指輪1個から世界まで何でも作れる。ゲームは、デザイナーにとって夢のような仕事場です。 金澤 浩隆
 

個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。今月は、4月24日発売予定のPLAYSTATION®3の期待作『戦場のヴァルキュリア』のグラフィックシステム“CANVAS”を統括するセガのデザイナー・金澤浩隆さんのインタビューをお届けする。少年期はプラモデル作りに熱中し、アーティストを目指して美術大学に進学した金澤さんが、ゲーム業界に入ったキッカケとは? 斬新なシステムを数多く搭載し、ゲーム次世代に向けた斬新なビジュアル表現を手に入れた『戦場のヴァルキュリア』の開発秘話を交え、金澤さんに半生を語ってもらった。

取材・文/阿部美香(ライター)
 

幼稚園・小学校時代低学年〜ロボットの構造が気になって

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 「うーん、何から話したらいいんでしょうかね? やっぱり物作りに関係あるところから……」と、おだやかな口調で半生を語りだした金澤浩隆さんは、96年セガ入社以降、ジャンルを問わずさまざまな有名タイトルで活躍しているデザイナーだ。彼の最新作は、PLAYSTATION®3の期待作『戦場のヴァルキュリア』。同作ではデザインリーダーを務め、同作のビジュアルを特徴づけている“CANVAS”システムの開発を統括した。そんな金澤さんの幼少時、真っ先に挙がった思い出のエピソードは、幼稚園から小学校低学年にかけて夢中になったロボットアニメにまつわる話だ。

「当時、僕が住んでいたのは、恐山のふもとにあるむつ市というところ。ロボットアニメが大好きでよく観ていました。そこに出てくるロボットのオモチャも好きで、昔、超合金ってあったじゃないですか。誕生日やクリスマスに買ってもらったあの手のオモチャを……よく分解してました(笑)。それは、超合金やロボットのオモチャに限ったことではなく、物があると分解したくなる子供だったんです」

 勇者ライディーン、鋼鉄ジーグ、コンバトラーV……。手に入れたオモチャは、いちおうは遊んでみるものの、そのうち金澤さんの興味は、オモチャの中身にシフト。気がつけば、勇壮なロボットたちはバラバラにされ、二度と組み立て不可能な状態になっていた。

「特に、可動部が気になって。どういう仕組みで動いてるんだろう? と気になってしょうがない……ように思っていたハズなんですよ。今は、壊れちゃった後の光景しか頭に残ってないので、当時、何を考えて分解していたのかはハッキリしないんですけどね(笑)。飽きっぽい子供ではあったので、きっとそのせいもあったんでしょう。ちょっと大きくなってからは、プラモデルにハマりましたね。オリジナルのロボットが4個パッケージされてた300円の“ロボダッチ”シリーズ(今井科学)とか。お小遣いを握りしめて、ワクワクもので買いに行ってました」

 もともと、メカニックな物の構造に興味があったのだろう。絵を描くのも好きだった金澤さんは、ロボット本体を使った遊びと共に、自分で描いた絵を使ったロボット遊びにも興じていた。

「ひとりでロボットの“操縦ごっこ”をするんです。コックピット前面の機械を描いた画用紙と、右手側の操縦レバー類と機械を描いた画用紙と、左手側のレバー類と機械を描いた画用紙を自分の周りを取り囲むように並べて、操縦席に座ってる気分で、ロボットを動かしてる真似をする。発進とか攻撃とか(笑)。だから、専用コントローラでロボット操縦を楽しむゲーム『鉄騎』を作った人の気持ちは、非常によくわかるんです。
 もちろん、ロボット本体の絵もよく描きました。でも、見た目よりも中身を重視した絵なんですよね。よく、子供向けの雑誌や単行本で、“〜のヒミツ”みたいな企画があるじゃないですか。“〜ロボットの中はこうなってる!”みたいな、メカの内部構造を紹介したページが。僕の描いていた絵は、そんな感じ。オモチャをせっせと分解してたのも、中身への興味があったからなんです」

 男の子らしいヒーロー願望は、ロボット相手に限らない。当時の子供たちに熱狂的に愛されていた仮面ライダーも、金澤さんは大好きだった。

「リアルタイムに夢中になったのは、『仮面ライダーV3』。変身ベルトは初代のものでしたが、V3の自転車を買ってもらい、それを乗り回しながら仮面ライダーごっこをしてました。自転車を両手放しでこいで、叫びながら飛び降りる。それが、僕のお気に入りの遊びでしたね。友達と、仮面ライダーと悪の秘密結社に分かれて戦ったり。ライダーになったつもりで木の上から飛び降りて、肩の骨を外したこともあった……と、親は申しておりました(笑)。残念ながら、僕にはその記憶がないんですけど、今でも親が語るところを見ると、きっと大事件だったんでしょう」

 青森県で暮らしていた頃はこうして、外での遊びと家の中での遊び、両方に励んでいた金澤さん。しかし、父親の転勤があり、彼は小学校2年の時に千葉県柏市に引っ越しをすることに。

「自転車が好きで、プラモとアニメが好きで、という趣味は同じでしたが、そこから、やや内向的になったんですよ。やっぱり、方言の問題があったんですかね? 特にからかわれたとか、いじめられた記憶はないんですけど、ちょっとした気後れがあったんじゃないですかね」

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小学校高学年・中学生時代〜『ガンダム』の洗礼

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 柏市に移ってから、小学校時代の金澤さんの記憶に残っているものといえば、陸上の市大会、県大会出場に備えるために設けられていた“特設陸上部”だ。そこに所属するのは基本的に、校内で陸上の実力があると選抜されたメンバー。だが、担任が特設陸上部の顧問をやっていたため、金澤さんのクラスだけは全員が強制参加させられた。

「5年生と6年生で別の担任だったんですが、どちらも特設陸上部の顧問でした。それで2年間、うちのクラスは特設陸上部の朝練に出なければならなかったんですよ。正規に参加していた選抜メンバーと違って、僕らは競技に関係のないその他大勢。朝練といっても特別なメニューがあるわけでもなく、朝早く集まってマラソンをして終わり、みたいなね(苦笑)。たまに短距離走や鉄棒もしましたけど、要は、選手の練習のついでに、みんなで基礎体力作りをやらされていたんですね。おかげで、うちのクラスは全員、逆上がりができるようになったし、体力もついた。僕も中学校では、足の速い子になれました。そこから先は、中学校でほんの一時期、軟式テニス部に入ってたくらいで、運動する機会もほぼなくなってしまうんですが(笑)」

 そして同じ時期、小学校5年生の頃。金澤さんもまた、他の同年代クリエイターと同じように、エポックメイキングなロボットアニメに出会う。それはもちろん、『機動戦士ガンダム』だ。

「そこからは、プラモデル一筋ですね。他のみなさんと同じように、僕もガンダムの洗礼を受けて数年間はアニメにどっぷり。ガンダムは、おそらく僕らが、本放送を観ていた最後の世代になるんじゃないですかね。その前から、プラモデルが好きだったこともあって、そこから高校の半ばくらいまではガンプラ作って終わりかな(笑)。
 アニメに関してよく覚えているのは、ガンダムよりちょっと前だと『無敵超人ザンボット3』をよく観ていたのを覚えています。ガンダム周辺だと、『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『ルパン三世』……『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『超時空要塞マクロス』の劇場版くらいまでは観ていましたね。『装甲騎兵ボトムズ』は、暗くてついていけなかった(笑)。あと、高校に入ってからは『うる星やつら』とか……」

 中学〜高校にかけてはたくさんの作品を見続けていた金澤さんだが、高校の半ばくらいからは、まったくアニメを観なくなったという。

「セガを受けた時には、“アニメの絵は嫌いです”とか“描けません”とまで、面接で言ってた思い出が(笑)。今も全然観ていないですね。でも当時は、マニアに近い感じでしたよ。読んでいたアニメ雑誌は『アニメック』派……時々『ファンロード』『OUT』でした(笑)」

 金澤さんが読んでいたという『アニメック』は、70年代後半に創刊され、80年代後半に休刊した伝説のアニメ雑誌。まだヒットの兆しが見えない頃から、『機動戦士ガンダム』をいち早く取り上げたことで評価を高め、 “評論と設定資料集の『アニメック』”と呼ばれた雑誌だ。数あるアニメ雑誌の中から愛読誌に『アニメック』を選んだのは、幼い頃、ロボットの内部構造に興味津々だった、金澤さんらしい選択だったのかも知れない。

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高校時代その1〜プロモデラーに憧れる

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 中学時代をアニメ少年、プラモデル少年として過ごした金澤さんは、卒業後、専修大学松戸高校に進む。元男子校だったその高校は女子が少なく、「ちょっとガッカリ(苦笑)」したという金澤さんではあったが、個性的な友達と伸び伸びした高校生活を送ったという。

「特定の子たちとつるんで体育館の天井に登って遊んだり、学校に内緒でバイクの免許を取って、原チャリでつくば万博に行ってみたり。ちょっとヘンな遊びをしていた記憶があります。そのときの友達は、中学校で番長だったヤツとか、僕と同じくアニメ好きのヤツとか、勉強できるクルマ好きのヤツとか……けっこうバラバラな趣味を持った子たち。なんか面白いことをしたいヤツが、集まってきたんですよ。文化祭も楽しかったですね。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のノリでワイワイ遊んでました」

 金澤さんの高校時代前半は、それまでの生活でいちばん、プラモデルを作っていた時期でもあった。ガンプラはもちろんのこと、ガンダム以降のロボット物のプラモデル作りに、金澤さんは熱中した。

「その時に一瞬、プロになることも考えました。プラモデル業界は、『ホビージャパン』で横山宏さんのSF3Dシリーズが始まって、ガンプラの凝った改造が盛んに行なわれ出した時期ですね。僕も、何かのプラモデル誌に改造作品が掲載されて……バンダイの模型雑誌『B-CLUB』からは一度、『蒼き流星SPTレイズナー』のテストショット(試作品)をもらって、“記事を書いてみないか?”と言われたこともあります。それは締め切りには間に合わず、1万円くらいの謝礼をもらって、『B-CLUB』に作品の写真がちょこっと掲載されて終わってしまったんですけど。改造に手をつけると、やりすぎて収拾がつかなくなって、どうも完成までこぎつけないんですよ。
 それに、あの時期から、僕なんかがとてもかなわない、実力あるモデラーが出てき始めてきたこともあって、プロモデラーの道は半ば諦めてはいたんです。でも、『B-CLUB』の記事をちゃんと書いていれば、今頃はゲームクリエイターではなく、憧れのプロモデラー・デビューくらいは飾れたかも知れないんですけどね(笑)」

 そんなモデラー熱も、高校時代の後半には落ち着きをみせる。金澤さんが、将来のある目標に向けて走り出したからだ。それが、絵を描く職業に就くこと、だった。

「それまでにも、絵を職業にしたいという気持ちは、心のどこかにあったんです。伏線は、中学校1年の時。担任の先生に、僕の描いた絵が“目の付けどころがいい”と褒められまして、イラストレーターの仕事をしてみたいなぁと、うっすら思い始めていたんです。高校時代も、いちおう、名ばかりではありましたけど美術部員だったんです。ただ、丹誠込めた作品を完成させた記憶がない(笑)。プラモデルの時もそうでしたけど、なぜか作品は未完成のことが多かったんですよね」

 絵ともうひとつ、高校時代、金澤さんは現在の職業に縁のあるアイテムを手に入れ、興味を深めていた。それは、PCだ。

「最初にマシンを手に入れたのは、84年。高校1年生の時でした。PC-8800シリーズに代表される、いわゆる8ビットパソコンですね。僕が買ったのは、シャープの初代X1。84年にはもう後継機種が出ていたので、定価30万円くらいのが型落ちしたものを、バイトで貯めたお金で買いました。確か、16万円だったかな? パソコンを買った理由は、メカが好きだったから。今はもうそういう熱い欲求はないんですが、当時は新しいメカが欲しくてたまらない少年だったんです。
 それで、雑誌を見ながらBASICのプログラムを打ち込んだり、たいしたことのないグラフィックソフトを使って可愛い女の子やロボットの絵を描いて楽しんでいました。絵が表示されるまで何分もかかるので、そのうちただのゲームマシンになっちゃいましたけど。ここで自作プログラミングでも始めていれば、今頃は……プログラマーになっていたかな?(笑)」

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