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俺の屍を越えてゆけ 続編への道 「俺の屍を越えてゆけ」続編の進捗状況について、随時お伝えして参ります!

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制作日誌43: 一歩でも、前へ。

2015.12.18

前回の日誌から1年も経ってしまいました。大変ご無沙汰しております、SCE『俺屍2』制作チームです。
この1年の間に、予定していた海外での発売もすべて実現し、
大所帯だったチームも解散し、別のプロジェクトなどに従事しておりました。



もはや書き溜めることや、お伝えするほどのお話もないのかな…と思っていたのと、
日誌とはいえ、尻切れトンボな形になっていたことをずっと気にしていた最中、
とある人から突然の提案を受けました。





「久しぶりに、集まれる人で飲みませんか?」



声をかけてくれたのは、日誌ではものすごく久しぶりな吉澤Pでした。
吉澤Pの投げかけに永嶋先輩が各方面へと連絡し、桝田さん、佐嶋さん、樹原涼子さん、孝之介さん、生田さんはもちろん、JAPANスタジオのメンバーやスタジオ卒業組、はたまたアニメ制作会社の皆さんも集まり、急遽お声掛けしたにも関わらず、30名程度の大規模な飲み会が実現しました。





↑先輩の粋な計らいで会場は貸切。準備期間1週間で出欠確認からお店の確保、
さらに会場入り口で会費をキッチリ回収するあたり、ゲーム制作者というよりはプロの幹事です。
すっかり法被(はっぴ)が似合ってしまうようになりました。



ちょっとした忘年会になってしまった会場内は、立食メインで自由に動け、出席者皆さんと思う存分話せるはずが…軽く満員電車のような状態となってしまい、思ったほどお話ができなかったのが残念でした。



それでもご無沙汰の面々からコメントを取れたので、
今回は改めての人物紹介も含めて、プロジェクトの思い出を振り返ってみようと思います。







吉澤P

PSP®版『俺の屍を越えてゆけ』とPS Vita版の『俺の屍を越えてゆけ2』のプロデューサー。
もはや『フリーダムウォーズ』の初代プロデューサーと言ったほうがお馴染みかもしれません。
制作日誌10」で触れて以来、ほとんど登場しなくなったのは訳がありまして、
じつは、あの熊本での決起集会を境に、『俺屍2』のプロデューサーを椎名Pにバトンタッチしていたという経緯がありました。
吉澤Pがプロデュースしていた『俺屍2』と『フリーダムウォーズ』の制作のピークが被ってしまうという事態となったため、ゴールが見えていた『俺屍2』を離れ、『フリーダム』に集中することになったのです。
ご本人も断腸の思いでチームを離れたことでしょうが、吉澤Pの牽引力がなかったら『俺屍』の復活もなかったことと思います。







【プロジェクトが一段落した今、どんな気持ちでしょうか?】

いつかまた桝田さんに投資し、一緒にお仕事したいと思っています。
『俺屍』自体が続けるためのプロジェクトだったわけですし。みんな次の作品を待っていると思いますし、
また、みんなでゲームを作りたいです!



【思い出深いエピソードはありますか?】

樹原涼子さんの息子さんである孝之介さんが作品を継ぐっていう、
「10年前から仕込んでいたの?」っていうくらい、アーティストが世代を越えて作るって、
なかなかないことだと思います。
しかも才能もあって見た目もイケメンという、これもなかなかないですよね。

あと、桝田さんが素晴らしいなって思うのは、『俺屍2』を立ち上げるときに「結局、吉澤くんは何がしたい?」って聞いてくれたんですよ。プロジェクトが始まる前に。一緒にやる仲間のことを常に考えてくれているんです。
かつ50代でも現役バリバリで現場をリードしてくれているし、プロモーションまでも一緒に考えてくれる。
こういう人とまた仕事をしたいと、本当に思います。



【応援してくれた俺屍ファンへ遺言をお願いします(最後に一言)】

応援有難うございました。
死ぬまでゲームを作りたい。死ぬまで一緒に作れる仲間と一緒に仕事したい。
そういう楽しさをいろんな人が味わってほしいなって思います。







簡単なコメントを…とお願いしたのに15分以上喋っていた吉澤P。
マシンガントークで、ここでは書けないような話のオンパレードでした。
相変わらず元気と申しますか、この方は生涯全力疾走なのだと思いました。







加藤AP

PSP®版『俺の屍を越えてゆけ』のアソシエイトプロデューサー(当時)
この日誌が始まった頃にはJAPANスタジオを卒業し、現在はスクウェア・エニックスさんでプロデューサーとして活躍されています。それゆえ日誌ではお初の登場となりますが、アソシエイトプロデューサーとしてはご存知、永嶋先輩の先輩になります。







【プロジェクトが一段落した今、どんな気持ちでしょうか?】

感無量ですね! 僕が言うなって話ですけど(笑)
ホントに嬉しいです、純粋に。
プロジェクトがスタートするまでが大変でしたね。それも受けて感無量です。



【思い出深いエピソードはありますか?】

リメイクとなるPSP®版を担当していて、プロジェクトを立ち上げるまでに1年かかったこと。
企画を通すのに3回トライしました。
1回目~2回目は部内で(承認取れず)ダメで、3回目で全体通してやっと承認が取れました。
桝田さんに報告する時、桝田さんから「よくやった!」的なこと言っていただけた時は本当に嬉しかったです。最後までくじけない心が大事だと思いました。



【応援してくれた俺屍ファンへ遺言をお願いします(最後に一言)】

諦めない心。どんなことでも、やり続けることが大事だと思いました。
『俺屍』が復活したのもファンの皆さんの応援があったからこそだと思います。







仕事の大小に関わらず、どんなことにも真摯に向き合ってお仕事をされていた加藤AP。
派手な吉澤Pに隠れて、裏方に徹することが多かったですが、
左のジャブの積み重ねだけで巨人を倒すような試合運びが印象的でした。
社内での辛いことを率先して背負っていたのも加藤APだったと思います。







樹原涼子さん

『俺屍』の歌姫。初代からずっと『俺屍』の世界を奏で、歌い続けてきた涼子さん。
どんなときでも笑顔を絶やさず、スタッフまでも包み込んでくれる愛情の持ち主です。
シリーズの母のような存在である涼子さんは、今回のプロジェクトをどう思っているのでしょうか?







【プロジェクトが一段落した今、どんな気持ちでしょうか?】

初代『俺屍』を制作した頃は小学生だった孝之介と一緒に作ったリメイクの音楽、そして孝之介が作曲した『俺屍2』の主題歌「WILL」を歌ったところまでが、私にとって一連の『俺屍』プロジェクトです。
とても嬉しく懐かしい気持ちで思い出します。
桝田くんに「花」を見出だされてから「WILL」までを思うと、何か説明のつかない運命のようなものを感じます。
ゲームは、その時代を映すアートでもあると思うのですが、特に『俺屍』はストーリーと絵と音楽との相乗効果が大きいゲームだったのではと思います。素晴らしい皆様とご一緒できましたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。



【思い出深いエピソードはありますか?】

リメイクの「花」ア・カペラバージョンを編曲するのは楽しかったのですが、ほとんどのパートを一人で歌ったのはとても大変でした。しかも、録音の途中で大きな地震があってびっくり! 一日で全てのパートを録音できて、ちょっと嬉しかったことは忘れられません♪
あと「WILL」の歌入れの最後、これで決まり! と、みんなから拍手がわき起こった瞬間に、孝之介が「そこね…」と歌にダメ出しをして、雰囲気がずっこけたこと。
それと、「お披露目の儀」で、会場が能楽堂だったので、ドレスなのに足袋を履かなくてはならず、長い裾で隠しながら登場したのに、桝田くんがトークでバラしちゃったこと(笑)



【応援してくれた俺屍ファンへ遺言をお願いします(最後に一言)】

長いこと『俺屍』の音楽を愛していただいて、感謝の言葉しかありません。
PRESS START」に2回も出演できたのも、みなさんのおかげです。フルオケで歌うのはとてもステキな気分でした。
「ゲームは文化だ」と教えてくださったのも、『俺屍』ファンのみなさんです。
みなさんが大切に育ててくださった「花」、そして「WILL」を、ずっと覚えていていただけたら幸せです。ありがとうございました! これからも、大切に歌っていきます!







〈涼子さんから「良かったら載せてね♪」と笑顔で言われたので、お知らせ〉

・12月26日のクリスマスコンサートで、生「WILL」&「花」を演奏いたします♪

・「花」の楽譜をお探しの方へ。楽譜『The Four Seasons ベスト・セレクション』の中に「花」の弾き語り、ピアノソロ、ビギナーバージョンがあります。オンデマンドの再版なので、樹原涼子の公式webサイトだけで扱っています







「音楽でも親子協演」という『俺屍』らしいキャッチャーさから、
僕らもついついそこに触れてしまいがちですが、涼子さん自身はそれを必要以上に語ろうとはしていませんでした。
「あくまでも仕事はプロ同士の関係。親子であるのは別の話」というスタンスで、時に音楽家の先輩として孝之介さんに厳しく接していたのが思い出深いです。

忘れられないのが能楽堂での「お披露目の儀」が終わった後、軽く皆でお食事をした帰り道、旦那様と手を繋ぎ、息子さんの肩に手を添えて帰路につく姿でした。
人類のお母さんが皆、涼子さんのようだったら、この世界には平和しかないことでしょう。







樹原孝之介さん

PSP®版では楽曲アレンジを担当、その後の『俺屍2』で本格的な音楽家としての道を歩み始めた孝之介さん。シリーズに新しい風を吹き込んでくれた若き音楽家は、主題歌「WILL」でもその才能を実証済み。
和洋折衷の音楽で、多くのユーザーさんを魅了してくれました。







【プロジェクトが一段落した今、どんな気持ちでしょうか?】

物心ついて最初に遊んだテレビゲームは『俺屍』だったと思います。初代当主と長女が死んでしまった時には泣いたのを憶えています。
兄の方が先に大江山をクリアして、張り合っていたような気もします。
そんな風に、いちユーザーとして『俺屍』を楽しんでいた当時は、『俺屍2』が出るなんて、そしてそのスタッフに自分が加わることになるなんて全く想像していませんでした。



自分にとって大切なこのシリーズに関わらせてもらえたこと、『俺屍2』の作曲を始めた当初はあまり現実味のある感慨を覚える余裕がなかったのですが、今振り返ってみると、とても幸せなことだなぁ、愛に溢れているなぁと。『俺屍』に関わってきた皆様、そして歓迎してくださったプレイヤーの皆様への感謝の念を新たにしています。



【思い出深いエピソードはありますか?】

東京で大雪が降った日の、和楽器のレコーディング。動かない電車もある中で何時間もかけて奏者の方々がスタジオまで来てくださいました。
外は雪で真っ白なのにスタジオの中では四季の音が次から次と巡っていて、なんだか別世界にいるみたいでした。
あとは、締切に追われるある日、お風呂に浸かりながら「七色温泉の曲のオーダー、なかなか難しいなぁ…」と思っていたところ、そのまま一曲全部脳内で出来てしまったこと。大急ぎでお湯を上がって濡れたままメモしました。



【応援してくれた俺屍ファンへ遺言をお願いします(最後に一言)】

『俺屍2』の曲を好きだと言ってくださる方がたくさんいて、本当に嬉しくて、おひとりおひとりに感謝を伝えたいです。
「いつか、きっと、願いは叶う」
自分が生きてるうちに叶わなくても、未来の誰かのために少しだけでも前に進む。
そんな気持ちを『俺屍』から学んだと勝手に思っています。
「WILL」や「花」をはじめとしたこの作品の音楽が、それぞれの"呪い"に立ち向かう方の背中をほんの少し押せるといいな。







お若いのに、コメントがしっかりしていらっしゃる!
桝田さんから「天才」といわれた若者の、これからの活躍にますます胸が膨らみます。
孝之介さんが『俺屍2』の音楽に関わる前から結成していたバンド、
くりーむぱんだ」もぜひ応援をよろしくお願いいたします。
僕らも、孝之介さんの『俺屍』以外の曲もたくさん聴いていきたいです。







生田美和さん

桝田さんとタッグを組んで『俺屍2』のシナリオを担当していただいた生田さん。

眼鏡が知的な、素敵なお母さんでもあります。
もともと初代のファンであったことから、桝田さんのTwitterによる公募に名乗りをあげていただいたのが参加のきっかけでした。
樹原涼子さんが生田さんのことを大好きで、こうした会の時は、必ず生田さんを探して「生田さん、会いたかった~♪」と話していたのが印象的です。手法は違えど、どちらも表現者であり良き母であることが共通点かと思います。ということで、写真も仲良しツーショットばかりでした。







【プロジェクトが一段落した今、どんな気持ちでしょうか?】

私にとっては久しぶりの、時代を作り上げてきた先輩クリエイターとのお仕事でした。
創作上の刺激が沢山あり、唯一無二の製作期間だったと思います。
作り方においても、考え方においても、他にはない体験をさせていただきました。



【思い出深いエピソードはありますか?】

シナリオもゲームシステムのように世代交代していきました。
初期は、子が成せないが故に複数の神にすがり、神の力を強く受け継いだ子を授かる葛葉という女性や、
お互いを求めながらも戦っていく神の双子のシナリオなどがありましたね。懐かしいです。



【応援してくれた俺屍ファンへ遺言をお願いします(最後に一言)】

あんたたちの恨みも、悲しみも、あたしが持っていってやる。
だからね、あんたたちも真っ直ぐ、生きていくんだよ。







現在もゲームシナリオなど、精力的な執筆活動をしている生田さん。
桝田さんもまた、生田さんとのシナリオ共作において、さまざまな刺激を受けていたのだと思います。
インタビューの際に、お子さんを連れて来られて「すみません、子供同伴で…」と恐縮されていたのを思い出します。
いえいえむしろ、僕らおっさんたちこそ可愛いお子さんに癒やされました。







佐嶋真実さん

お写真はNGの佐嶋さん。けっこう写真に写っていたので、佐嶋さんのいない写真を選定するのが大変でした。毎回毎回、永嶋先輩のラクガキのようなイラストから、魔法のような名画を描いてくださいまして、本当にお疲れ様でした。







【プロジェクトが一段落した今、どんな気持ちでしょうか?】

このタイトルならではの得がたい経験をたくさんしたなと思っております。



【思い出深いエピソードはありますか?】

熊本軟禁。



【応援してくれた俺屍ファンへ遺言をお願いします(最後に一言)】

本当に長い間、ありがとうございました。







端的っ!



「こくこく」と頷くだけで、言葉少なにお話しいただきました。佐嶋さんらしい…。



「あれだけのキャラクターを描き分けられるのは佐嶋しかいない」と桝田さんも言い切る全幅の信頼性。
ありったけの魂を込めて描いていただく分、1枚のイラストに時間を掛ける佐嶋さんゆえに、これまで表立った画集が存在しなかったのかもしれません。
今回『俺屍』が復活したことによって、シリーズすべてのイラストを使った画集が発売されたことを、桝田さんが自分のことのように喜んでいたのを覚えています。
マーチャンダイジング展開の打ち合わせの時は、「とにかく佐嶋の画集を出したい」とずっと仰っていたくらいですから。







桝田省治さん

大トリはもちろん『俺屍』の父である桝田さんです。
会が始まる前に会場に着くと、もくもくと『勇者死す。』のテストプレイをされていました(笑)







【プロジェクトが一段落した今、どんな気持ちでしょうか?】

反省が多いかな。石橋を叩いたつもりが…そういうの似合わなかったんだね。
謙虚の逆だね。やっぱりね、謙虚は似合わない。
もういい歳だしね。そろそろ傲慢なジジイでいいかなって思って。人の言うこと聞かなくていいかなって。



【思い出深いエピソードはありますか?】

一つは地震だね。
PSP®版の録音の時は地震の余波があった頃で、みなみ(高山みなみさん)が録ってるときに揺れて、慌ててスタジオの扉を開けに行ったこともあったよ。
あと熊本の台風。打ち合わせがアルファシステムであったとき、ホテルのチェックアウトの時に「早く出ろ」って言われるわけ。近くの川を見たら溢れかえりそうで軽自動車が流れていくの。それで、アルファに行ったら行ったで、誰も来てないの。何しに来たんだろうって(笑)



【応援してくれた俺屍ファンへ遺言をお願いします(最後に一言)】

最近ね、人の仕事をプロデュースするのが楽しくなってきた。「バカな人達」、結構好き。
あと例えば若い人と仕事すると、少なくとも失敗をさせなくて済む。僕自身が失敗の数も多いからね。



――桝田さんの知見を伝えられるということですね。 若い世代と仕事をして、奥義を伝授し、最後に決めセリフでしょうか…



さっきから「俺の屍を越えてゆけ」って言わせたいんだろうけど(笑)



まぁ、今時の奴って個人でみたときは尖っているんだけど、メジャーになった瞬間に守りに入ったり、ファンを大切にって言い出す。そうなった瞬間つまらないんだよね。
クリエイターは責任の分だけ自由があるんだから、一歩でも前へ突き進むのが大事だと、改めて思ったよ。













皆様、久しぶりの再会の宴をお邪魔し、たくさんのコメントを有難うございました。



思い返すと、震災もあって日本が大変な時期にリメイクや続編を作っていましたね。
孝之介さんや桝田さんが話していた「前へ」というキーワードは、そうした日本の境遇も含めて、
僕ら全員のテーマでもあったと思います。



それにしても、コメントを見返すと、キャラもバラバラ、想いもいろいろ。
よくもまぁ、これだけの個性だらけなメンバーがひとつの作品に集まっていたものだと、改めて思います。



もっと皆さんのコメントを載せたかったのですが…飲み会の席ですので、このあたりで。







さて、もともとこの日誌は、いい大人たちが一生懸命ゲームを作る姿を、なにかこれまでと違う形でお見せできないかと思ってスタートさせました。
インタビュー記事やイベントのトークショウなどでも裏話は語れますが、もっとリアルといいますか、飾らない制作風景を可能な限り伝えることで、『俺屍』の復活にかけた想いや、15年越しに『俺屍2』が生まれるロマン、また、こうしたチャレンジが許されるゲーム業界がどんなに素敵で、辛くて、だからこそエキサイティングなところなのだと、そんな雰囲気が伝われば…と。



JAPANスタジオ所属の若輩者として、ノリと勢いで始めたものですから、途中何度もネタも力も尽きそうになりましたが、日誌をご覧いただいた皆様からの感想や応援の言葉を賜り、フラフラながらも書き続けることができたことに深く感謝しております。





いま読み返すと、けっこう危ない内容もありそうなので、もはや振り向かないこととします(笑)
いつかはこの日誌自体も、Webサイトの改装などで読めなくなってしまうかもしれませんが、
ネットの隅っこに置かれている間は、たまに覗きにきていただけると幸いです。





『俺屍2』を楽しんでいただいた方々、本当に有難うございました。
『俺屍2』を楽しめなかった方々、いつかまた機会をいただけると幸いです。





また、ゲーム業界内外で応援いただいた方々も有難うございました。



特に『東京喰種トーキョーグール』『東京喰種 トーキョーグール:re』の石田スイ先生は『俺屍2』の発売後に、こんな素敵な色紙を描いて制作チームに贈ってくださいました!

(日誌での公開を快諾してくださった先生と編集部の皆様、有難うございます)

いただいた色紙は制作チームの家宝として大切に保管しております。



多くの皆様の愛があったからこそ、続編への道が生まれたと思っています。
この場を借りてすべての方々に御礼申し上げます。









最後に、コメントを載せられなかった日誌でお馴染みのメンバーの近況をば。

椎名Pは、おめでたいことに、年明けにご結魂が決まったそうです。
吉澤Pから『俺屍2』という大きなプロジェクトを引き継いだときは、さすがに遺言を覚悟したそうですが、
これからも椎名一族が続くこと、心よりお祝い申し上げます。



永嶋先輩は、引き続きの独身貴族でございます。日誌で散々いじり、神様の格好までしてもらったのに、社内の人気がピクリと上がっただけでした。力及ばず申し訳ございません。





「やっぱり今だったらダルマの神様(七天斎)ではなく、太刀風・雷電じゃないかな、モテるのは」





最後の最後に桝田さん、何を仰っているのか分かりませんでしたが…



ああ、五郎…丸ってことですね(笑)





どんなときでも茶目っ気たっぷり。
桝田さんは、まだまだ元気に、さまざまな創作シーンで活躍されると信じています。
いつまでも僕らの暴れん坊プリンスでいてください。





もうまもなく、今年が終わって来年がやってきます。
プロジェクトで体験した成功や失敗、全部の全部を受け止めて、僕らも進んでいこうと思います。





一歩でも、前へ。

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