徒歩30分もかけて通学していた小学校を卒業。菊池さんはそのまま、市立の公立中学に進んだ。
「今度は、徒歩15分の学校に(笑)。ずいぶん通学時間も短縮されました。当時の中学は……もう校内暴力が盛んだった荒れた時代が終わってはいましたが、『ビー・バップ・ハイスクール』風の不良はいましたね。僕は全然、違いましたけど」
小学校時代は、友達と一緒に遊びたいがためにサッカー部に入部していた菊池さん。中学では?
「軟式テニス部に入りました。でも、これもサッカーと同じでまったく真面目に練習せず。2年の時に、「おまえ、練習に来るか辞めるか、どっちかにしろ!」と顧問の先生に怒られてクビになった、というのが思い出です(笑)。
でもそれも仕方ないんですよ。軟式テニス部は部員がとても多かったんですが、学校に男子テニス部が使えるテニスコートが1面しかないんです。だから、練習に行ってもボールを打てないんですよ。球拾いばっかりで。だからつまらなくて、練習に行かなくなってしまったんです」
では、部活以外の思い出は?
「どうだろう……何してましたかねぇ? 勉強もしなかったしなぁ(笑)。当時は、中間試験、期末試験で順位が張り出されていたんですが、そのたびに親にすごく怒られていました。入学時から、どんどん成績が下がっていったので(笑)。部活も勉強もしないで、何をしていたかというと……アーケードゲーム? といっても、ゲーセンではなく駄菓子屋で遊んでいたんですが。ちょうど『魔界村』(カプコン)の時代ですか。あとは、家でPCゲーム。友達の家に集まってファミコンをいちばん遊んでいたのも、中学時代ですね。
父親への尊敬の念が高まったのも、この頃(笑)。機械いじりの好きな父は、電機製品はなんでも自分で直してしまうんですよね。ビデオデッキの調子が悪いといえばバラして直してましたし、『ラジオライフ』(三才ブックス刊)を読みながら手軽なコンピュータの基板を作っても、雑誌の訂正記事が出る前に不具合に気づいていたり。子供ながら「オヤジはすごい!」と尊敬してました。もう還暦も過ぎたので、今ではさすがに……と思っていたら、この間実家に帰ったら、「ノートPCの液晶がつかなくなったから、直せるかと思ってとりあえず開けてみた」と言いながら、分解してました(笑)。さすがに昔のPCとは違うので、直すまではできなかったようですが、電機製品が壊れたらまず分解してみようとは、今の時代じゃ、ふつう思いませんよね?(笑)」
そんな父親のもとで暮らしていれば、菊池さん自身も機械に詳しくなりそうなものだが?
「それが全然でした。技術家庭の授業でラジオを作るくらいのレベルで終わっちゃいました。だから、技術屋の父としては、非常に残念な息子(笑)。理系の学校に進んでエンジニアになっていれば、父もずいぶん喜んだんでしょうけど、そもそも数学は嫌いじゃないんですが、勉強する気がなかったんですよ。弟も二人とも文系にいってしまったんで、父は内心、さびしかったかも知れませんね」
「あれ? 結局、中学時代はゲームしかやってなかったのかなぁ?」と、笑う菊池さん。では、印象に残っているゲームについて語ってもらおう。
「まずは、先ほどの話にも出たアーケードの『魔界村』。そして『ファンタジーゾーン』(セガ)。会社(セガ)に入ってから『ファンタジーゾーン』を開発した先輩にお会いして、感激しました。あとは『アルゴスの戦士』(テクモ)ですね。
PCで『ハイドライド』や『ザナドゥ』を一生懸命やっていたのもこの頃です。『テグザー』(ゲームアーツ)は……クリアできなかったですね(笑)。アドベンチャーにハマッたのも中学時代。今の時代にはあり得ない内容ですが(笑)、『デゼニランド』や『デゼニワールド』。そして『サラダの国のトマト姫』(以上ハドソン)。あとは、洋ゲーのアドベンチャーですね。あんまり売れてるタイトルではなかったので、名前はもう忘れてしまいましたが、ハマっていたのはこっちのほうですね。独特の絵柄や雰囲気が好きでした」
自宅ではPCゲームに夢中だった菊池さん。コンシューマで印象的だったのは?
「……ディスクシステムの『リンクの冒険』(任天堂)ですかね。でも当時は、見下ろし型の『ゼルダの伝説』(任天堂)はやったことがないんです(笑)。『リンクの冒険』の話をすると、みんながみんな「難しかった」と言うんですが、僕にはそういう記憶はないんですよね。きっと、PCゲームのほうが理不尽なことがいっぱいあったので、気にならなかったんだと思います。クリアできずに最初からやり直し、なんてことがふつうでしたから(笑)。
なので、ディスクシステムのソフトで難しくて記憶に残っているのは、『光神話 パルテナの鏡』(任天堂)ですかね。コンシューマのゲームは、一人ではなく友達5人で集まって遊ぶのが基本だったんですが、あのゲームって、敵にやられてもすぐ死なずに、ナスビになるんですよね。で、なぜか僕はナスビを操るのが上手かった。『パルテナの鏡』では、僕はナスビ担当でした(笑)。
いちばんよく遊んだのは、『悪魔城ドラキュラ』(コナミ)。あのゲームは衝撃的でした。全部で6面くらいあったと思うんですが、自分の中に“20分の壁”というのがありまして。ランダムに出現する敵のパターンも全部覚えて、クリア時間が20分を切るまでやり込みました。それから20年ほど経ってやり直してみたら、1面で死んじゃって、弟がビックリしてました。やってるうちに記憶がよみがえって、いちおうクリアはできたんですが、兄貴に対する尊敬の念は消えてしまったみたいです(笑)」
ゲームに夢中で、成績がぐんぐん落ちていった菊池さんだが、さすがに3年生ともなると、高校受験のために塾に通うようになった。
「うちの父は子供の教育に口を出さない人だったんですが、さすがに僕の成績を見るに見かねたらしく、強制的に塾に通わされました。1年の時の中間テストは、約400人中の30番くらい。それが、2年の後半では200番台に下がっていたので、父も「これはマズい」と思ったみたいですね。で、最初は3年になる春休みの春期講習だけのつもりで通ってたんですが、僕も知らないうちに、新学期からも行くように決められてしまっていて。あれは、ショックでしたね(笑)」
「とにかく勉強をするのがイヤでイヤで……」という菊池さんだったが、強制的に通わされた塾おかげで、成績はみるみるアップ。県下最高レベルの進学校、栃木県立宇都宮高校に合格した。
「おそらく、試験もギリギリだったんじゃないかと思いますが、ほんと、頑張ったと思いますよ(笑)。無理矢理、塾に行かされた時は困りましたけど、父親には感謝しないといけないですね」
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