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Call of Duty World Leagueへの旅路 – 司会者の場合

2019.04.16

今年から「Call of Duty World League」ライブ配信の司会を務めているKatie Bedford。今回は、彼女がCWLアナリストデスクの司会者としてeスポーツ業界入りを果たすまでのユニークな経緯を追ってみます。

「ただの司会ですよ」

CWL Las Vegasの開幕時にアナリストデスクがライブ配信されているあいだ、私はずっと手の震えが止まりませんでした。TV番組の出演なら何度となく経験していますが、ライブ配信のeスポーツイベント司会なんて当然初めてでしたから。狭い収録部屋でカメラを見つめ、カメラの向こうにいる相手に冷静な口調で情報を粛々とまとめていく…それが私の経験してきたTV出演だったのです。観客のいるライブ番組を担当したこともありますが、観客は多くても50人程度。しかもeスポーツイベントはTVのように「静かすぎるからつけっぱなしにしておく」タイプの番組…たとえば野球の試合とは全然違います。友人知人が多く集まる場でも熱心に野球中継を見る人は何人かはいるでしょう。でも一般的には、親交を深めることを優先する人が大多数を占めるものです。一方でCWL Las Vegasの観客やオンライン視聴者は、誰もが“競技レベルで行われる「コール オブ デューティ」を体験するため“に見に来ています。そんな皆さんに対し、私は最高の仕事をする必要と責務を感じていました。

ラスベガスでの仕事は「多少の無理」と呼ぶにはあまりに圧倒的で、何に驚けばよいか分からないほどでした。デスクの目と鼻の先に観客がいること? オンラインで視聴している何万もの熱心なファンの存在? 深いビートを刻む音楽とまばゆい照明? それとも一緒に出演するStuDyyに初めて会ったのが数分前だったこと? 限られた時間と途方もない情報量。そんな中で私は、自分のオープニングトークで勇気を振り絞って「どうも、アナリストです」と冗談を飛ばしました。コミュニティに笑ってもらえることを願いつつ。

どうやらこの賭けは成功したようで、嬉しく思います。

私がCall of Duty World Leagueの司会になるまでの道のりは、eスポーツ業界でもちょっと風変わりなものだったと思います。というのも、かつて政治ジャーナリストだった私は、波乱に満ちた米国政治を報道する者としてワシントンDCに5年間住んでいたのです。大統領選や最高裁の判決、ホワイトハウスで行われる式典を報道するのが私の仕事でした。やりがいのある仕事で、楽しんでもいました。しかし3年が過ぎた頃、この仕事で生きていけるほど自分が「政治というものを愛していない」ことを自覚し、道を見失ったような気持ちになりました。

しかしある日、ゲーミング/eスポーツ業界向けの日刊ニュースレター執筆業務の依頼が届き、私は再び「道」を見つけました。幼い頃からずっとゲーマーでしたが(「コール オブ デューティ」は人生の必需品でした)、それを仕事にするという発想は毛頭なく、スキルも足りないと思っていました。しかしつまるところ私の仕事はジャーナリスト・編集者であり、ニュースレターは誰かが書かねば完成しない成果物です。私は依頼を受けました。こうして2017年にスタートした「The Daily Walkthrough」でニュースレター執筆を担当している間にはE3、Overwatch League Grand Finals、CS:GO Major Championshipsなどのイベントに参加し、多くの業界人と親交を深め、親しい友もできました。やがて私は必然的に―そしてごく自然に―この業界に恋しました。その後は普段の仕事を退屈に感じるようになり、人気TV番組を見る気も失せ、誰が何をツイートしたかも気にならなくなりました。早く次のeスポーツイベントに行きたい、ただそれだけを切望する人間になっていたのです。

転機が訪れたのは、業界の友人に今後のキャリアに関するアドバイスを求めていたときでした。その友人が今思い出しても身震いするような一言をくれたのです。「それならMLGを紹介しようか?」体が硬直するほど驚きました。しかし私はここで「イエス」と答えました。

その数カ月後に私がCWL Las Vegasのアナリストデスクに立てたのは、友人の親切心と信頼、そして何者でもなかった私にチャンスをくれたMLGのおかげです。電話インタビュー、対面インタビュー、コロンバスでの予備トレーニングイベント…当時の私にとっては何もかもが清々しいつむじ風のようでした。多忙を極める中で私を支援してくれたPacman、Benson、Nameless、そしてプロデューサーのEthanには感謝してもしきれません。彼らに報いるため、私はひたすら「Hot Mic」、「Behind the Controller」、「Trading Shots」や過去のイベント動画を見続けました。オープニングトークの原稿を練習する上でBensonにアドバイスを求めたこともあります。選手と過去の経緯、チームを覚えるために作った無数の暗記帳は今でも手元に残っています。物理のテスト対策みたいに何もかも記憶した上でプロ選手と対面するのは不思議な経験でした。緊張しすぎて自己紹介もできない有様だったので、他のメンバーが控室に行く時についていって情報収集に励みました。

最終試験は「ラスベガスでいい仕事をすること」、ただひとつ。これをクリアすれば、晴れて正式合格です。

「理想の仕事」まであと一歩だと気付いた時に感じた恐怖は凄まじいものがありました。あとは掴み取るだけ。そのためにひたすら努力してきた。でももしCWL Las Vegasでしくじったら? セリフが飛んでしまったら? そんな事を考えて、恐怖で涙を流したことも一度ではありません。

でも…私は今ここにいます。

ラスベガスで最初のトークが終わった後は両手の震えが止まらず、イスと足の間に手を突っ込んでいました。あの時は本当にさまざまな感情が体を駆け巡っていました。自己紹介がうまくできた安堵、Bensonの名前を失念した恥ずかしさ、全身を駆け巡る大量のアドレナリン、そして少しの吐き気。イベント中の記憶は少しぼんやりしていますが、確かに記憶していることがひとつだけあります。ファン、選手、出演タレントなど皆からの暖かいサポートがあったことです。

初めて私に話しかけてきてくれたプロ選手はFaccento (Brice Faccento)でした。わざわざ私のところに来て自己紹介をし、「いい仕事していたよ」と声をかけてくれたのを覚えています。CouRageもまた、Grand Finals前のアナウンスに出かける直前に伝言を残し、同じく賛辞の言葉をくれました。StuDyyは私の事をほとんど知らなかったにもかかわらず、顔を合わせた直後からすぐに助けてくれました。Ethanは半狂乱だった私の質問に辛抱強く答えてくれました。Mavenは私を見かけるたびに「大きな」声をかけてくれました(すごい迫力だったしちょっと緊張を煽られましたが)。NadeshotとMuddawgは常に笑顔で、おかげで期間中は毎晩就寝前に思い出して強く励まされたのを覚えています。

それからRedditにも肯定的なポストがひとつかふたつありました。コメントはしませんでしたが、すべて読みました。私にチャンスをくれたことを、この場を借りて改めて感謝したいと思います。

変化は恐ろしく、不確実なものです。でも私は未経験の身でこの仕事に挑み、CWLファンは私を新しい司会として受け入れてくれました。双方にとって良い結果になったのだと、今は信じたいと思います。

私は今、「CWLの司会役」としてこの原稿を書いています。この仕事も、ファンの皆さんも、選手たちも、同僚も、心から愛しています。私にとって、夢は実現したのです。

私のような(マカロニチーズにケチャップをかけるタイプの)人間にチャンスを与えてくれたことに、心から感謝します。ありがとう。

 

※本記事で使用されている写真は https://www.callofduty.com/esports/story/2019-04/Transitioning-Worlds より一部引用しています。

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