“失敗するんじゃないか?”と思って挑むより、“俺ならできる!”とチャレンジするほうがいい。勘違いが、踏ん切りをつけてくれるんです。 大橋 晴行
 

個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。今月はSCEより10月16日発売のシリーズ最新作、PSP®『勇者のくせになまいきだ®or2』のディレクター・大橋晴行さんに、半生を語っていただいた。高校時代は音楽に夢中、専門学校時代にゲームと再会し、ゲームクリエイターへの一歩を踏み出した大橋さん。アルバイト時代に育てたコミュニケーション能力と、人気シリーズ『天誅』・『侍』の開発で身につけたユーザーの立場で物を考えるノウハウが、大橋さんのプランナー/ディレクターとしてのスキルに、大きな影響を与えた。最新作、『勇者のくせになまいきだ®or2』の新要素の魅力、開発エピソードとともに、大橋さんの道のりを辿ってみよう。

取材・文/阿部美香(ライター)
 

小学生時代〜勉強を頑張るからと親を泣き落とし?

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 斬新なスタイルと奥深いゲーム性でヒットを飛ばした前作から約10ヵ月。SCEより10月16日発売のPSP®『勇者のくせになまいきだ®or2』でディレクターを務めたのは、アクワイアでプランナーとして活躍する大橋晴行さんだ。彼が生まれたのは、当時の新潟県西蒲原郡巻町(現在は新潟市の西蒲区と西区に編入合併)。日本海に面し、正面に佐渡島を臨む町だ。

「一言でいうと……田舎(笑)。新潟の市街地からは、25kmくらいですかね? 電車でも行けますが、ウチは駅からも距離がある微妙なところにあったので、基本的に車がないと何もできないですね。
 家族は、農業をやっていた祖父母と、サラリーマンの父母と、3歳離れた妹、6歳離れた妹……なんですけど、ふたりの妹には“お兄ちゃん”と呼ばれたことがない! 小さい頃からずっと名前呼びですよ。やっぱり、ニュー・ジェネレーションは違いますね。ウチの家系にしては、足もやけに長いし(笑)」

 小学生時代は、そんな妹たちとも時々はファミコンで遊んでいたという大橋さん。さほど熱心なゲームファンではなかったそうだが、小学生時代の思い出は、テレビゲームにまつわる印象も強い。

「ファミコンを手に入れたのは、小学校2年生の冬でした。クリスマスが近づいてくると、新聞にオモチャ屋のチラシが入ってくるんですが、子供としてはファミコンが欲しくてしょうがないんですよ。だから、親に“3学期の勉強頑張るから!”と泣きついて、買ってもらいました。小学校時代の記憶は、この思い出と、妹がトラックの荷台から落ちた事件がいちばんですね(笑)」

 熱烈な泣き落としによって大橋さんが、最初に入手したファミコンソフトは『マリオブラザーズ』と『クルクルランド』(以上、任天堂)。周囲の友達もファミコン少年は多かったが?

「なぜか僕の友達は、ファミコン派とMSX派がいたんですよ(笑)。MSXを持ってるのは頭のいい子。パソコンっぽくてカッコいいので、僕もすごく欲しかったです。やってたのは、パソコンとは関係なく『夢大陸アドベンチャー』(コナミ)ですけどね。あとは、カセットビジョンを持ってる子の家に行ったりとか。
 ゲームにまつわる思い出だと、『ドラクエIII』(『ドラゴンクエストIII』/スクウェア・エニックス)が、とても欲しかった記憶もありますね。」

 今と違って当時は、自分の部屋にテレビがある小学生は、かなりまれ。そうそう居間のテレビを占有できない大橋少年にとっては、ゲームよりも野球とサッカーのほうが身近な楽しみだった。特に野球は、小3〜小6までリトルリーグに所属し、4番でサードを守るチームの要として活躍した。

「親父も若い頃、野球をやっていたので、それは熱心な巨人ファンで、巨人が負けた夜は……怖かった! ドキドキしながら隣の部屋で、テレビに聞き耳を立ててました。巨人が点を入れると、親父が膝を叩いて喜ぶ音が聞こえるんですよ。それが聞こえると、ちょっとホッとしましたね(笑)。
 だから、僕がリトルリーグの試合に出る日も、必ず応援に来るんです。しかも、監督でもコーチでもないのに、PTAの中でなぜかウチの親父だけは、ベンチに入って見てるんですよ。意味がわかんないですよね(笑)。親父は、僕が小さい頃に体を壊して、療養しながら仕事をしているような生活だったので、自分も子供に野球を教えたかったんじゃないですかね。子供ながらに、僕もそんな親父の気持ちは感じていたので、野球は頑張りましたよ」

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中学時代〜大橋少年、音楽に出会う

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 野球、サッカー……時々ゲーム。小学校時代、元気で子供らしい遊びに興じていた大橋さんは、そのまま近所の公立中学に進学。中学1年生の時に手に入れたあるアイテムによって、趣味も大きく変わっていく。

「小学時代のファミコンと同じように、成績をダシに親と約束をしたんですよ。中学1年の1学期の期末試験で学年何番以内かに入ったら、ミニコンポを買ってくれって。それで、確か学年10位くらいの成績が取れて、憧れのミニコンポを手に入れたんです。欲しいものは手に入れたので、そこから全く勉強はしなくなりましたね。中1の1学期が、成績のピークだった(笑)」

 ここで手に入れたミニコンポが、今、ゲームプランニングとともにサウンドデザイナーとしても活躍する大橋さんが、音楽好きになるキッカケとなった。大橋さんが中学1年〜2年にかけての頃、日本の音楽シーンは、B'z、WANDSがヒットを連発し、DREAMS COME TRUEがブレイク。今では当たり前に使われている“J-POP”という言葉が生み出されたのも、この頃だ。

「流行りの音楽はふつうに聴いていましたが、それ以上に興味を持っていたのはバンドブームですか。友達の影響もあって、THE BOOMやユニコーンをよく聴いていた気がします。この時期から、ゲームはぱったりやらなくなりました。お小遣いも、CDを買って友達と遊んだらなくなっちゃいますからね。なんせ田舎なので、CDを買うのも苦労しましたね。近所のCDショップに、僕の欲しいものが入荷されるかどうかもわからないので、全部予約してました」

 そして中学3年生になった頃、大橋さんは、ラジオから流れてきた、J-POPとは違う響きの楽曲に耳を止めた。

「それが、アシッド・ハウスだったんですよ。それまでも、同じJ-POPでもギターをかき鳴らす曲は苦手で、ディストーションがかかったような、痛みを感じる音は、基本的に嫌い。どちらかというとエレクトロニカ系、シンセサイザーの音が好きだったんですよ。だから、アシッド・ハウスを聴いて、とてもショックを受けましたね。 “わー、こういう音楽もあるんだ!”って。アーティストでいえば、DJピエールとかアルマンド。いわゆるシカゴ・アシッドですね。まぁ、その時はアシッド・ハウスという名前も知らなかったわけですけど(苦笑)。このショックがキッカケで、高校に入ってからは楽器を手に入れて、自分で音楽を作るようになっていったんです」

 中学校では、趣味を同じくする音楽友達もいたのだろうか?

「うーん……住んでた町がなんせ田舎ですから、中学校の友達はだいたい、ヤンキーなんですよね(苦笑)。だから、僕も見かけだけは不良グループの一員。“明日、ケンカするからハルも来いよ!”“いやー、明日はちょっと用事があって行けないなぁ”なんて会話をしてました(笑)。
 でも彼らとは、意外に音楽の話が通じるんですよ。不良の子って、流行をキャッチするのが早いから、マニアックなバンドをよく知ってたりする。一緒に悪いことはしませんでしたが、音楽や流行の話では、よく盛り上がってました」

 もともと体を動かすのも好きだった大橋さんは、学校では卓球部に在籍。部長を務める腕前だった。

「母親が卓球が得意だったので、仕込まれたんですよね。おかげで部長とかになっちゃって、3年間卓球を続けました。でも、あんまり真剣に練習しなかったですね。母のおかげで最初から上手かったから、練習しなくても勝てちゃう。“俺、強いじゃん!”と、いい気になってました(笑)。中3になると、他の子も強くなってくるので、その時だけは、悔しいから練習しましたけどね」

 ハウスミュージックを聴いて、これなら自分にも作れると思い、卓球部では、自分は強いから大丈夫と思い込む。大橋さんは、当時の自分をこう分析する。

「特に中高時代は、何か困難に遭わないと本気を出そうとしない。たいていは、“俺はできるんだ!”という勘違いで進んでいましたね。でも、それって大事なことだと思うんですよ。そういう気持ちがないと、やりたいことに踏ん切りがつかない。“失敗するんじゃないか?”と思って何かにチャレンジするより、“俺ならできちゃうよね”と思ってチャレンジしたほうが、成功する確率も違うんじゃないかと思うんですよね」

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高校時代〜テクノ!テクノ!テクノ!

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 さて、卓球と音楽に明け暮れていた中学を終えて、大橋さんは高校に進学する。彼が受験したのは、新潟県立吉田商業高等学校(当時。現在は吉田高等学校)の商業科。そこを選んだ理由は?

「今は普通科の高校になっちゃったみたいですが、当時は商業科の高校だったので、学校にコンピュータを使った授業がある。テクノ好きなので、パソコンには当然興味があるし、触ってみたい。家からもけっこう近い。“俺はパソコンの勉強がしたいんだ!”とアピールして、進学を認めてもらいました」

 ところが、入学して実際にパソコンの授業が始まると……?

「パソコンにさほど興味がなくなっちゃって……(笑)。僕が通った商業科の授業ではBASICを習うんですけど、基本はすぐに覚えてしまえるんですよ。しかも扱うプログラムも、商品管理のための表計算だったりするので、面白くはない。パソコン雑誌で見るような、美麗なグラフィックとかは全く関係ないんですよね(笑)。僕が求めているパソコンの世界とはなんか違うなぁと思って、興味は音楽のほうにますます向いていったんです」

 で、その音楽だ。中学3年でアシッド・ハウスと巡り会い、テクノ/ハウス・ミュージックを好きになっていった大橋さん。高校1年になると、世の中にもテクノブームが訪れ、彼はますます、そのムーブメントにのめり込んでいく。

「高校生になると、雑誌でもいろんな情報が出始め、片っ端からCDを買うようになりました。愛読書はもちろん『remix』! そのうち自宅録音を始めるようになって『サウンド&レコーディング・マガジン』や『キーボード・マガジン』も買ってたし……専門学校に通うようになってからは、『ele-king』(※)が創刊されたりしましたよね。当然、こういう雑誌類もCDと同じで、本屋さんに頼んで入荷してもらってましたね。もし入っても1冊くらいだから、誰か他の人に買われちゃうと手に入らない。困るんですよ、あれ(笑)」
(※1995年創刊の伝説のテクノ専門誌。2000年休刊)

 念願のシンセサイザーを手に入れたのは、高校2年。ラーメン屋のバイトでお金を貯めて、中古を買った。

「雑誌で情報を探して、ローランドがワークステーションとして売り出していた、中古のW-30というサンプラー&シンセサイザーを買いました。15万円くらいだったかな? シーケンサーもついてるし、これがあれば、とりあえず一通りのことはできたので。そこからは、地道に小さい楽器や周辺機器を買い足して、自宅録音にハマっていきました。作ってた曲も、やっぱりテクノっぽいものばかりでしたね。
 聴く音楽も中学時代と変わらず、アシッド・ハウスとデトロイトテクノがずっと好きでした。途中でアンビエント・テクノが流行りだしたり、エイフェックス・ツインが出てきたり……。着る物も、SHOP33(※東京・吉祥寺にあったテクノ系セレクトショップ。現在は、NEXT33としてネットショップを展開)のものを買ったり、それ系のブランドを揃えたりして。ほんと、新潟のサブカルっ子だったんですよ(笑)」

 だが残念ながら、大橋さんの高校にはサブカル仲間はいなかった。

「やっぱりクラスメイトはみんなヤンキー(笑)。さすがに趣味が合わないので、中学時代からの友達や、彼のバンド仲間とずっと遊んでました。ライブでバンドが登場する前のBGMを作ったり。バンド活動も友達のサポートでちらっとだけは。自分のライブは……ひとりで高校の文化祭に出たり、専門学校のイベント、クラブイベントに出たことがあるくらいで、数えるほどでしたね。音楽制作にはかなりのめり込んでましたけど、どこか大々的に発表する場を持とうとはあまり思わなくて。イメージした曲ができたときの達成感、カタルシスを得られればうれしかったんですよね」

 ところで、中学時代以来、大橋さんの話には、ゲームにまつわるエピソードが出てこないが?

「高校時代は、まったくやってないですね(笑)。中学の最後に、同級生からコードの接触の悪くなったメガドラ(メガドライブ)を買い取って、その後すぐにゲームをやらなくなりました。ウチにはずっと、ファミコンしかなかったので、次世代機的なものに憧れていたんですよね。その友達が、もうメガドラはやらないというので、喜んで譲り受けたんですが……しばらくして別の友達に貸したんです。そうこうするうちに、僕の興味は音楽に行ってしまって、ゲームは以上終了(笑)。
 ところが、このメガドラが、後に僕が専門学校に通い出した頃に、運命的な再会をするんですよ!」

 “運命のメガドラ”とは、かなり気になるワードだが、詳しい話は専門学校時代に譲ろう。趣味でいえば、音楽以外に、高校時代から今に続いていることがあるという。それはマンガを読むこと。しかも、そのジャンルは?

「少女マンガなんですよね。キッカケは、妹が買い出した『別マ』(別冊マーガレット)。紡木たくとか矢沢あいとか、そのくらいの時代ですかね。あとはなんだっけ……いくえみ陵とか……永田正実の『恋愛カタログ』、多田かおるの『いたずらなKiss』とか? 妹が『別マ』を買ってくると、まず俺に読ませろと取り上げてました(笑)。
 その後も、少女マンガは読んでいて、白泉社のマンガも大好きですよ。今も、妻に薦められていろいろ読んでます。やっぱり、人間の心理描写をあんなに細かく、壮大に描けるのは、少女マンガならでは。“花の24年組”と呼ばれる竹宮惠子先生や萩尾望都先生に、人間とは何かを教わりましたね」

 話を聞けば、高校生男子なら誰もが読みふける『週刊少年ジャンプ』などの少年誌は全く興味がなかったとか。

「そうなんですよ。音楽で、ハードなギターの音が苦手だったりするのもそうなんですけど……どうも、男の子らしい物がダメなんじゃないかと(苦笑)。シンセサイザーやパソコンが好きなので、機械に興味はあるんですが、電車だとか車だとかにはあまり。高校時代は、最寄り駅までバイク通学してましたけど、それも単なる移動手段だったので、バイクに興味があったからでもない。男らしいものは、好まなかったですね。
 まわりはみんなジャンプマンガが好きでしたが、僕が唯一、少年マンガのコミックスを持っていたのは、『キン肉マン』の7巻目(笑)。父親が誕生日のプレゼントにくれた、その1冊だけ。だから、『ドラゴンボール』や『スラムダンク』を読んだのは、社会人になってからなんです。大人になって、サブカル系の男性マンガは読むようになりましたが、バトルが中心のマンガは相変わらず読まなかったですね。楳図かずお先生くらいかな、少年マンガっぽいのは。今、単行本を買い続けてるのも遠藤浩輝の『EDEN』だけです。少女マンガだったら、今市子先生が最高ですね」

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