彼の代表作となるPSP®『MHP』シリーズが誕生したキッカケは、まさに一瀬さんが書いた1枚の企画書にあった。『バイオハザード アウトブレイク』シリーズの開発を終えて一段落した一瀬さんは、新作開発を目指して設けられている企画コンペに提出するため、いくつかの企画書をしたためていた。
「その企画のひとつとして、当時PS2で好評だった『MH』シリーズを、携帯ゲーム機用のゲームにできないかと考えたんですね。PS2版のプロデューサー、ディレクターの藤岡(要)さんも、PSP®で『MH』を出してみたいという話は上がっていたようで、そこに僕の企画書があったものだから、“じゃあ一瀬にやらせてみよう”という話になったんです」
一瀬さんのディレクターデビューとなった『MHP』は、オリジナル版の『MH』シリーズがユーザーにも好評を得ていただけに、会社とすれば、PS2の移植版としての形をなしていれば、発売する意義が十分にあるタイトルだった。だが、そこに一瀬さんは異議を唱えた。
「完全移植だけなら、このプロジェクトに集まった人間がもったいない。でも、それだけは嫌でした。やるからには新しい要素を入れたいし、その時にはPS2第2弾の『MHG』も出ていて、続編の『MH2(ドス)』の開発も決まっていた。単純に初代の『MH』の移植ではもう古い。それではユーザーも納得せえへんかしらと。『MHG』をベースに新しい要素を入れ込みたいですと、PS2のスタッフに話をさせてもらいました」
ところで、一瀬さん自身はPS2の『MH』シリーズに、どんな印象を持っていたのだろうか?
「実は、初代の『MH』は発売された当初プレイしてなかったんですよ(苦笑)。ハマッたのは発売されてから大分時間が経ってからなんですわ。でも、オンラインに繋いで遊んではいなかった。それまでもいくつかMMORPGをやってはいたんですけど、会社から帰ってからしかプレイできないじゃないですか。そうすると、夜中の2時、3時から始めることになる。しかも僕、性格的に人の頼みを断れないタチなんで、ネットで友達から一緒に遊ぼうと誘われると、ついつい朝まで付き合ってしまうんです。『MH』もそれが怖くて(笑)、ひとりでコツコツと遊んでました。
でも、それだけでもゲームの魅力はよくわかりましたね。『MH』には、自分で遊びを見つける楽しみがある。その面白さは、携帯ゲーム機にしても十分に表現できるだろうし、他の遊びもいろいろ実現できると思いました」
こうしてスタートした『MHP』の開発は、実に小規模なチーム編成で行なわれた。
「本家の『MH』チームが続編を控えていたので、『MHP』には、僕を筆頭に全く新規のメンバーが集められました。でも、さすがに本家の開発を経験した人がいなければ、見た目は一緒でも、内容は違った物しかならないとプロデューサーや藤岡さんに話しをして、本家で企画のメインだった方に来ていただくことができました。開発スタッフは約20人。ひとりでも風邪をひいて休んだら代わりがいない、ギリギリの人数ですね(笑)。開発期間は1年間でした。
その人数とスケジュールで動き出したんですけど……甘かったですね。新しい要素も、想定していたものは100%入れられましたが、かなり厳しい現場でした。本当に一日中ゲームを作ってましたね。仮眠をとるために明け方遅く帰ろうとしても、みんな普通に仕事してて。なんだか、先に帰るのが申し訳ないような気分になっちゃうこともありましたわ(笑)。今思えば、本当にいい思い出です。」
では、初のディレクター作品でいちばん苦労したのは?
「PSP®というハードを扱うのが初めてな上に、クエストをダウンロードさせようという企画は絶対実現したかったので、ハードの検証にも苦労しましたし……これも最初から決めていた、『MH2』との連動要素にも、ものすごく苦労しましたね。本当に連動要素にはかなり気を使いました。
2作の開発期間が重なっていたので、あんまり密に連動して、お互いのスケジュールを待ち合いながら開発を進めるのもリスクが大きいですし、こっちが勝手に進めてしまって、『MH2』の内容を変えざるを得ないことになっても困る。しかも、『MH2』はインターネットを通じてプレイするゲームですから、こっちでものすごく強い武器を作ってしまい、何かの拍子でそれが最初から『MH2』で使える武器としてデータが流出してしまえば、『MH2』のゲームバランスが崩れてしまうし、ユーザーにも迷惑がかかる。うかつなことができないんですよ」
そして、一瀬さんと開発スタッフが、精魂込めて完成させた『MHP』は、現在まで累計100万本を越える大ヒットに。本家の人気を考えると、ある程度のヒットは予想されていたものの、実際、一瀬さんは『MHP』の売れ行きをどう感じていたのだろう?
「発売日がこれよりも遅い、『MH2』が発売されるまでは売れてくれると思ってました。当時のPSP®タイトルは、10万本いったらヒット作という感じだったので、最低で10万本いって欲しいなぁと、最終的に20万本いったら大満足な感じかなと思っていました。ところが、ふたを開けてみたら、それ以上に売り上げが伸びてくれた。それには驚きましたね」
『MHP』のヒットが画期的だったのは、メーカー主導の宣伝効果よりも、ユーザーの口コミパワーで面白さが伝えられていったことにある。それは、ゲームメディアがまだ未発達だった時代、実際にソフトをプレイした小学生の口コミパワーでヒットタイトルを生み出した現象とも似ている。
「それって、携帯ゲーム機ならではの力ですよね。誰かがPSP®をやってたら、それをすぐに友達に渡して遊んでもらえる。それが、ユーザーを通じてどんどん広がっていったのが、ヒットの要因だったんでしょうね。それに、『MHP』はPS2の『MH』シリーズがベースなだけに、膨大な素材が存在する。だから、繰り返しプレイにも向いているんです。『MHP』は口コミでじわじわ人気が出て、引き続いて長く遊んでもらえた。ある意味、運のいいタイトルだったと思います。
ここで僕も、いろんなことを学びました。物の売れ方だとか、そうするためのゲーム内の仕掛けの作り方だとか、ユーザーへの気の使い方だとか。ただの企画マンでは気付けなかったことも、ディレクターを経験することでずいぶん勉強させてもらいました」
そして、さらに『MHP』シリーズの人気を決定づけたのが、続いて開発された『MHP2nd』だった。現在、累計170万本以上というヒット作となった『MHP2nd』。ディレクション2作目となるこのタイトルに、一瀬さんはどう取り組んでいったのだろう?
「ヒット作の後だけに、プレッシャーがキツかったですね(笑)。企画を立ち上げたのは、『MH2』発売の頃。そこからまた1年で発売という、これまた厳しいスケジュールでしたが、さすがに前の二の舞にはすまいと、チームのスタッフも4〜50人に増やしてもらいましたよ。企画マンの数も、『MHP』はチェックがしやすいようにプレイヤーキャラの人数に合わせた4人でしたが、今度は武器が11種類あるので、ひとつひとつの武器チェックがしやすいように、11人に増やしました(笑)。って、それは冗談ですが、たまたま企画マンの数があっただけなんですけどね。
ゲーム的には、これも『MH2』の後ですから、さらに新しい要素はたくさん入れ込まなくてはいけない。そこで、村やフィールド、看板モンスターを新しく登場させて、新規性を打ち出していきました。雪山のフィールドは『MH2』にも登場しましたけど、目新しさも大きかったし、『MH2』では後のほうにならないと出てこない。だったら、ウチは最初から遊べるようにすることで、目新しさがでるかなと入れ込んでみました。」
前作は、初めてのPSP®タイトルならではの苦労があったが、『MHP2nd』ではどんな苦労が?
「データの物量には苦しめられましたね。前作でも『MHG』に上乗せする量があったんですけど、今度はそれ以上に物量が増えた『MH2』と同じか、それ以上のデータを入れなければならない。おそらく、そこが人ひとりが制御できる限界量。どっかのパラメータや項目をチェックするだけでも、ひとりの人間が1ヵ月かけないと終わらないんですよ。そこがいちばんしんどかったです。ただ、『MHP』よりも新しい試みはたくさんできたので、開発は楽しかったですけどね。
『MHP』は、据え置き機とは違う、携帯ゲーム機ならではの道を行こうとスタートした企画。ですから、ターゲットも学生層を想定しましたし、女性層を取り込むことも目指してきました。だから、かわいいアイルーを前面に出す展開も心掛けてきて『MHP2nd』で、ある程度はその試みが成功したように思えます」 |