渡辺さんが生まれ育ったのは、東京都の北区・滝野川。JR板橋駅にほど近く、南方面には巣鴨、東には王子といった街が控える滝野川は、古き良き昭和の雰囲気を今に伝える、人情味と下町情緒あふれるエリアだ。
「まさに下町ですね、滝野川は。子供の頃は、近所の駄菓子屋に行ったり、ドブ川でザリガニを採ったり、外でよく遊んでました。特別な記憶に残っているのは、小学生の時にできた池袋のサンシャイン60。今はトイザらスになってる場所に、昔は巨大なゴリラのオブジェがあるゲーセンがあったんですよ。家からチャリで15分くらいかな? 小銭を握ってはそこまで行ってたのが思い出ですね。当時、あのあたりはサンシャイン以外、何もなくてね。他にあったのはアニメイトくらい。まだ乙女ロードができる前ですし(笑)」
渡辺さんのゲーム体験は、ゲームセンターの思い出から始まる。サンシャイン60が開業したのは、78年。渡辺さんが8歳の時のこと。小学校高学年になってからは、渡辺さんは友達と連れだって、池袋まで遊びに行っていた。
「でも、小学生のこづかいなんて、たかが知れてますからね。大人数で行っても、実際にゲームに触るのはほんの数回で。何を遊んでたんだろうな……。まだ家の近くにはインベーダーハウスがあった時代だから、おそらく『ギャラクシアン』(ナムコ)系のシューティングゲームをやってたはずですよ。近所のゲーセンでの思い出は……ピンクレディの解散コンサートです。ハイスコアを出すと、解散コンサートのチケットがもらえるっていう企画をやってたんですよ。あれがやけに思い出に残ってますね。もちろん、俺はもらえませんでしたけど。ゲームセンターに行ったといっても、お金がないから、いうほど通っていたわけでもない。遊びとしてはそれより、友達同士でワイワイやってたことのほうが多かったですね」
そこでは、どんな遊びを?
「近所の友達5〜6人で、“〜ごっこ”をたくさんやりましたね。当時は、週末になるとテレビで必ず洋画をやってたんですよね。『金曜ロードショー』とか『ゴールデン映画劇場』とか。そこで観た映画をモチーフに、ごっこ遊びをしてたんです。『エイリアン』やら『遊星からの物体X』なんかを見たら、基本は鬼ごっこのルールなんだけど、鬼じゃなくてエイリアンが襲ってくる、みたいな役作りをしながら。エイリアンの卵の役を刺激していくうちに、いきなり襲い出すとか、そんなルールを付加して」
小学校時代に触れたゲーム体験といえば、渡辺さんは、イトコの家で、後の熱心な趣味に繋がるあるゲームと出会っている。シミュレーションボードゲームだ。
「仲の良いイトコがいて、よく遊んでました。そのころから、僕のボードゲーム人生が始まったんですよ。小学校高学年から中学生にかけて、いわゆるヘックス型のシミュレーションゲームがいろいろ出てきて、本場の海外のゲームは高かったので、エポック社が出してた『ワールドウォーゲームシリーズ』をたくさん買うようになりました。そのうちに、同級生でボードゲーム好きを集めたサークルを作って、会長におさまったりして。当時、コピーの値段もかなり高かったんですけど、コピー紙で会報を作ったりしてね。それは中学時代に入ってもやってましたね」
アーケードゲーム以外でも、デジタルなゲームにまつわる思い出は多い。
「『ゲーム&ウオッチ』(任天堂)は、うちの親父がイトコには買ってあげたのに、僕には買ってくれなかった。イトコが『パラシュート』をやってるのを、悲しい気持ちで横目で見てました(笑)。あとは……“ゲーム電卓”って知ってます? カシオが最初だったと思うんですけど、電卓の液晶に表示される数字を、数字を合わせて消していくんですよね。数字以外の“n”がUFOで(笑)。よくできてるゲームですよ。あれはかなり高かったから、金持ちの友達の家で遊んだなぁ」
そして、渡辺さんがボードゲームに夢中になり始めた時期には、ファミコンもブームに。
「僕の家にファミコンがやってきたのは、もう丸ボタンになってから。妹とお金を貯めて買いました。四角ボタンの時代は、友達の家で遊ばせてもらってましたね。自分が最初に買ったソフトは『マッピー』(ナムコ)と、実にちゃんとしてるんですが、次に買ったのが『アストロロボSASA』(アスキー)かな? 当時、友達が持ってるゲームは買わずに、貸し借りして遊ぶっていう不文律があったじゃないですか。そこで、僕が買ってたのが、『アストロロボSASA』とか『いっき』(サン電子)とか『スーパーアラビアン』(サン電子)だったんですよ。持っていたなかで、いちばんの名作だといまだに思っているのは『デビルワールド』(任天堂)ですかねぇ。」
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