覚悟を決めて飛び込み、習うより慣れろでやってきました。大切なのは、何にも負けない熱意だと思います。塩沢 夏希
 

個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに、“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。2009年第一弾のインタビューは、社会人2年目にしてカプコンの大作対戦格闘、PLAYSTATION®3版『ストリートファイターIV』のプロジェクトマネージャーに抜擢された若きクリエイター・塩沢夏希さんだ。小中高、大学まで、女子校で過ごした塩沢さんは、一度は決めた進路を取りやめて、ゲーム業界の門を叩いた。一度ハマると極めずにはいられない性格の彼女が、歩んだ道のりとは? 2月12日発売予定の『ストリートファイターIV』最新情報と共に、塩沢さんの半生を伺った。

取材・文/阿部美香(ライター)
 

幼稚園・小学校〜通学のおともは司馬遼太郎?

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 「私、カプコンと同い年なんですよ!」

 と、元気な声で取材に応じてくれたのは、アーケード、コンシューマで大人気の対戦格闘『ストリートファイター』公式ブログでもファンにおなじみ。ゲーム業界歴わずか3年弱という、フレッシュなクリエイター塩沢夏希さんだ。彼女が生まれたのは、東京都の西南部に位置する世田谷区。歴史ある世田谷は、密集した家屋と緑豊かな自然が共存する有数の住宅地で、塩沢さんの自宅の近所にも、東京とは思えないのどかな風景があった。

「うちの近所には、東京農業大学と馬事公苑がありまして、小さい頃からよく、祖父に手を引かれて馬事公苑に馬を見に行ってました。朝早く、家を出ると、普通の道路沿いを馬事公苑の人が馬を連れて散歩しているんですよ。なので、子供の頃の夢は馬術師。馬に乗るお姉さんに憧れていました」

 塩沢さんのご家庭は、ご両親と一人っ子の塩沢さんの3人家族。幼稚園時代の塩沢さんは、とても活発な女の子だった。

「キリスト教の幼稚園に通っていたので、毎週日曜日は教会の礼拝に行っていました。クリスマスなどの行事があるときは、みんなでキリストのお芝居をやったのを覚えています。といっても、まったくおとなしい子供ではなく、いちばんの遊びは、近所の男の子を集めてのチャンバラごっこ。新聞紙をギュッと丸めて、いかに固い刀を作るかを競ってました(笑)。まわりの女の子の間では、妖精ごっこという可愛らしい遊びが流行ってたんですけど、私は全然そういうのに興味がなくて。男の子と一緒に砂場にいるか、チャンバラごっこをするか。木登りなどもしてたので、スカートやタイツを破いては、いつも母親に怒られていました。よく転ぶ子だったんですよ(笑)」

 そんな塩沢さんは、幼くして受験経験者。家族の方針からいくつかの私立小学校を受験し、日本女子大附属豊明小学校に入学した。

「小学校受験の記憶はほとんどないですね。いちおう、お受験の教室には通って知育テストや体操の勉強などはやっていたんですが、私が覚えているのは両親に連れられて、先生の質問に答えていたことくらい。でも親は相当大変だったらしく、もう二度とあんな経験はしたくないって言ってます(笑)。そこからずっと内部進学だったので、受験したのはそのときだけ。学生としては、とてもラクチンな道を進ませてもらいました。今はお受験もさらに大変になっているんでしょうけど、将来、私に子供ができたら……やっぱり苦労はさせたくないので、小学校受験をさせてしまうかも知れないですね」

 女子大附属の小学校だけに、生徒ももちろん女の子ばかり。クラスもわずか3組しかないアットホームな環境で、塩沢さんはどんな毎日を過ごしていたのだろう。

「小学生のうちは、女の子だけといっても、まわりもかなり無邪気で元気でしたね。日本女子大は大学と小学校が目白にあって、隣は旧田中角栄邸。都心にしては、緑の多いところでしたから、学校での遊びも校庭でみんなで花いちもんめをやったり、学校の池におたまじゃくしをすくいに行ったり。ここでもけっこうヤンチャな小学生でした(笑)」

 小学校高学年になると、そんな塩沢さんの生活にも変化が訪れる。物を書く――特に詩を書く楽しさに目覚めていった。

「直接的なキッカケは特にないと思うんですが、物を書くことが好きになったのは、本をよく読んでいたからじゃないですかね。小学校には電車で通っていたので、1年生のときから、道すがらずーっと児童向けの文庫本を読んでいたので、読書が大好きだったんです。担任も、生徒の興味を伸ばしてくれる先生だったので、先生からもらった詩のノートを大事に、書き物にいそしんでました。内容は……小学生のわりには、けっこう暗かったような(苦笑)。そこからもずっと物を書くことは好きでしたが、おとなしさはまったくなく。とっても気性の荒い文学少女でした(笑)」

 通学中は電車の中で読書ばかりしていたという塩沢さん。小学校低学年から中学年の頃は、小説本ばかり読んでいたとか。

「そうなんです。その頃は、マンガを全然読まない珍しい子供でした。マンガを読むようになったのは、高学年になってから。最初に読んだのは『動物のお医者さん』。動物が大好きだった私は、当時、獣医さんになりたいと思っていたんです。だから、中身を見ずにタイトルと表紙の犬の絵に惹かれて買ってみたら、なんと少女マンガの単行本だったんですよ(笑)。これが、読んでみたら非常に良質な作品で面白かった。そこから、作品が連載されていた雑誌『花とゆめ』も買うようになりました。でも、まわりの同級生が読んでいたような『りぼん』とか『なかよし』にはまったく興味がなく。相変わらず、女の子らしい好みとはあまり縁がなかったし、決まった女の子友達とべたべた仲良くすることもなかったです」

 好きな本は他にもあった。それは恐竜の図鑑だ。

「獣医さんになりたいと思う前は、恐竜が大好きで(笑)。親と一緒によく恐竜展にも行ってたし、一時は恐竜の図鑑ばかり読んでましたね。読むだけでは物足りなくて、自分で好きな恐竜の絵を描いて、オリジナルの恐竜図鑑を作ったりもしました。その頃の夢は、恐竜の化石を探す人。まぁ、考古学者ってことになるんでしょうかね?(笑)」

 当然、学校での得意科目は国語。歴史にも興味津々だったとか。

「だんだん、日本の歴史にも興味が出てきて、小説を読むのが好きだったこともあって、小学校高学年になると新選組とか幕末時代に興味が移っていきました。好きだったのは司馬遼太郎。おやじ臭い小学生ですよね(笑)」

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中学・高校時代〜「塩沢語録」と体育部部長

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 小学校を卒業すると、塩沢さんはそのまま日本女子大学附属中学校から附属高校に進んだ。学校のある場所も、東京都内の目白から神奈川県川崎市の西生田へと移った。

「中学校からは、学級委員をやらされるようなポジションに就き、オラオラ言ってましたね(笑)。うちの学校は、女子学校といっても、まったくおとなしくないんですよ。自主性を重んじる校風なので、みんなものすごく活発でイベントも派手。男女共学だと男の子の目を意識しておとなしくなるんでしょうが、うちはみんなが男の子みたいにサバサバしてる。みなさんが想像するようなしっとりしたイメージは、カケラもなかったですね(笑)」

 通学路も変り、中学受験で入ってきた新しい学生も増えて1学年のクラス数も小学校の倍の6クラスに。塩沢さんを取り巻く環境は、ずいぶんと変化していた。そんな中学時代で思い出すことは?

「……なんでしょう。中学時代は、1、2年の頃のことはあまり覚えてないんですよね。環境の変化についていくのが得意じゃなかったから、学校が面白くなかったんです。特に何か事件があったわけでもないんですが、なんとなくストレスが溜まっていたからか、家の中でも親に反抗することが多くなり、母も本気で心配してたみたいです。おそらく、学校の人間関係も上手く築けてなかったんでしょうね」

 それも、環境に慣れた中学3年生になるとすっかり解消された。いつの間にか、持ち前のリーダーシップと明るさを取り戻した塩沢さんは同級生を楽しませるキャラクター、クラスの中心人物になっていた。

「暗澹たる1、2年時代が終わって中3になると、友達ともガンガンつるんで楽しかったという記憶がありますね。思い出すのは、クラスメイトが作っていた「塩沢語録」(笑)。私が言った面白い言葉に解説文がついている辞書なんです。私は体育の時間にみんなを並ばせる役をやっていたんですが、その時に言った「並べ、さっさと並べ」という言葉には、“「A、さっさとA」 Aには動詞の命令形が入る”とかいう解説がついている。そんな言葉が100個くらい並んでるんです。今見ても、かなり本格的な内容で面白いんですよ。たまに友達が集まると、爆笑しながら読んでます」

No35.
えー。しらないの。
No54.
ガー
No40.
ん。おいしいんじゃない。

 高校時代になると、さらに塩沢さんの活発さはパワーアップした。

「そうですね。もともと男勝りな性格なので、仕切り屋というか……体育会風の気質はどんどん強くなっていきました。うちの高校には、いわゆるクラブ活動とは別に、学校の自治に関わる部活があって、私は体育部の部長をやってました。うちの高校は運動会と文化祭がとても盛んだったので、運動会の運営も全部、体育部がやってました。また、毎日先生の代りに、朝と帰りに生徒の出欠を管理するのも体育部の仕事。生徒の名簿管理は、部長の私の仕事なんです。いわゆる風紀委員に近い感じですかね。行事で生徒が移動するときも、いつでも体育部長が駆り出されるので、生徒全体をまとめる役でした」

 その噂の運動会。女子校とは思えない壮絶な応援合戦が見どころなのだとか。

「これがものすごいんですよ。応援団が中心となって、ダンスと歌で応援合戦をするんですが、みんな練習に本気になり過ぎちゃうので、だいたい毎年、骨折と流血と筋肉注射が欠かせない(笑)。運動会は6月にあるんですけど、本番まで朝・昼・晩と毎日、激しい練習に打ち込みます。文化祭も同じ感じですね。すべてが学生の自主に任されるので、その盛り上がりたるや、大変なものです」

 大きな行事や日々の学校生活を仕切り続けてきた高校時代。塩沢さんの男らしさ(?)にまつわるこんなエピソードもあった。

「高2の時に、自宅の前で、痴漢と格闘して捕まえたことがありました(笑)。家から最寄りの駅までは自転車で通っていたんですが、ある冬の帰り道、自転車を家に止めようとしていたら、横の私道を自転車で入ってくる男の人がいたんです。その先にはマンションが建っていたので、そこに行くんだろうと気にせず自転車をしまっていたら、その人が私の後ろにやってきて、カラダをサッと触ったんですよ。驚いて振り向いたら、自転車にまたがって逃げようとしたので、私は「許さん!」と怒りながら走って追い掛けたんです。しばらく、私と自転車が併走ですよ(笑)。そのうち、向こうがバランスを崩して倒れて、そこからは、逃がすものかと取っ組み合い。しばらく揉み合っているうちに、向こうが攻撃を仕掛けてきたので、大声をあげたら近所の工事現場のおじさんが駆けつけて、男を押さえてくれて。そのスキに警察に電話を掛けて、めでたく御用になりました(笑)。警察の人には、「もし刃物でも持ってたらどうするつもりだ。危ないじゃないか」と怒られましたけどね(苦笑)」

 短気で正義感の強い塩沢さんは、そんな武勇伝がある一方、本を読み、物を書くのが好きという少女らしい趣味も続けていた。

「高2と高3の時に、全国文学コンクール的な催しに詩を出して、賞をいただきましたね。他に文化系な活動だと、写真部ですか。といっても合宿旅行がメインで、そこでも合宿マネージャーを引き受けて、みんなを引率していたんですけどね」

 体育部部長、部活の合宿マネージャー、さらに修学旅行でも委員長を務めたという彼女には、まさに仕切り屋という言葉がぴったりだ。中学前半は、まわりの友達との人間関係にも苦しんだようだが、その後、みんなに押し上げられるように責任ある立場に着かされたことで、自分の資質をいかすことができるようになったのだろう。

「そうですね。確かに小中の頃は、そこまでいろんな人と関わりを持つのが得意ではなかったんですよ。自分もそれを必要としていませんでしたし。でも、何かの部長とか委員長とか、そういう役職に就くと、みんなも自分を認知するし、必然的にみんなの中でのポジションができる。人のために何かをするのは嫌じゃなかったので、そういう経験が、みんなと自然に仲良くなれるキッカケにもなりました。高校時代の3年間がなかったら、今の私はなかったんじゃないですかね」

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