バンダイナムコゲームスを代表する大ヒット作『ドラゴンボールZ』シリーズを、PS2時代から手がけている三戸亮さんは、今年29歳。現在は、2008年6月5日発売予定のPS3®『ドラゴンボールZ バーストリミット』を筆頭に、バンダイナムコゲームス・バンダイレーベルの中でも数多くのタイトルを抱える敏腕プロデューサーだ。そんな三戸さんが生まれたのは、アメリカ・ロサンゼルス。三戸さんの家は、ご両親、お兄さん、三戸さんの4人家族。銀行に務める父親の仕事の都合で数年間、ロサンゼルスに移り住んでいた時に、彼は生まれた。
「……とはいっても、ロスには2歳までしかいなかったので、記憶は何ひとつないんですよ。生まれた場所を出身地と言うなら、確かにアメリカ生まれで、帰国して一瞬、東京の自由が丘にも住んでいたんですけど、物心ついたのは横浜。だから、人には横浜出身って言ってます。出身地だけ伝えて、英語がペラペラだと思われると困っちゃいますからね(笑)」
というわけで、ここからは横浜で過ごした少年時代のお話を。三戸さんが住んでいたのは、横浜〜海老名・湘南台を結ぶ私鉄・相模鉄道本線の二俣川駅の近く。「横浜からも電車で12分と近くて……とりたてて特色もない住宅地(笑)」で暮らしていた三戸さんは、どんな小学生だったのだろう?
「ゲームとかオモチャが好きな、ミーハーな小学生(笑)。当時流行っていたものはとりあえず手をつける。だから、キャラクター物は大好きでした。例えば、「ビックリマンチョコ」とか、「キン消し」とか、『SDガンダム』の「ガシャポン」や「カードダス」……。他にも、ミニ四駆など、子供が好きなアイテムには、ひととおりハマってましたね」
特に、85年から発売をスタートした、「ビックリマンチョコ」の「天使VS悪魔」シリーズのおまけシールと、83年に発売を開始した『キン肉マン』キャラクターの塩化ビニール製人形=通称「キン消し」集めには一生懸命だったとか。このふたつは、80年代の小学生の間に、一大ブームを巻き起こしていた。
「キン消しは100個以上は確実に持ってましたし、ビックリマンシールも何百枚単位で持っていたはず。お小遣いでコツコツ買って、まわりの友達と交換しながら集めてましたね」
同時期に夢中になっていたのが、ゲーム。4歳年上のお兄さんが遊んでいたファミコンを、三戸さんも自然に触るようになっていた。
「兄貴が発売と同時くらいに買ってもらっていたので、気づいたらもう家に本体があって。最初に触ったのはいつだったかな……幼稚園くらいの頃じゃないですかね? 『スーパーマリオブラザーズ』や『テニス』『ベースボール』(以上、任天堂)を、兄貴と一緒に遊んでました。小学生時代は、僕の家も“名人ルール”を守ってて、ゲームは1日、1時間。高橋名人の教えは、守るのが当たり前でした(笑)」
自らミーハー小学生と語るだけあって、もちろん、好きな漫画雑誌は……。
「小3〜小4くらいから『週刊少年ジャンプ』を読み出して、29歳の今まで、1週も読み逃したことないですね。ジャンプを卒業する時期を、すっかり見失ってしまいました(笑)」
さすがは、『ドラゴンボールZ バーストリミット』プロデューサー! そもそも『ジャンプ』を読み出したキッカケも?
「それが、バンダイの宣伝でもなんでもなく、『ドラゴンボール』だったんですよ。最初は漫画の存在を知らなくて、アニメから入ったんですけど、アニメの先の話が知りたくて雑誌連載を読むようになりました。もちろん、その前から『キン肉マン』などのジャンプ漫画も好きだったんですが、それはコミックスで読んでたんですよね。もっと小さい時は、『コロコロコミック』や『コミックボンボン』は買っていましたが、『ジャンプ』は大人向けのイメージがあった。でも、学年も上がって『ドラゴンボール』の魅力にも勝てなくなったので、大人の世界に一歩踏み出したんですよ(笑)。それからは、アニメと漫画の二本立てで、『幽☆遊☆白書』『スラムダンク』とか……好きなアニメもかなりのジャンプっ子。 ロボットアニメも普通に。なぜか朝早く、『機動戦士Zガンダム』の再放送をやっていたので、登校前に毎日観てましたよ。けっこう鮮烈な感じでしたけどね。僕らは、リアル『ガンダム』よりも『SDガンダム』の世代になってしまうので、SDガンダムのプラモデルで遊んでましたけどね。『BB戦士』シリーズは、よく買いました」
それゆえ、ジャンプキャラクター、ガンダムキャラクターを発売していたバンダイというメーカーも、三戸さんにとって馴染み深い存在だった。それを偲ばせるエピソードもある。
「バンダイに入社した後に実家に帰った時、たまたま小学校の卒業文集を見つけたんです。そこに、将来なりたいものとして、僕、“バンダイに入りたい”って書いてたんですよ! それを見つけた時はビックリですよ(爆笑)。
だいたい、小学生のくせに、就職したいメーカーの名前を具体的に書いてるほうがおかしいんですよね。みんなは“お医者さんになりたい”とか、職業もぼんやりしてるのに、僕だけバンダイ。もっと子供の頃は戦隊シリーズが大好きだったし、プラモデルもオモチャもたくさん持っていたので、きっと赤いロゴマークが頭にすり込まれていたんじゃないかと。そんなことを書いたのをすっかり忘れて、実際に入っちゃったわけで……文集を読んで“わ、気持ち悪っ”って(笑)」
当時やっていた習い事は、塾とピアノ、スイミング……。「いたって人並みですね」と三戸さんは苦笑する。
「ピアノは、親の命令です。幼稚園くらいから始めたんですけど、小学校も中学年くらいになると、教室が女の子ばかりなので恥ずかしいんですよ。友達からも、“なんでピアノなんかやってんだよ”とからかわれますしね。それで辞めてしまいました。今思うと、もったいないことしましたね。スイミングも親の指令ですね。いろいろ習い事をさせたかったみたいです。別に面白くもなかったんですが、こっちは比較的長く続きましたね」
そして、塾に通っていたのは、中学受験のため。
「中学受験も親の意向ですね。兄貴も同じように中高一貫の学校に通っていたので、僕も必然的にそういう中学を目指すことになりました。勉強は別に好きじゃなかったですけど、やらないと親に怒られますからね、従うしかない(苦笑)。ただ、成績がいいとゲームを買ってもらえたりもするので、そういう時は頑張ってみたり。小学校でも、ちょっと勉強ができると目立てるんで、塾通いはイヤではなかったですね。残念ながら、女の子にモテはしませんでしたけど(笑)」 |