ロジックとして完成した“美しいゲーム”が目標。しかし“理屈じゃない面白さ”もゲームにとっては大切なこと。菊池 正義
 

個性的な作品をつくり出す注目のゲームクリエイターに、“あなたができるまで”を訊くロングインタビュー企画「THE EARLY DAYS」。今月は、2月26日発売予定、PS3®期待のエンターテインメント超大作『龍が如く3』のプロデューサーである、セガの菊池正義さんに半生を伺った。中学生時代はゲーム、高校時代は麻雀、大学はサークル活動に打ち込んできた菊池さんは、学生時代を「超モラトリアム人間」だったと振り返る。そんな菊池さんが、どのようにしてゲーム業界に入ったのだろうか。最新作『龍が如く3』の見どころと共に、菊池さんの道のりを語ってもらおう。

取材・文/阿部美香(ライター)
 

小学校時代〜友達とはファミコン・家ではPC

photo

 セガ入社以来、『パンツァードラグーン』『ジェット セット ラジオ』『龍が如く』と、同社のみならず、日本のゲーム業界を代表する個性的な大作シリーズを手がけてきた菊池正義さんは、栃木県宇都宮市の出身。宇都宮市は、県北部に日光国立公園を有するなど、豊かな自然に恵まれた栃木県の南、平野部に位置する県庁所在地。餃子の町おこしでも有名な県内最大の街だ。

「小学校の思い出でいちばん印象的なのは、毎日の通学路ですね。昔は家のまわりも田んぼだらけでした。僕が住んでいたのは宇都宮市内ではあるんですが、ちょうど学区の区切れ目。家から学校まで、子供の足で歩いて30分ほどかかるので、とにかく遠かった。毎日、田んぼのなかをトコトコ歩き、小高い山? を越えて通っていました。
 子供にしてはけっこうハードなんですが(笑)、友達同士が連れ立っての通学は、遠足みたいで楽しかったです。学校で暗くなるまで遊んで、帰り道も山に入ってみたり、用水路でザリガニを捉まえたりと寄り道をして。そんなことばっかりやってましたね。家の近所の林で、カブトムシやクワガタを採るとか。虫取りって、夜中とか早朝にやるじゃないですか。親は、まったくいい顔しなかったですね(笑)。今から思えば、いい環境で育ったと思います」

 菊池さんの小学校時代は、ちょうどテレビゲームの創生期にあたる。ヤンチャな男子小学生にとって、ザリガニ採りと同じく、ゲームも欠かせないアイテムだった。

「小学校低学年の時期にゲームウォッチが発売されたときは、「世の中にこんな面白いものがあるのか」と感動しました。その前にはLSIゲームもあったんですが、そちらもよく遊んでいました。
 うちの父は電力会社の社員で、送電線の鉄塔を設計する仕事をしていたので、もともと機械好き。小学校2年生の時には既に、父が仕事に使っていたシャープのMZシリーズが家にあり、その後も新製品が導入されていました。だから、僕も小さい頃からコンピュータ雑誌を見ながら、BASICの真似事をやったりして。当時からデバッグしてましたよ(笑)。当然、コンピュータ絡みの機械にも興味があるので、家族で買い物に行ってもオモチャコーナーで母と父が、テレビに繋ぐインベーダーゲームを買う買わないでもめていたりしましたよ(笑)。ゲームをやりたかったというよりも、どんな仕組みで動いているのか、ハードのほうが気になったんでしょうね」

 といいつつも、菊池さん自身はそれほど深くコンピュータには関わらなかった。

「PCもゲームをちょこちょこ遊ぶくらいで、プログラミングを極めようとは思いませんでした。山遊びやザリガニ採りのほうが面白かったんでしょうね(笑)。そうするうちに、小学校高学年にファミコンが出て、中学生になって『スーパーマリオ』シリーズ(任天堂)や『ドラゴンクエスト』(スクウェア・エニックス)がブレイクして、すっかりテレビゲームのほうにいってしまいました。
 とはいえ、家にファミコンがやってきたのはけっこう遅くて。二人いる弟のうち、末の弟のほうがテレビゲームを大好きだったので、そのおかげで。それまで僕は、友達の家で遊ぶ専門。みんなで集まってワイワイやるゲームは本当に面白かった。誰かが新しいソフトを買ったといえば、すぐにみんなが集まる。キャラが死んだら交代、突破できないところがあれば得意なヤツに代ってもらってクリアする。僕たちの子供時代は、それが基本でしたからね。そこで喧嘩が始まるのも、また楽しかった。そういう遊び方は、今でも僕の理想ですよ。今までいろんなゲームをやってきましたけど、仲間が集まってプレイする遊び方を越える面白さはなかなか……。『モンスターハンター』(カプコン)が大ヒットしている理由もよくわかります」

 では、菊池さんが小学校時代にいちばん印象に残っているゲームも、やはりファミコン?

「いや、それが……(苦笑)。ファミコンがまだ家になかったので、PCの『ザ・ブラックオニキス』(BPS)なんですよ。学校では不思議と、学年を越えてPCユーザーが集まるもので、そこで知ったんです。最初は、画面もすごく地味だし、画面構成も独特でまったくゲームが理解できなかったんですが、やってみたら面白いんですよ。「あ、これがロールプレイングゲームというものなのか!」と衝撃を受けました。まわりの友人は、ファミコンからゲームに入っているので、RPGといえば『ドラクエ』。でも僕らは、『ドラクエ』ブームの時には、既にPCで『ウルティマ』などを遊んでいたので、コンシューマでは衝撃も少なかったです。
 その後は、やはりPCで『ウィザードリィ』。中学時代に通ってた塾にも『ウィザードリィ』サークルができて、ムラマサを取ったといえば喜び、コマンドの打ち込みも速くなり(笑)。当時のRPGには、マンガにもアニメにもない独特の世界がありましたから、とても魅力的でした。国産RPGも、『ハイドライド』(T&E SOFT)や『ザナドゥ』(日本ファルコム)はよくやりましたね。懐かしいです」

 PCのRPGも友達との情報交換が楽しかったという菊池さんは、小学校でも友達とよく遊ぶ活発な子供時代を過ごしていた。

「全然熱心ではなかったですが、高学年の時にはサッカーもやってました。特別にサッカーが好きというよりも、僕を入れて4人仲のいい友達がいて、他の3人が全員サッカー部だったんですよ。だから、彼らが練習に行ってしまうと一緒に遊べない。だから、僕もサッカー部に入ったんです。すごくわかりやすい理由で(笑)。でもそれほど好きでもないサッカーなので、向上心はまったくない(笑)。僕にとっては遊びの一環ですね。
 名前は特に付いてなかったんですが(※)、鬼ごっこと陣取りを合体したような遊びもよくやっていましたね。地面にマス目を描いて、その周囲に一つずつ同じように4つのマスを描き、中央でじゃんけんをして負けたヤツが鬼になる。その瞬間、鬼になった子がマスからはみ出ないように相手に触れると鬼の勝ち。鬼はマス目の領土をどんどん増やしていく……という遊びです。単純な遊びだけど、ルールは複雑。絶妙なゲーム性があってすごく燃えるんですよ。あれは毎日、夢中になって遊んでました。今、20年振りに思い出しましたが、正式には何という名前なのか、知ってる人がいたら教えてほしいです(笑)」
 (※「三歩取り(さんぽとり)」や「一歩三歩」と呼ばれているようです。)

 もちろん、男の子らしいアニメやマンガも大好き。菊池さんは、ジャストなファースト『ガンダム』世代でもある。

「ガンプラも改造しましたし、ガンダマーと呼べるほどハマりはしませんでしたが、『ガンダム』は大好きでしたね。声優の名前を覚えるということを初めてしたのもファースト『ガンダム』。今でも、ファーストの声優さんの名前はほとんど覚えていると思います。
 『龍が如く』の第一作目には、囚人番号1356役でブライトさんの声を担当されていた鈴置(洋孝)さんに出ていただいたんです。「こんなチョイ役でいいの?」と思う役での出演だったんですけど、快くご出演いただいて。でも、僕は収録に行けなかったんですよ。とても嬉しかったんですが、ものすごく残念な出来事で。その後、鈴置さんがお亡くなりになり……もう2度とお会いできなくなってしまいましたね」

ページの先頭へ

中学時代〜勉強嫌いはゲームのせい?

photo

 徒歩30分もかけて通学していた小学校を卒業。菊池さんはそのまま、市立の公立中学に進んだ。

「今度は、徒歩15分の学校に(笑)。ずいぶん通学時間も短縮されました。当時の中学は……もう校内暴力が盛んだった荒れた時代が終わってはいましたが、『ビー・バップ・ハイスクール』風の不良はいましたね。僕は全然、違いましたけど」

 小学校時代は、友達と一緒に遊びたいがためにサッカー部に入部していた菊池さん。中学では?

「軟式テニス部に入りました。でも、これもサッカーと同じでまったく真面目に練習せず。2年の時に、「おまえ、練習に来るか辞めるか、どっちかにしろ!」と顧問の先生に怒られてクビになった、というのが思い出です(笑)。
 でもそれも仕方ないんですよ。軟式テニス部は部員がとても多かったんですが、学校に男子テニス部が使えるテニスコートが1面しかないんです。だから、練習に行ってもボールを打てないんですよ。球拾いばっかりで。だからつまらなくて、練習に行かなくなってしまったんです」

 では、部活以外の思い出は?

「どうだろう……何してましたかねぇ? 勉強もしなかったしなぁ(笑)。当時は、中間試験、期末試験で順位が張り出されていたんですが、そのたびに親にすごく怒られていました。入学時から、どんどん成績が下がっていったので(笑)。部活も勉強もしないで、何をしていたかというと……アーケードゲーム? といっても、ゲーセンではなく駄菓子屋で遊んでいたんですが。ちょうど『魔界村』(カプコン)の時代ですか。あとは、家でPCゲーム。友達の家に集まってファミコンをいちばん遊んでいたのも、中学時代ですね。
 父親への尊敬の念が高まったのも、この頃(笑)。機械いじりの好きな父は、電機製品はなんでも自分で直してしまうんですよね。ビデオデッキの調子が悪いといえばバラして直してましたし、『ラジオライフ』(三才ブックス刊)を読みながら手軽なコンピュータの基板を作っても、雑誌の訂正記事が出る前に不具合に気づいていたり。子供ながら「オヤジはすごい!」と尊敬してました。もう還暦も過ぎたので、今ではさすがに……と思っていたら、この間実家に帰ったら、「ノートPCの液晶がつかなくなったから、直せるかと思ってとりあえず開けてみた」と言いながら、分解してました(笑)。さすがに昔のPCとは違うので、直すまではできなかったようですが、電機製品が壊れたらまず分解してみようとは、今の時代じゃ、ふつう思いませんよね?(笑)」

 そんな父親のもとで暮らしていれば、菊池さん自身も機械に詳しくなりそうなものだが?

「それが全然でした。技術家庭の授業でラジオを作るくらいのレベルで終わっちゃいました。だから、技術屋の父としては、非常に残念な息子(笑)。理系の学校に進んでエンジニアになっていれば、父もずいぶん喜んだんでしょうけど、そもそも数学は嫌いじゃないんですが、勉強する気がなかったんですよ。弟も二人とも文系にいってしまったんで、父は内心、さびしかったかも知れませんね」

 「あれ? 結局、中学時代はゲームしかやってなかったのかなぁ?」と、笑う菊池さん。では、印象に残っているゲームについて語ってもらおう。

「まずは、先ほどの話にも出たアーケードの『魔界村』。そして『ファンタジーゾーン』(セガ)。会社(セガ)に入ってから『ファンタジーゾーン』を開発した先輩にお会いして、感激しました。あとは『アルゴスの戦士』(テクモ)ですね。

 PCで『ハイドライド』や『ザナドゥ』を一生懸命やっていたのもこの頃です。『テグザー』(ゲームアーツ)は……クリアできなかったですね(笑)。アドベンチャーにハマッたのも中学時代。今の時代にはあり得ない内容ですが(笑)、『デゼニランド』や『デゼニワールド』。そして『サラダの国のトマト姫』(以上ハドソン)。あとは、洋ゲーのアドベンチャーですね。あんまり売れてるタイトルではなかったので、名前はもう忘れてしまいましたが、ハマっていたのはこっちのほうですね。独特の絵柄や雰囲気が好きでした」

 自宅ではPCゲームに夢中だった菊池さん。コンシューマで印象的だったのは?

「……ディスクシステムの『リンクの冒険』(任天堂)ですかね。でも当時は、見下ろし型の『ゼルダの伝説』(任天堂)はやったことがないんです(笑)。『リンクの冒険』の話をすると、みんながみんな「難しかった」と言うんですが、僕にはそういう記憶はないんですよね。きっと、PCゲームのほうが理不尽なことがいっぱいあったので、気にならなかったんだと思います。クリアできずに最初からやり直し、なんてことがふつうでしたから(笑)。
 なので、ディスクシステムのソフトで難しくて記憶に残っているのは、『光神話 パルテナの鏡』(任天堂)ですかね。コンシューマのゲームは、一人ではなく友達5人で集まって遊ぶのが基本だったんですが、あのゲームって、敵にやられてもすぐ死なずに、ナスビになるんですよね。で、なぜか僕はナスビを操るのが上手かった。『パルテナの鏡』では、僕はナスビ担当でした(笑)。
 いちばんよく遊んだのは、『悪魔城ドラキュラ』(コナミ)。あのゲームは衝撃的でした。全部で6面くらいあったと思うんですが、自分の中に“20分の壁”というのがありまして。ランダムに出現する敵のパターンも全部覚えて、クリア時間が20分を切るまでやり込みました。それから20年ほど経ってやり直してみたら、1面で死んじゃって、弟がビックリしてました。やってるうちに記憶がよみがえって、いちおうクリアはできたんですが、兄貴に対する尊敬の念は消えてしまったみたいです(笑)」

 ゲームに夢中で、成績がぐんぐん落ちていった菊池さんだが、さすがに3年生ともなると、高校受験のために塾に通うようになった。

「うちの父は子供の教育に口を出さない人だったんですが、さすがに僕の成績を見るに見かねたらしく、強制的に塾に通わされました。1年の時の中間テストは、約400人中の30番くらい。それが、2年の後半では200番台に下がっていたので、父も「これはマズい」と思ったみたいですね。で、最初は3年になる春休みの春期講習だけのつもりで通ってたんですが、僕も知らないうちに、新学期からも行くように決められてしまっていて。あれは、ショックでしたね(笑)」

 「とにかく勉強をするのがイヤでイヤで……」という菊池さんだったが、強制的に通わされた塾おかげで、成績はみるみるアップ。県下最高レベルの進学校、栃木県立宇都宮高校に合格した。

「おそらく、試験もギリギリだったんじゃないかと思いますが、ほんと、頑張ったと思いますよ(笑)。無理矢理、塾に行かされた時は困りましたけど、父親には感謝しないといけないですね」

ページの先頭へ
Back Numberはこちら
ページの先頭へ