舞台があり、ルールがあり、あとは“ご自由にどうぞ”。それこそが、僕の作りたい“That’s GAME”です。 渡辺一弘
 

個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに、“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。今月登場いただいたのは、スパイクのプロデューサー・渡辺一弘さん。斬新なシステムが大好評の人気シリーズ最新作、11月13日発売予定のPS3®『侍道3』。ヤンキーを題材に新機軸のゲーム性を獲得した話題のシリーズ最新作、11月27日発売予定のPSP®『喧嘩番長3 〜全国制覇〜』。個性的な2作のプロデュースを手がける渡辺さんは、その半生も個性的だ。ゲーム雑誌編集者、ゲーム開発者と、同じゲーム業界でも立場の異なる仕事を経験してきた渡辺さんは、他のゲームクリエイター諸氏とはまた違う“ゲームを見る目”を養ってきた。 ボードゲーム、PCに精通した青春時代を経て、現在に至るまで。渡辺さんが、彼の半生をじっくり語ってくれた。

取材・文/阿部美香(ライター)
 

小学校時代〜思い出のサンシャイン60

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 渡辺さんが生まれ育ったのは、東京都の北区・滝野川。JR板橋駅にほど近く、南方面には巣鴨、東には王子といった街が控える滝野川は、古き良き昭和の雰囲気を今に伝える、人情味と下町情緒あふれるエリアだ。

「まさに下町ですね、滝野川は。子供の頃は、近所の駄菓子屋に行ったり、ドブ川でザリガニを採ったり、外でよく遊んでました。特別な記憶に残っているのは、小学生の時にできた池袋のサンシャイン60。今はトイザらスになってる場所に、昔は巨大なゴリラのオブジェがあるゲーセンがあったんですよ。家からチャリで15分くらいかな? 小銭を握ってはそこまで行ってたのが思い出ですね。当時、あのあたりはサンシャイン以外、何もなくてね。他にあったのはアニメイトくらい。まだ乙女ロードができる前ですし(笑)」

 渡辺さんのゲーム体験は、ゲームセンターの思い出から始まる。サンシャイン60が開業したのは、78年。渡辺さんが8歳の時のこと。小学校高学年になってからは、渡辺さんは友達と連れだって、池袋まで遊びに行っていた。

「でも、小学生のこづかいなんて、たかが知れてますからね。大人数で行っても、実際にゲームに触るのはほんの数回で。何を遊んでたんだろうな……。まだ家の近くにはインベーダーハウスがあった時代だから、おそらく『ギャラクシアン』(ナムコ)系のシューティングゲームをやってたはずですよ。近所のゲーセンでの思い出は……ピンクレディの解散コンサートです。ハイスコアを出すと、解散コンサートのチケットがもらえるっていう企画をやってたんですよ。あれがやけに思い出に残ってますね。もちろん、俺はもらえませんでしたけど。ゲームセンターに行ったといっても、お金がないから、いうほど通っていたわけでもない。遊びとしてはそれより、友達同士でワイワイやってたことのほうが多かったですね」

 そこでは、どんな遊びを?

「近所の友達5〜6人で、“〜ごっこ”をたくさんやりましたね。当時は、週末になるとテレビで必ず洋画をやってたんですよね。『金曜ロードショー』とか『ゴールデン映画劇場』とか。そこで観た映画をモチーフに、ごっこ遊びをしてたんです。『エイリアン』やら『遊星からの物体X』なんかを見たら、基本は鬼ごっこのルールなんだけど、鬼じゃなくてエイリアンが襲ってくる、みたいな役作りをしながら。エイリアンの卵の役を刺激していくうちに、いきなり襲い出すとか、そんなルールを付加して」

 小学校時代に触れたゲーム体験といえば、渡辺さんは、イトコの家で、後の熱心な趣味に繋がるあるゲームと出会っている。シミュレーションボードゲームだ。

「仲の良いイトコがいて、よく遊んでました。そのころから、僕のボードゲーム人生が始まったんですよ。小学校高学年から中学生にかけて、いわゆるヘックス型のシミュレーションゲームがいろいろ出てきて、本場の海外のゲームは高かったので、エポック社が出してた『ワールドウォーゲームシリーズ』をたくさん買うようになりました。そのうちに、同級生でボードゲーム好きを集めたサークルを作って、会長におさまったりして。当時、コピーの値段もかなり高かったんですけど、コピー紙で会報を作ったりしてね。それは中学時代に入ってもやってましたね」

 アーケードゲーム以外でも、デジタルなゲームにまつわる思い出は多い。

「『ゲーム&ウオッチ』(任天堂)は、うちの親父がイトコには買ってあげたのに、僕には買ってくれなかった。イトコが『パラシュート』をやってるのを、悲しい気持ちで横目で見てました(笑)。あとは……“ゲーム電卓”って知ってます? カシオが最初だったと思うんですけど、電卓の液晶に表示される数字を、数字を合わせて消していくんですよね。数字以外の“n”がUFOで(笑)。よくできてるゲームですよ。あれはかなり高かったから、金持ちの友達の家で遊んだなぁ」

 そして、渡辺さんがボードゲームに夢中になり始めた時期には、ファミコンもブームに。

「僕の家にファミコンがやってきたのは、もう丸ボタンになってから。妹とお金を貯めて買いました。四角ボタンの時代は、友達の家で遊ばせてもらってましたね。自分が最初に買ったソフトは『マッピー』(ナムコ)と、実にちゃんとしてるんですが、次に買ったのが『アストロロボSASA』(アスキー)かな? 当時、友達が持ってるゲームは買わずに、貸し借りして遊ぶっていう不文律があったじゃないですか。そこで、僕が買ってたのが、『アストロロボSASA』とか『いっき』(サン電子)とか『スーパーアラビアン』(サン電子)だったんですよ。持っていたなかで、いちばんの名作だといまだに思っているのは『デビルワールド』(任天堂)ですかねぇ。」

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中学時代〜デジタルよりアナログのボードゲーム

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 中学に入った渡辺さんは、先に話があったように、ボードゲームに耽溺する毎日だった。

「当時のボードゲームは安くて2800円、高くて4800円くらいしたので、なかなかしょっちゅう買えないんですが、お年玉をもらうと、5800円以上するアメリカのアバロンヒル社のウォーシミュレーションを奮発して買って喜んでました。買いに行く場所はやっぱり池袋。小学生時代はサンシャイン60でしたが、中学時代は池袋パルコの「ポストホビー」(※)に通うようになったという違いはありますけどね。 ボードゲームは遊ぶだけでなく、当時売られていた、白紙のヘックスと白紙のコマが入ってる『デザイナーズキット』(ホビージャパン)を買ってきて、よく自分でゲームを作ったりもしてました」
 (※ポストホビー……60年代末から続く、老舗ホビーグッズ専門チェーン。ボードゲームに関しては、古くから 力を入れており、海外ボードゲームの輸入販売、関連会社であるホビージャパン社のオリジナルゲーム販売、専 門誌の販売なども行なっている)

 渡辺さんが遊びだした頃のウォーシミュレーションは、1対1の対戦ゲーム。だが?

「そのうち、複数人で遊ぶマルチプレイヤーゲームが出てきて、8人でプレイできる『戦国大名』(エポック社)には、めちゃめちゃハマりましたね。あれは面白かった。デジタル系のゲームは……親戚に借りたPC-8001が家にあったので、『ロードランナー』を遊んでたくらいかな。もちろん、メディアはカセットテープでした。 お金をボードゲームにつぎ込んでいたので、いわゆるコンシューマゲームは、中学でも高校でも、あまり遊んでなかったですね。よく覚えてるのは、高校2年の時に池袋のさくらやに並んで、『ドラクエIII』(『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』エニックス/現スクウェア・エニックス)を買ったこと?
 さくらや派は朝、整理券が配られたから学校に行けたけど、ビックカメラ派は昼過ぎまでそのまま並ばされてて。そいつらが学校を休んだから、行列が社会問題になっちゃったんですよ、きっと(笑)。もう1本、並んで買ったファミコンソフトは、『燃えろ!!プロ野球』(ジャレコ)でしたね。『ドラクエIII』の1年前くらいだったかな?」

 ところで。ボードゲーム仲間も数多く通っていた渡辺さんの母校は、どんな中学校だった?

「世代的にもヤンキー文化の時代だったし、学校にも“リアル『喧嘩番長』”な人はけっこう残ってましたよ。中学生なのにヒゲ面だったり。『喧嘩番長3』の開発にも、その時代の経験が……いちおう役に立っているということで(笑)」

 そんな中学校で、渡辺さんは体育会系クラブで汗を流す毎日。そのスポーツは?

「3年間、バドミントン部。マジメに通ってましたよ。女子の先輩が、みなさんキレイだったし(笑)。この頃は、ボードゲームとバドミントンをマジメにやってた中学生でした。」

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高校時代〜最悪の成績で大学受験

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 渡辺さんが入学したのは、豊島区西巣鴨にある東京都立文京高校。旧制第三東京市立中学校を前進とする、都立中堅校だ。今では、国公立進学のための特進クラスなども設けられ、進学校として名を高めつつあるが、渡辺さんが通った当時は、まだのんびりとした高校だったという。

 そこで新入生・渡辺一弘を待っていたのは、ある驚くべき事件だった。

「入学して最初の実力テストで、成績がクラスで下から2番目だったんですよ。それで「うわーっ」と思っていたら、すぐにいちばんビリのヤツが引っ越したんですよ(笑)。最悪ですよね。で、高校2年でクラス替えがあって、自分より成績の悪いヤツが何人かいて、下から5番目くらいになれてホッとしたという過去が。  ……という話でわかるように、高校時代の成績はとにかくひどかった!
 勉強を全くしなかった僕も悪いんですが、5段階評価の評定平均値が、3になったことがないんですから。MAXが2.7。体育と世界史以外、全部2だったこともありましたね。1(赤点)が付いちゃうとさすがに留年させられるんで、なんとか回避しつつ。別に自慢できる話でも何でもないんですけどね(笑)」

 そして、中学時代はバドミントン部に所属していた渡辺さんは、高校でも部活動にいそしんだ。

「バドミントン部にも所属してたんですが、途中からはラグビーに夢中でしたね。世代的に『スクール☆ウォーズ』なもんで(笑)。そこは正式な部ではなかったんですが、ラグビー好きな先生が同好会のようなものを作っていたんです。公式大会には出られませんでしたが、早稲田実業の2軍とか、名門とも対外試合をやってましたよ。相手があまりに強くてビックリするばかりでしたけど(笑)。
 ラグビーでは、最初はフランカー(スクラム3列目のFW)だったんですが、途中から司令塔的なスタンドオフ(フライハーフ)をやらされて。花形ポジションなんですが、ボールに触れる機会が少ないから、実はつまらないんですよ。どんなガタイのいい選手でも、ちゃんとタックルすれば倒れるからラグビーは面白い。球が集まるところに突っ込んでいくフランカーほうが、僕の性に合ってました」

 運動以外の趣味は、やはりゲーム?

「というほどでもないんですよ。仲良かった友達がPC-8801を持ってて、『三國志』や『信長の野望』シリーズ(コーエー)をやっていたのでマシンごと借りて遊んだり、ファミコンのメジャーなゲームを遊ぶくらいで、デジタルなゲームからは離れてました。ボードゲーム熱はまだ続いていたので、PCでマルチプレイができるようになった『信長の野望』を遊ぶより、友達と顔付き合わせて『戦国大名』をやってるほうが面白かったですしね。その頃も、なんだかんだとルールを作って自作ゲームを遊んだりしてましたよ」

 『ドラクエIII』を並んで買ったのもこの頃だそうだが?

「そうですね。でもファミコンは、本当に有名なものしかやってないですね。そもそもコンシューマはあまりプレイしていないので、並んで買った『ドラクエIII』も、結局クリアしてないし(笑)。というか……『ドラクエ』は『I』から『III』まで、全部途中で終わってるんですよ、珍しいでしょ? それが、俺のロト伝説!(笑)」

 「高校時代は、2年生までは本当にバカ生活でした」と笑う渡辺さん。そんな生活の中で、大学受験のほうはどうクリアしていったのだろうか。

「今までの話でお分かりのように、テストも悪ければ内申書の内容もひどい。だから、一発受験で合格するしかないと思って、高校3年の1年間は、学校の勉強はさておき、受験勉強だけをやりました。超効率的ですよね(笑)」

 そんな超効率的受験術が功を奏し、見事合格したのが東京国際大学の商学部。

「受かった時は高校の先生に驚かれましたね。“え? オマエが大学行けるんだ”って(笑)」

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