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いいゲーム作りに欠かせないのは運。自分で何かを頑張ることで、運を手に入れることができるんです。 一瀬泰範
 

個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。今月は、3月27日に発売されたPSP®の大注目作『モンスターハンターポータブル 2nd G』のディレクター・一瀬泰範さんに、その半生を伺った。小学生時代、友達の家で遊んだファミコンゲームにショックを受け、そこからゲーム漬けの日々を過ごしていった一瀬さんは、いつしかゲームクリエイターへの夢を膨らませていった。そして、専門学校で受けたある授業をキッカケにして、カプコンに入社。さまざまな苦労を重ねながら、ミリオンヒットタイトルを生み出した。最新作の開発秘話を交えながら、彼の歩んできた道のりと、心に残るエピソードを語ってもらおう。

取材・文/阿部美香(ライター)
 

ファミコンにショックを受けた小学生時代

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 現在、大ヒット中の『モンスターハンターポータブル 2nd G』を筆頭に、PSP®で発売された『モンスターハンターポータブル』(以下『MHP』)シリーズ全てのディレクションを手がける一瀬さんが生まれたのは、大阪府大阪市の北側にある旭区。両親と3歳年下の妹の4人家族で育った彼が、幼少時代いちばん心に残っているのは、やはりゲームの思い出だ。

「最初にゲームに触ったのは、小学校3年生か4年生くらいの時ですね。友達の家に遊びに行った時に、『マリオブラザーズ』を見せてもらって、“あぁ、テレビゲームでこんなんあるんや。今まで全然知らんかったわ!”と思ったのがゲームを知ったキッカケです。ファミコンが流行ってたのは知ってましたけど、家になかったし、それまでやる機会がなかった。外で遊んでたり、家に友達呼んでワイワイやってるほうが楽しかったので、それまではゲームで遊ぶ機会がなかったんです」

 ファミコンを持っている友達の家に行ったのも、ほんの偶然。そこで、遅ればせながら初めてテレビゲームに触れた一瀬さんは、すっかりその虜になってしまった。

「当時はファミコンも高かったので、ウチで買ってもらうこともできなくて。だから、毎日、学校が終わったら5〜6人でつるんで、友達の家に上がり込んで遊ばせてもらってました。でも、それがあまりにも面白かったので、そのうち親に泣きついて、その年の年末……誕生日だかクリスマスだかのプレゼントとして、やっと買ってもらうことができました」

  一緒に買ってもらったソフトは、『バルーンファイト』と『アイスクライマー』(以上、任天堂)。テレビゲームの魅力に取り憑かれた一瀬さんは、そのふたつのソフトをずっと遊んでいたという。

「学校が終わって家に帰ってから、毎日2〜3時間はやってましたかね。それくらいの時期になると、友達もみんな家にゲーム機を買い込んでましたから、自分の家に友達を呼んだり、人の家に遊びに行ったりしながら、ひたすらゲーム。持ち回りで、みんなの家でゲームを遊ぶ毎日でした」

 では当時、印象に残っているタイトルは?

「ナムコのゲームが大好きでしたね。『ドルアーガの塔』とか『ワープマン』とか。『ワープマン』は、『ディグダグ』なんかのように、ナムコお得意の1画面で遊ばせるタイプのゲーム。四方から敵が出てきて、それを倒しながら進めていくんです。
 ナムコ好きになったのには、ほかにも理由もあるんです。他のメーカーのゲームに比べて、値段がひと回り安かったんですよ(笑)。確か、4,000円しなかったような気がします。父や母に買ってもらったソフトももちろん多いですけど、自力でお小遣いを貯めていけば、3ヵ月か4ヵ月したら1本買える。他社のゲームは、もう一踏ん張りしないと無理だったので、当時の小学生にとってナムコは神でしたねぇ(笑)」

 一瀬さんの最寄り駅は、京阪電鉄の千林駅。電車で3〜40分ほどで梅田にも行ける、下町の雰囲気を色濃く残した大阪のベッドタウンだ。そこには、天神橋筋商店街や駒川商店街と並んで、大阪で三本の指に入る長さのアーケードを誇る一大商店街、千林商店街がある。一瀬少年も、少ないお小遣いを握りしめて、この商店街に通いつめた。そんな一瀬さんに、ゲーム以外の思い出を尋ねてみると?

「習い事は、親にいろいろやらされてましたね。書道、水泳、そろばん……とっかえひっかえ(笑)。でも、勉強に関してうるさく言う親ではなかった。ゲームを遊んでても、叱られませんでしたからね。塾も中学時代に一度通ったことはあったけど、すぐ辞めてしまいました。親のほうが“もう行かんでええわ!”って言い出して(笑)。僕は、友達も一緒やったし、塾を楽しんでたんですけど、親から見ると“面白くなさそうだから、辞めてええよ”と。僕もつい、素直に従ってしまいました。特に疑問にも思わず、"まあええか。"程度に思ってました(笑)」

 このエピソードでわかるように、一瀬さんは「いたって素直で真面目な子供でした」と自らを振り返る。

「自分で言うのもなんですけど、人に言われたことは必ず守るええ子やったんですよ。ヤンチャするわけでもなく、どっちかというと……クラスにひとりはいるような(笑)。勉強も嫌いではなかったですしね。それが高じて、中学の頃なんか、通信簿に“学生の鑑”と書かれてビックリしましたよ(笑)」

 彼の真面目さを、さらに頷かせるエピソードもある。

「ゲームをやっていない時は、よく図書館に通ってましたね。推理小説が面白くて、一時期すごくハマッてたんですよ。図書館に行けば、山ほど本があって、しかもタダで読める。あのシステムは、画期的ですよね(笑)。“もしかして、俺、無限に本読めるんちゃう?”と、小学生の時に気づいてしまった。それからは、週に一度くらい、読みたい本をまとめて借りてました。
 好きだったのは、江戸川乱歩の明智小五郎シリーズ。小林少年が、羨ましくてね。“たまらんなぁ、コイツ”と思いながら読んでました(笑)。明智小五郎よりも、小林少年派ですね、僕は。何でもそうなんですけど、主人公よりも脇役が好きなんですよ。一歩退いてる立ち位置の役どころのほうが、味があっていいですね」

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“学生の鑑”と呼ばれた中学時代

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 真面目な小学校時代を経て、一瀬さんが進んだ中学は自宅から徒歩15分ほどのところにある公立校。自分の中学時代を一瀬さんは、「まぁ、中学生になったといっても、小学生の時とやってることはあんまり変わりなかったですね」と振り返る。

「違ったことといえば、部活で卓球を始めたことですか。実は、小学生の時にいくつかスポーツをやる中で、どうも自分は球技がことごとくダメだということがわかったんですよ。ただ、卓球だけは、イケそうな気がしてました。友達にはサッカーが人気で、僕も好きだったんですけど、いかんせん、ボールと友達になれなかった(笑)。サッカー部への道は、そこでくじけちゃいました。
 卓球部は、3年間、真面目に続けましたね。学校の部自体は強いところでもなかったので、遊びに毛の生えたような感じですけど、それなりに楽しかったですよ。……ただし、特筆すべき強烈な思い出というのもないんですけどね(笑)」

 小学生時代の回想に、通信簿に“学生の鑑”と書かれたエピソードがあったように、一瀬さんの真面目さは、中学時代も際立っていたようだ。
 ここで再び、一瀬さんの回想はゲームへと繋がる。

「卓球のほかに、僕の思い出といえば……やっぱりゲーム。中学に入って、今度はPCエンジンを手に入れたんです。ファミコンに比べて色数も多いし、画面もキレイだし、ゲーム性うんぬんよりも、まず見た目に惹かれましたね。PCエンジンのソフトで思い出すのは、『高橋名人の新冒険島』『PC原人』(以上、ハドソン)とか、『ドラゴンスピリット』(ナムコ)あたりですかね。ひたすら遊んでました。
 そして、『天外魔境』(ハドソン)。最初見たときは“なんじゃこりゃー!”と思いましたよ。それまでも当然、RPGは『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』シリーズをやってましたけど、『天外魔境』は、同じRPGでも表現方法が全然違いましたから、軽くショックを受けました。というものの、ソフトをすぐには買ってもらえなかった。我慢してたら、そのうち『天外魔境II』が発売になり、小遣いが貯まったのか、親を説得できたのかは覚えてないんですが、そこでやっと手に入れることができました。プレイしてみると、とにかくムービーに感動しましてね。今思うと、さほど量があったわけではないんですが、当時としては画期的でしたよね」

 ほかにも『R-TYPE』(アイレム)、『モトローダー』(メサイヤ)など、一瀬さんを虜にしたゲームは多い。

「『モトローダー』は、5人同時プレイができたのが画期的でしたね。友達と対戦できるゲームはもともと好きで、ファミコンでも『ボンバーマン』(ハドソン)とか『熱血高校ドッジボール部』(テクノスジャパン)とか、そういうゲームはよくプレイしてました」

 後の『MHP』シリーズにも繋がる話であるが、一瀬さんは友達同士でゲームを遊ぶことが大好きだった。それが高じてか、たとえ対戦モードや協力プレイモードがついていないソフトも、グループでプレイするルールを勝手に付け加えて遊んでいたという。

「シミュレーションRPGですら、友達同士で一緒に遊んでました。同じ軍の中で、自分が担当するユニットをいくつか決めて、持ち回りで動かしていくんです(笑)。……『ファイアーエムブレム』なんですけどね。“俺、この傭兵部隊もらうわ”“誰から順番?”とか言いながら、5人くらいで与えられたユニットを自由に動かしていくんです。ちょっとした小隊長気分ですよ。HPが危ない時には、友達に助けを求めて友情を確かめ合ったり(笑)。  これがまた、盛り上がるんですよ。対戦ゲームだと、一方的に負けがこんでくると気持ちが沈むじゃないですか。でもこの場合、敵はコンピュータなんで、友達同士の結束も固まるんですよね。勝手にやってた協力プレイなんですが、そうやって遊ぶ『ファイアーエムブレム』は、とても楽しかったですね」

 平日は卓球部、週末は友達とゲームで過ごしていた一瀬さんも、中学3年生になると、高校進学の準備を始めることになる。

「目標は公立高校。とりあえず、近場の公立で僕にとって、いちばん程度のいいところを受験したら、ギリギリ入ることができてよかったなぁと。電車も1本、2〜30分で通えるところを選びました」

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剣道・弓道・『ストII』にハマッた高校時代

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 一瀬さんが、進学した大阪府立大手前高校は、大阪府立「御三家」にも数えられる歴史と伝統ある名門校。大阪城に隣接するこの学校は、奇しくも、彼が現在勤めているカプコン大阪本社にほど近い場所にある。新たな一歩を踏み出した一瀬さんは、高校でまず部活動を始めようと考えた。

「高校でもやっぱり運動部をやろうと思って、中学時代にやっていた卓球か、昔習ったことのある水泳か、それとも陸上でも始めようかといろいろ悩んで考えて……結局、全然関係ない剣道をやることにしたんです(笑)。球も使いませんしね。ちょっとカッコええなと。同じクラスにも剣道やりたいヤツがいたので、その友達にくっついて通いだしました。ほんまはね、弓道をやってみたかったんですけど、高校に弓道部がなかったので、部活は諦めて、知人の紹介で弓道場に通うことにしました」

 スタイルに憧れて始めた剣道部を、一瀬さんは3年間休まず継続。その魅力はどこに?

「剣道は団体戦もありますけど、ほかの競技と違って、競い合うのは己の力じゃないですか。そこが好きでしたね」

 趣味で始めた弓道にも、一瀬さんは熱心に取り組んだ。

「ちょうど、学校の近く……大阪城のあたりに、弓道場がたまたまあったんですよ。知り合いのおばさんが習っていたので、そのツテで入れてもらいました。最初の1年くらいは、卓球の素振りと一緒で、弓を引くだけの練習ですが、面白かったですよ。袴姿もカッコいいですしね(笑)。高校1年から始めて、5〜6年は続けましたね。今でも、その道場に籍はあるんですが、仕事を始めてからは忙しくてなかなか……。趣味の弓道なので、大きな大会に出たりすることはなかったんですが、ちょうど成人式の年に、自分の成人式には行かずに京都の三十三間堂に弓を引きにいったのが、いい思い出です」

 高校時代は、とにかく剣道と弓道、ふたつのクラブ漬けだったという一瀬さん。では、好きなゲームを遊ぶヒマもなかったのでは? と聞くと。

「家で遊ぶヒマは少なくなくなりましたけど、部活の友達とゲームセンターに通うようになったんです。それが、僕のゲーセンデビューでした」

 そこで遊んでいたのは、当時一大ブームを巻き起こしていた『ストリートファイターII』。

「やっとカプコンのゲームが来ました。ここで『ストII』に出会わなければねぇ……(笑)。めちゃくちゃやってたかというと、そういうわけでもないんですが、人並みに熱中してました。よく使ってたキャラはブランカ。ボタンを連打するだけで技が出たので、カプコンって初心者にもやさしい会社だなぁと思ってましたよ(笑)。
 別にそれまでカプコンのゲームをやってなかったわけじゃないんですよ。『ロックマン』は初代からずっとやってましたし、実は今でも『ロックマン』シリーズの作品は、ちょこちょこ遊んでます。いやぁ、『ロックマン』は面白い(笑)」

 ここで対戦格闘アクションの洗礼を受けた一瀬さんは、部活とゲームに夢中になったおかげで……?

「みるみる成績が落ちていきました(笑)。高校に入った時は、成績も真ん中くらいやったんですよ。だから“あぁ、ギリギリで入ったわりには、けっこうイケてるやん”と油断していたら、そこからガンガン落ちていって、高校3年の春頃には、下から数えたほうが早いくらいまでになってしまいましたね。しかも勉強が大嫌い。公式とか方程式とか元素記号とか、そんなものを覚えて何の役に立つんだろうと疑問に思い始めると、もうダメですよね。勉強も面白くない、成績は落ちるばっかりで、次の進路もどうしたものかと……。でも今思えば、勉強はちゃんとしておくべきやった。って思えますね。役に立たないことを教えているわけはないんですからね。
 そこで思いついたのが、ゲーム業界を目指すこと。しかも自分は、絵を描くのが好きだったということを思い出したんです。といっても、専門的に勉強したわけではなく、独学で適当に落書きを描いていたくらいですけどね。ゲームを遊んでる人間としては、ゲームに必要な職種は、音楽と絵くらいしか思いつかなかった。プログラムとか企画とか、そういう職種があることを知らなかったってのもあるんですが、とりあえず、絵が好きだという素養をいかして、CGをやってみようじゃないかと思ったんですよ」

 そこで一瀬さんは、CGを学べる大学を受験。だが?

「見事に落ちましてね(笑)。何も勉強してないから当然なんですけどね。センター試験の結果もよくなかったし、そのまま浪人するか、どうするかを悩みました。でも、浪人する意味も自分にはないのかなぁと思いました。だったら、少しでも早くどこかの専門学校に入って、就職したほうが得だと考えたんです。そこからは早かったですね。2月か3月の時点で、ゲームについて学べる専門学校をすぐ探して、コンピュータ総合学園HALを見つけたんです」

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