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指輪1個から世界まで何でも作れる。ゲームは、デザイナーにとって夢のような仕事場です。 金澤 浩隆

金澤浩隆の高校時代までのゲーム遍歴

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 ここまで話が進んだところで、「あ、そうだ。今まですっかり忘れてましたけど、高校以前からゲームも確かに好きでしたね、僕は(笑)」と、金澤さん。せっかく思い出していただいたので、ちょっと時代を遡りながら、ゲーム遍歴を振り返ってもらおう。

「小学校の時は、駄菓子屋で安くアーケードゲームを遊んでましたね。『スペースインベーダー』(タイトー)、『ギャラクシアン』『ギャラガ』『ギャプラス』(以上ナムコ。現バンダイナムコゲームス)……。あとは、ハードも時代もバラバラになっちゃいますが、昔のゲームでよく覚えているのは『ムーンクレスタ』(日本物産)、『平安京エイリアン』(電気音響)、『バルーンファイト』(任天堂)、『ルパン三世』の何か……(笑)。そして、『ゼビウス』ですね。そのあたりのシューティングっぽいゲームはひととおりやってました」

 そこから時代は、アーケードの次世代へと進む。

「システムの向上と共に、疑似3Dのレースゲームが盛んになっていったので、『ポールポジション』(ナムコ。現バンダイナムコゲームス)や『デイトナUSA』『モナコグランプリ』(以上セガ)もやり込みましたね。そして……セガといえば『アフターバーナー』(セガ)。特に『アフターバーナー』は大好きで、自分のバイクのヘルメットにも星をつけていたくらい(笑)。ゲームも画期的でしたが、曲もよかったですよね。体感ゲームでいえば『ハングオン』(セガ)も。今となっては手前味噌ですけど(笑)、そのあたりの体感物は、セガばっかりでした」

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高校時代その2〜目指すは美術大学

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 閑話休題。話を高校生時代に戻そう。プロモデラーを諦め、高校卒業後の進路をそろそろ考えなければならない時期に差し掛かった金澤さんは、新たな目標を手に入れた。キッカケは美術の先生のひと言だった。

「美術部の顧問が、“美大を目指してみないか?”と言ってくれたんです。それほど絵が上手だったのかと言われると、どうだったんですかね?(笑)当時、その先生は小さな美大受験予備校のバイト講師をやっていたんですよ。僕が想像するには、半分は、その予備校に通わせようという魂胆があったんじゃないかと?(笑)」

 そして金澤さんは、ご両親に美術大学への進学希望を伝えた。すると?

「“だったら、芸大(東京芸術大学)ね”と。うちは兄弟が多かったので、お金がかかる私立じゃなく、国公立を目指せと。それは中学生の時から言われていて、僕は高校受験の時に第1志望の公立に落ちて、私立に行ったという過去もありましたから(苦笑)、今度は本気で国公立を目指さざるを得ないことになりまして。幸い、受験勉強のお金は出してもらえることになり、高校2年の終わりから、美大受験予備校に通ったんです」

 そこからの金澤さんは、美大受験ひと筋。好きだったアニメ鑑賞も、プラモデル作りもひと休みして、絵を描く日々が続いた。

「当時は、“俺って絵の天才じゃないか?”と思ってました(苦笑)。デッサンも、自分ではかなり上手いんじゃないかと思い込んでて。別に、誰に絵を褒められたわけでもなかったんですけど、根拠のない自信だけはあったんですよ。なぜ、そこまで思い込めたのかは、今となっては謎ですね(笑)」

 そんな金澤さんの高3、受験本番。予備校にも真面目に通い、自信満々で挑んだが……?

「美大志望者が必ず受ける3点セット“ゲイダイ、ムサタマ”(東京芸術大学、武蔵野美術大学、多摩美術大学)と筑波大学を受験したんですが……全滅(苦笑)。結局、2浪して多摩美に入ったんですけど、2浪目の夏でやっと目が覚めたんですよ。“もしかして、俺は絵が上手くないんじゃないか?”って(笑)。もしかしたら、ステッドラーからHiユニに、鉛筆を変えたおかげなのかも知れないですけど(笑)、そこからデッサンがめきめき上達したことは確かですね。芸大はさすがに落ちましたけど、武蔵美は1学科、多摩美は2学科受かりましたからね。キッカケというのは、自分じゃ気づかないものなんですよ、きっと」

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美術大学生時代〜大きな立体物を作りたい

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 こうして金澤さんは、憧れの美大に合格。複数受かった大学、学科から、彼が選んだのは多摩美術大学の立体デザイン科だった。なぜ、立体を?

「平面の絵は、独学でも描けるようになるだろう。でも立体物は、自分でふと思いついて作れるものじゃない。だったら、今がチャンスだと考えました。それまで僕が作ったことのある立体物は、せいぜい20〜30cmのプラモデルを使ったジオラマくらい。でも、大学の施設を使えば、金属やガラスを使った大きな作品を作れるわけですよ。それが魅力でしたね。ふだん扱えない素材で、デカい物を作ってみたい。そう考えて、立体デザイン科に進むことにしたんです」

 ところで、少年期にイラストレーターへの憧れがあったという金澤さんだが、多摩美に入学したときは、将来は何になろうと?

「就職はしなきゃいけないとは思っていましたが、特にどの分野の何になろうという具体的な展望はなく。なんとなく、“立体もできる絵描きでいけんじゃん?”と思ってましたね。過去の自信過剰が、まだ捨て切れてなかった(笑)。アートに関しては、時代もそんな雰囲気だったんですよ。80年代に流行した“ヘタウマ”ブームの流れから、日比野克彦さんのように、イラストと絵画の間くらいのところで、平面に囚われず、立体も表現しましょうという大きなムーブメントが起こっていた。そこに、何かもっと面白いことがあるんじゃないか。僕がもぐり込む余地もあるんじゃないか、と思ったんですね」

 そんな金澤さんは、どのような大学生活を送っていたのか。

「えーと……留年を1回しました(笑)。作品を提出し忘れて、いちばん面白みのない1年生を2回やってしまいましたね。でも、その後は面白かったですよ。授業では、木材、金属、ガラス……いろんな素材で、1ヵ月にひとつ課題を作るというのが基本のパターン。その中でも、鉄と火を使う金属加工が面白くて、専攻も金工に決めました。鉄には……ロボット好き、メカ好きの血が騒ぐんですよ(笑)」

 では、プライベートでは?

「そっちも鉄っぽい(笑)。バイクに夢中でしたね。スクーターに始まり、ギア付きの50ccに乗り、それが物足りなくなったので中型免許を取って、その足でバイクショップに行き新車を買っちゃったくらい。愛車は緑のHONDAのSPADA。その後、スズキのGSXの中でも、ちょっとヌメっとした形のFという車種に乗り替えました。大学生活最後に、北海道を2週間ほどかけてツーリングした思い出があります。大学を卒業してからは、愛車を事故で潰してしまったこともあり、当時の彼女……今の奥さんからもバイクは危ないと言われて、すっかり乗らなくなってしまいましたね」

 バイクと金工に明け暮れていた美大生・金澤さんも、いよいよ卒業シーズンを迎える。卒業制作の作品は、鉄でできた全高2m30cmほどの巨大なカマキリだった。

「卒業制作をやってみてつくづく感じたのは、金工作品をつくるには、とにかく体力と根気がいるということでした。例えば、ガラス作品なら締め切り直前にガーッと作っても何とかなる。でも、金属の作品は、一朝一夕に作れるものじゃないんです。僕は、さほど体力に自信があるわけではないし、何より、プラモデル小僧だった時からずっと、立体物を作ると細部にこだわるあまり、作品を完成させられないという癖がある。しかも、大学では、才能あるヤツがスゴい作品を作っているわけです。それを見てしまうと、とてもじゃないけど、僕は金工で食っていく自信が持てませんでした」

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