3Dの日本地図上で、遊ぶ。これまでの常識を覆す、ユニークなPSP®ソフト『ニッポンのあそこで™』のディレクションとゲームデザインを手がけた西沢学さんが生まれたのは福岡県。そこから、1歳にならずしてすぐに奈良県奈良市に引っ越し、小学校5年生までを過ごした。
「奈良の記憶は……やっぱり寺ですか(笑)。ちょうど住んでいた家が、唐招提寺と薬師寺の中間あたりにありまして、市内ではあるんですけど、当時はまだまわりに田畑が残る穏やかな地域でしたね。だから、基本的に外で遊んでて、先生に隠れてゲームセンターに通う小学生でした。学校ではゲームセンター通いが禁止されていたんです。けっこう、学校の近所は見回りも厳しかったので、最寄り駅から電車で少し先の大和西大寺のデパートまで行って、『ギャラクシアン』(ナムコ)を遊んでました」
1973年生まれの西沢さんは、ジャストなファミコン世代。だが?
「まだ家にはファミコンがなかったので、僕にとってはアーケードがメインマシンでした(笑)。家庭用のゲームを初めて触ったのは、小学校3〜4年くらい。金持ちの友達の家にあった「カセットビジョン」(エポック社)ですかね。それを持っていたのはクラスにひとりかふたり。しかも、その子と仲がいいとは限らない。なので、たまに遊びに行って触らせてもらう程度。それが、ビデオゲームの初体験だったと思います」
そこで西沢さんが、自由にゲームを遊んでいたのがアーケードゲーム。とはいえ、小学生の小遣いはたかが知れている。週に1回、塾の帰りにゲームセンターに行くのが楽しみだったと、西沢さんはいう。
「だから当時は、『ギャラクシアン』しかやってないんですよ(笑)。シューティングが好きという理由もありましたが、遊んでた場所がデパートのゲームセンターなので、品揃えもよくなかったし、他に置いてあったシューティングといえば『スペースインベーダー』(タイトー)くらい。でも、あれは画面がモノクロだったので、色のついてる『ギャラクシアン』のほうがやって楽しい。しかも、意外に1コインで長く遊べるので、コストパフォーマンスを計算すると、ね(笑)」
そこから西沢さん一家は、彼が小学6年に上がる時、ひとり暮らしの祖母の面倒を見るため、父親の実家があった滋賀県に引っ越す。越した先は、広大な琵琶湖を臨む滋賀県北西側にある高島市。京都から北東に延び、琵琶湖の西側を這うように続くJR湖西線・安曇川が最寄り駅だった。安曇川は、長浜市と湖を挟んだ反対側に位置する、静かな町だ。
「それこそ、『ニッポンのあそこで™』で調べてもらえばすぐにわかります。高島市自体が、すっごい田舎。クマも出るし、サルも出る(笑)。」
そんな雄大な自然に囲まれた高島市で、西沢さんはアウトドア三昧の少年期を過ごした。
「家のまわりにも何もなくて、一面水田だらけ。向かいが山で、奥は川で、ちょっと出ると琵琶湖があって。『ぼくのなつやすみ』を地でいくような土地でした。引っ越していちばんびっくりしたのが、通うことになった小学校。奈良時代はマンモス校で、1学年に45人クラスが10くらいあったんです。ところが、安曇川に着いて小学校に行ってみたら、教室のクラス名が書かれているはずの看板に、“6年”としか書かれてないんですよ。組の名前がない。いちおう30人はいたんですが、1学年で1クラスなんだと驚いて、低学年の教室を見に行ったら、今度は“1・2年”と書いてある(笑)。そこは生徒も2学年で3人しかいなかった。ちょっと可哀想でしたね。今でも、その小学校は健在なんですけど、地域に若者がいなくて困ってるみたいです」
西沢さんがいちばん好きだったアウトドア遊びは、河原遊び。
「近所を流れている安曇川が、とても素晴らしい川で(笑)。夏には、京阪神からたくさんの釣り人が、鮎釣りにやってくる名所なんですよ。河原遊びは、基本的に、魚を捕ってバーベキューをするまでがワンセット。キャッチ&リリースじゃなくて、キャッチ&イートですね(笑)。掴まえる方法もいろいろです。普通に“釣る”、川に潜ってモリで“突く”、特殊な漁法としては“引っ掛ける”というものありますね。2mくらいの竹竿にギャング針を付けて、魚の体に引っ掛ける。すると、針が延びて釣り糸状態になって……というやり方です。
いちばんの狙い目は鮎。食べてもいちばん美味しいですし。鮎は弱い魚で、餌釣りができないので、そういう変わった捕り方をするんです。そのうち、慣れてくると投網も使い出しますね。1匹ずつでは埒があかないと(笑)」
そんな恵まれた自然環境のおかげで、西沢さんはすっかり釣りマニアになってしまった。
「もちろん、琵琶湖がありますから、ブラックバスも釣りました。僕、初めて新聞に名前が載ったのは、中学校時代に参加した、地元のブラックバス釣り大会だったんです。京阪神から250人くらい集まる大イベント。中学生は普通、ジュニアの部に参加するんですが、それではつまらないので、一般の部に出場しまして。一定時間の総重量を競う一般の部で4位に入りました。輝かしい思い出ですね(笑)」
ソフトをご存じの方にはピンとくる釣りの話は、『ニッポンのあそこで™』にも繋がる思い出だが……とりあえずは先を急ごう。豊かな自然の中で過ごした小学校時代、アウトドア以外の思い出というと?
「春〜秋までは、外で釣りをするのもいいですが、問題は冬。冬になると、本当に何もすることがない土地なんですよ。そこで、ゲーム機を買うことにしたんです。初めて買ったのは、セガのSG-1000IIと『セガ・ギャラガ』(セガ)。友達は誰もまだ家庭用ゲーム機を持ってなかったので、クラスに初めて登場したゲーム機がコレ。もう大人気ですよ(笑)。 そのうち、友達のひとりがファミコンと『スーパーマリオブラザーズ』(任天堂)を手に入れて、セガ対任天堂の戦いが繰り広げられることになったんです(笑)。最初は『ギャラガ』が人気だったんですけど、そのうち『マリオ』に負けそうになった。そこで僕が投入したのが『ジッピーレース』(アイレム)。それがまた大人気を呼んで、友達も続々、SG-1000IIを買い出しました」
そんな、ゲームをクラスに広めた人気者・西沢さんは、当時の自分を振り返ってこう語る。
「勉強のほうも、その学校では成績もよくて。奈良にいた頃にマンモス校で鍛えられたせいか、安曇川の学校は授業もずいぶんのんびりしてて。教えてることも奈良の小学校で1年前に習った内容だったんですよ。だから、勉強しなくても成績はトップ。奈良でサッカーをやっていた僕は、『キャプテン翼』ブームにもバッチリはまっていた。しかも、みんなが坊主頭なのに、転校生の僕は髪型もふさふさ(笑)。そこの学校での僕は、まさに“スーパー小学生”だったんですよ。いちばんのモテ期でしたね」 |