小学校を卒業すると、塩沢さんはそのまま日本女子大学附属中学校から附属高校に進んだ。学校のある場所も、東京都内の目白から神奈川県川崎市の西生田へと移った。
「中学校からは、学級委員をやらされるようなポジションに就き、オラオラ言ってましたね(笑)。うちの学校は、女子学校といっても、まったくおとなしくないんですよ。自主性を重んじる校風なので、みんなものすごく活発でイベントも派手。男女共学だと男の子の目を意識しておとなしくなるんでしょうが、うちはみんなが男の子みたいにサバサバしてる。みなさんが想像するようなしっとりしたイメージは、カケラもなかったですね(笑)」
通学路も変り、中学受験で入ってきた新しい学生も増えて1学年のクラス数も小学校の倍の6クラスに。塩沢さんを取り巻く環境は、ずいぶんと変化していた。そんな中学時代で思い出すことは?
「……なんでしょう。中学時代は、1、2年の頃のことはあまり覚えてないんですよね。環境の変化についていくのが得意じゃなかったから、学校が面白くなかったんです。特に何か事件があったわけでもないんですが、なんとなくストレスが溜まっていたからか、家の中でも親に反抗することが多くなり、母も本気で心配してたみたいです。おそらく、学校の人間関係も上手く築けてなかったんでしょうね」
それも、環境に慣れた中学3年生になるとすっかり解消された。いつの間にか、持ち前のリーダーシップと明るさを取り戻した塩沢さんは同級生を楽しませるキャラクター、クラスの中心人物になっていた。
「暗澹たる1、2年時代が終わって中3になると、友達ともガンガンつるんで楽しかったという記憶がありますね。思い出すのは、クラスメイトが作っていた「塩沢語録」(笑)。私が言った面白い言葉に解説文がついている辞書なんです。私は体育の時間にみんなを並ばせる役をやっていたんですが、その時に言った「並べ、さっさと並べ」という言葉には、“「A、さっさとA」 Aには動詞の命令形が入る”とかいう解説がついている。そんな言葉が100個くらい並んでるんです。今見ても、かなり本格的な内容で面白いんですよ。たまに友達が集まると、爆笑しながら読んでます」
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No35. えー。しらないの。 |
No54. ガー |
No40. ん。おいしいんじゃない。 |
高校時代になると、さらに塩沢さんの活発さはパワーアップした。
「そうですね。もともと男勝りな性格なので、仕切り屋というか……体育会風の気質はどんどん強くなっていきました。うちの高校には、いわゆるクラブ活動とは別に、学校の自治に関わる部活があって、私は体育部の部長をやってました。うちの高校は運動会と文化祭がとても盛んだったので、運動会の運営も全部、体育部がやってました。また、毎日先生の代りに、朝と帰りに生徒の出欠を管理するのも体育部の仕事。生徒の名簿管理は、部長の私の仕事なんです。いわゆる風紀委員に近い感じですかね。行事で生徒が移動するときも、いつでも体育部長が駆り出されるので、生徒全体をまとめる役でした」
その噂の運動会。女子校とは思えない壮絶な応援合戦が見どころなのだとか。
「これがものすごいんですよ。応援団が中心となって、ダンスと歌で応援合戦をするんですが、みんな練習に本気になり過ぎちゃうので、だいたい毎年、骨折と流血と筋肉注射が欠かせない(笑)。運動会は6月にあるんですけど、本番まで朝・昼・晩と毎日、激しい練習に打ち込みます。文化祭も同じ感じですね。すべてが学生の自主に任されるので、その盛り上がりたるや、大変なものです」
大きな行事や日々の学校生活を仕切り続けてきた高校時代。塩沢さんの男らしさ(?)にまつわるこんなエピソードもあった。
「高2の時に、自宅の前で、痴漢と格闘して捕まえたことがありました(笑)。家から最寄りの駅までは自転車で通っていたんですが、ある冬の帰り道、自転車を家に止めようとしていたら、横の私道を自転車で入ってくる男の人がいたんです。その先にはマンションが建っていたので、そこに行くんだろうと気にせず自転車をしまっていたら、その人が私の後ろにやってきて、カラダをサッと触ったんですよ。驚いて振り向いたら、自転車にまたがって逃げようとしたので、私は「許さん!」と怒りながら走って追い掛けたんです。しばらく、私と自転車が併走ですよ(笑)。そのうち、向こうがバランスを崩して倒れて、そこからは、逃がすものかと取っ組み合い。しばらく揉み合っているうちに、向こうが攻撃を仕掛けてきたので、大声をあげたら近所の工事現場のおじさんが駆けつけて、男を押さえてくれて。そのスキに警察に電話を掛けて、めでたく御用になりました(笑)。警察の人には、「もし刃物でも持ってたらどうするつもりだ。危ないじゃないか」と怒られましたけどね(苦笑)」
短気で正義感の強い塩沢さんは、そんな武勇伝がある一方、本を読み、物を書くのが好きという少女らしい趣味も続けていた。
「高2と高3の時に、全国文学コンクール的な催しに詩を出して、賞をいただきましたね。他に文化系な活動だと、写真部ですか。といっても合宿旅行がメインで、そこでも合宿マネージャーを引き受けて、みんなを引率していたんですけどね」
体育部部長、部活の合宿マネージャー、さらに修学旅行でも委員長を務めたという彼女には、まさに仕切り屋という言葉がぴったりだ。中学前半は、まわりの友達との人間関係にも苦しんだようだが、その後、みんなに押し上げられるように責任ある立場に着かされたことで、自分の資質をいかすことができるようになったのだろう。
「そうですね。確かに小中の頃は、そこまでいろんな人と関わりを持つのが得意ではなかったんですよ。自分もそれを必要としていませんでしたし。でも、何かの部長とか委員長とか、そういう役職に就くと、みんなも自分を認知するし、必然的にみんなの中でのポジションができる。人のために何かをするのは嫌じゃなかったので、そういう経験が、みんなと自然に仲良くなれるキッカケにもなりました。高校時代の3年間がなかったら、今の私はなかったんじゃないですかね」
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