山口さんが進学した浪速高校は、過去、有名作家、芸能人や有名スポーツ選手を多数輩出してきた有名校。すんなりと決めた高校に、すんなりと入学した山口さんを待っていたのは、当人いわく「なんのドラマもない高校生活」だった。
「今は少子化の波をうけて共学になってるみたいですが、僕らの時は男子校で。男子校って、ほんとに野獣の集まりみたいな、むさくるしい所でね(笑)。あまりよく考えずに高校を選んでしまったのを、かなり後悔したものです。もちろん、彼女ができるキッカケもなく。あと、映画研究会とか運動部とか、何か部活をやりたいと思いながらも、タイミングを逃して3年間帰宅部になってしまったことも、学校生活をつまらなくした原因ですかね」
そんな山口さんの心を掴んだのは、中学時代から続く映画の趣味と、音楽だった。
「中学の映画友達とは、高校が分かれてしまったので、高校でまた新しい映画友達を見つけて、映画のほうは相変わらず。そして、音楽……ロックが好きになっていきました。当時好きだったのは、姉の影響でデヴィッド・ボウイ。グラムロック時代のボウイは大好きでした。そして、僕が今でも人生の師匠と呼んでいるアーティストが、ルー・リードですね。 ロックを聴き出す最初のキッカケは、クィーン。そこから洋楽に入っていって、ポリスやThe B-52'sなどのニュー・ウェイブ、テクノ・ポップに進んで、邦楽だとYMO系を聴くようになりました。だから、映画を観に行くだけじゃなく、大阪のミナミにレコードを漁りに行ったり。キングコングという中古レコード屋には、毎週のように通ったものです」
コンピュータに興味を持ったのもその頃だ。山口さんのPC体験の出発点は、中学時代、水泳部の先輩が持っていたマイコン。そこでプログラミングの面白さを知った山口さんは、高校2年のコース選択で、理系コースを選んだ。
「もともとは文系の人間なんですが、ついうっかり。勉強を始めてから、“俺、向いてないじゃん”というのがわかったんですけどね(笑)。理科が好きだなぁと思ってたわりには、物理がやけに難しく感じたりして。なので、理系コースでありながら、高3になってからは、それまで好きだった絵を勉強しようと、美大志望になるんです。かなり優柔不断な人生ですよね(笑)。
そこで、高3の夏からデッサンの勉強を始めたんですけど……これがまたね。自分では絵は得意だと思っていましたが、アトリエに通ってみたら、にわか勉強を始めた僕に比べて、まわりは上手い人ばかり。こりゃ、美大なんて無理なんじゃないかと、ようやくそこで気づいたんです」
しかも、山口さんが目指したのは、東京の美術大学だった。大阪や京都にも有名な美大はあるが、なぜ東京に?
「映画、音楽に触れるたびに、あらゆるメディアが集まる東京への憧れがふくらんで。大阪にも、他の県に比べればたくさんメディアはあるんですけど、やっぱり東京は特別な街。将来、そういう仕事に就けたらいいなという憧れもあって、大学は東京の学校と決めていました」
だが、高3で受験した美大は不合格、山口さんは大阪の美大予備校で浪人生活を送ることになる。今は、ゲームクリエイターとして活躍する山口さんだが、当時は美大を出て、どんな職業に就こうと思っていたのだろう?
「グラフィックデザイナーか、映像関係の仕事ができればいいと思っていましたね。浪人生活後半からは、CGに関わる仕事にも興味がありました。ここでやっとコンピュータに近づくんですけど、キッカケは映画『トロン』。当時としてはすごい映像でした。CGというのは凄いなぁと驚かされましたよ」
そして翌年、山口さんはもう一度、東京の有名美大を数校受験。
「和光大学の芸術科に合格しました。和光の芸術科を受けようと思ったのは絵だけじゃなく、映像なども網羅した総合的な学科だったから。調べてみたら、けっこう個性的な勉強をさせてくれるんですよね。「おもしろそうだな」と楽な気持ちで受験したのがよかったのかも知れません」 |