない。そもそもゲームシステムが面白くないとダメです。なので、『マール王国』で7:3だったストーリー:システムの比重を、5:5くらいに持って行こうよと、シミュレーションRPGの開発を始めて、'02年にPS2『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』を発売したんです」
その後も、'03年には、同社の看板タイトルとなる“史上最凶やり込みシミュレーションRPG”と銘打った人気シリーズ第1作目、PS2『魔界戦記ディスガイア』、'05年には『ファントム・キングダム』を発表。個性的なファンタジー世界をコミカルな雰囲気で描き、丁寧なシステムでユーザーのやり込み心をガッチリ掴む日本一ソフトウェアのシミュレーションRPGシリーズは、ファンに熱狂的な人気を博していく。
「ウチのゲームは、社内の10数人ほどで内容のコアな部分を作り、物量が必要な部分は外部に頼むというやり方で来ています。ただし、社内での作り方は、あまり一般的ではないかも知れません。シナリオの担当とプログラムの担当とデザインの担当がいて、“だいたいこういうことをやろうか”とイメージをすり合わせておき、そこから一定期間は、各自が勝手に内容を作り込んでいく。そして、途中で一度それを合体して、上手く合ったらそのままの方向で制作を続けるんです。 初代の『ディスガイア』だったら、ゲームシステム寄りの内容にしようというのがまず決まってて、いろいろな要素に柔軟に対応するためには、何が起こってもかまわない“魔界”という舞台がいい。じゃあ、“魔界”でいこう。そこから先は、それぞれが好き勝手に(笑)。『ファントム・キングダム』までは、そのやり方で失敗もなく来ました。小さい会社なので、普段からしょっちゅう話をしてますし、みんながやってることも把握できるんです。だから上手くいくし、これが最短の制作行程ではないかと(笑)」 |